ただ、届けたくて
「また、『ユウリ・アルシフォンの裏表』ですか……」
「ちょ、ちょっと! 急に入って来ないでよ!!」
エウラシアン邸の庭に移動式住居を構えているヴェルナは、ユウリ・アルシフォンの崇拝者らしく、今日も彼の本を読んでいたようだった。
「そこまで、彼に憧れる理由が理解できませんね。そもそも、その話の大半は、大法螺なのではないですか?
一時期、溶岩の中で生活していただなんて、あり得るわけがない」
「……そんなことない」
ヴェルナが、大事そうに抱えているボロボロになった絵本……それを見て、フィオールはなにも言えなくなる。
「ゆ、ユウリ・アルシフォンはすごいのよ! 世界が滅亡の危機に瀕するような事態になった時でも、たったひとりで解決しちゃうんだから! 誰かが困っていたら、どんな時であろうと、絶対に来てくれる! まるで、この絵本に出てくる騎士様みたいに!!」
夢物語だ。
兄が生きる辛くて悲しい世界を知っているフィオールは、そんなにも現実が甘くないことを知っている。ユウリ・アルシフォンがただひとりの人間である以上、誰も彼もを救えるわけがない。
「フィオも読んでみなさいよ! ハマるわよ!!」
背中を預けあって、信頼を築き上げた親友。そんな彼女が目を煌めかせながら迫るものだから、思わず本を受け取ってしまった。
「…………」
ぺらり、ページをめくる。一ページ目から有り得ない。彼の散歩ルートに特異建造物が現れたから、紐でくくりつけて横に退かしたとある。
「…………」
だが、引き込まれる。
物語の中のユウリ・アルシフォンは、絶対に誰かを見捨てたりはしない。全員を助ける道を選び取り、それを実現させて、皆が笑って話が締めくくられる。
時折、くすりと笑う場面が出てくる。あまりにも有り得ないことが、大真面目に書いてあるので笑ってしまうのだ。
「……オ! フィオ!!」
我に返った時、日がとっぷりと暮れていた。
気がついて辺りを見回すと、ヴェルナが憎らしくも可愛らしい、ニヤリとした笑みを浮かべている。
「ね? ハマるでしょ?」
「……遺憾ながら」
結局、一日かけて、読破してしまった。
疲れ目をまぶた越しにほぐしながら、フィオールは、まだ見ぬユウリ・アルシフォンの姿を懸想する。
物語の中に出てくる彼が、最も素敵だったのは“心”だった。
どんな場面に出くわそうとも、決して折れたりしない強い心……それこそが、フィオールの望んだ、あの兄さえも救える“理想”だった。
「……共に」
本の表紙を見つけながら、祈るように彼女はささやく。
「戦えたらいいのに……この御方と一緒に戦えるほどに強くなれたら……背中を預けてもらえたら……わたしは……きっと、自分に……」
「なれるわよ」
満面の笑顔で、ヴェルナは拳を突き出す。
「だって、わたしたち、Sランクパーティーになるんだから」
ヴェルナが襲われた夜……即席の連携で敵を打ち払い、ふたりで星を眺めながら、小指を絡め合って約束を交わした。
――ふたりで、誰も敵わないような外面になろう
孤独だった、ふたりを繋いだ絆。
その約束を思い出し、フィオールは微笑みながら拳を合わせる。
「えぇ、きっと」
フィオールは、憧れのユウリ・アルシフォンを見つめ、また今日も強くなるために剣を構えた。
過去を思い返していたフィオールは、現在に舞い戻って同じ型で剣を構える。
「…………」
見惚れる。憧れのユウリ・アルシフォンに。自分程度の人間が背を預けてもらえるような存在ではないのに、凛々しい顔立ちの彼が隣に立っている。
「……なんだ」
「えっ! あ、いえ! か、格好いいなって!!」
口に出してしまった瞬間――顔が熱くなって、真っ赤に染まったことを悟る。
「ち、ちが! いえ、違うわけではないのですが!! その!!
や、も、申し訳ありませ……」
最後のほうは、あまりの気恥ずかしさに、片手で顔を隠してしまう。その様子を観察していたユウリは「……フッ」と笑った。
「……家事は分担しよう」
鍛冶は分担? 既にもう、戦いが終わった後のことを考えているのだろうか? 鍛冶費用を折半するのは当然と言えるが……なぜ、今?
フィオールは、閃く。
「も、申し訳ありません……今、目の前の戦いを忘れて、気を抜いたわたしを戒めて下さったのですね……どこまでも、謙虚な御方だ……」
「…………」
ユウリは、考え込むかのように押し黙る。そして、数十秒の沈黙を経て、ゆっくりと口を開いた。
「……まずは、認めてもらうことからだ」
憧憬の先にいる英雄は、父のことを真剣な顔つきで見つめる。土中芋虫を相手取った時も、操られたヴェルナを前にした時も、大量の槍に串刺しにされた時だってこんな顔をしたことはない。
ゆらりと立ち上る緊張感……あのユウリ・アルシフォンが気を張っている。
やはり、如何にユウリ様であろうと、あの父を相手に気を抜けるような状態ではいられないのだ。
思わず、フィオールは乾いた喉を鳴らす。
「……将来の話は、後回しだ」
「はい」
「……行くぞ」
ユウリは、そう宣言して――消えた。
「……っ!」
尋常ではない速度。
追いつけるわけが――咄嗟に稲光の足運びを発動していたフィオールは、背中をぶん殴られたかのような衝撃を受け、つんのめるようにして前に足を伸ばし――ユウリが横にいた。
「……え?」
は、疾い、どころじゃない!? どこここ!?
きょろきょろと、辺りを見回す。
薄い靄がかった朝日が差し込む中、立ち並ぶ露天は軒を並べて様々な品物を売っている。
日に煌めく王城は、立派な出で立ちを世界に魅せつけていた。城下町の最中にいるにも関わらず、その雄大な姿を一望で――ここ、王都だっ!!
「また、品物がなくなって、金が置かれてやがる!! う、薄気味悪ぃ!! 死霊でもついてんじゃねぇのかこの辺り!?」
「……やはり、必要だ」
菓子折りをぶら下げたユウリが、無表情のままで駆け出す。なにがなにだかわからず、方角だけ決めて追いかける。
瞬く間にルィズ・エラに戻り、目の前に父親が立っていた。
「今」
目の前の父が、目を細める。
「なにをした?」
わ、わかるわけがな――目に入った腕輪。ユウリと魔力を共有するために用いている、婚約腕輪とも呼ばれる代物。
あ、間違いなく、コレですね……呆けている彼女の目が、駆け出したユウリの背を捉える。
「……娘さんを」
幾重にも織り交ぜられたフェイント、反射で斬りつけられる無数の剣戟の合間を縫って、ユウリの菓子折りが狭間を貫く。
「……僕にください」
グレイ・エウラシアンの顔面に、菓子折りが叩きつけられ――
「……フッ」
ユウリは、会心の笑みを浮かべた。




