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最期の稲光

「後は上手くやれ」

 

 シルヴィを地獄から連れ出した男は、そっけなくそう言った。


「環境に適応しろ。剣を振るのを怠るなよ」

 

 命令を残してから、彼は直ぐに姿を消す。

 

 広間に描かれた雷神の横顔、天窓を透き通って差し込む日光、赤カーペットが敷かれた大階段……なにもかもが、シルヴィの目には新鮮に映った。


「シルヴィ」

 

 声が聞こえ、振り向く。

 

 大扉の前に、女性が立っていた。


 白色の軽装鎧を纏った彼女は、神々しい光に包まれていた。眩しいと思えるほどに、清々しい笑みを携えている。


 そこには、シルヴィが、常日頃感じていた邪気ひとつない。代わりに、悪感情を洗い流しみたいな清廉さがあった。


 きれい――シルヴィは、はじめて、人間を美しいと感じる。


「…………」


 臆することなく、女性は近づいてきて、彼女の髪の毛に触れる。


 思わず、反応して腰へと手を伸ばす。が、長剣はない。身を守る術もなく接近され、不安から後ろに跳んだ。


「シルヴィ、髪を洗いましょう。ほら、来なさい」


 彼女の触れ方には、いやらしい感じがなかった。


 シルヴィに触れようとする人間は、誰も彼もが、粘つく視線で気色の悪い触り方をする。

 もしくは、汚物を視るような目で見下げて、鼻口を押さえて距離をとる。


 だが、彼女はそのどちらでもない。まるで、王都に暮らす普通の住人のように接してくる。


「ほら、シルヴィ。大丈夫。頭を洗うだけですから」

「…………」


 優しく呼びかけられ、自分を呼んでいるのだと気づく。


 シルヴィ、シルヴィ、シルヴィ……これが自分。自分か。


 自分の名前を反芻はんすうしながら、嫌な感じがしない彼女の後をついていく。


 そして、数分後。


「こ、こら!! 待ちなさい!!」


 脱兎の如く、彼女は風呂場から逃げ出していた。なんせ、謎の白い液体を頭にぶち撒けられ、液が目玉に入る度にちくちくとして痛むのだ。


 あんなの、耐えられるわけがない。剣で斬られたほうがマシだ。


「は、裸で屋敷内を走るのはやめなさい!! 皆、視ているでしょうが!!」


 従者たちが目を丸くしている中、泡だらけで全裸のまま駆けていると――唐突。眼前に現れた女性に、抱きかかえられ驚愕で暴れる。


「な、なんだ!! やめろ!! ふざけるな!! ばか!! はなせーっ!!」

「よもや、稲光の足運び(ブリクスト)まで使うことになるとは……どれだけ、獣じみた速さなんですか貴女は」


 関節をめられているせいで、まともに抵抗できないわけだが、シルヴィからしてみればなぜか動けないという風にしか受け取れない。


 珍妙な魔法かなにかで、動きを封じられている……そう思い込み、諦めた彼女は、渋々といった顔つきで頭と身体を洗われた。


「……おまえ、なんだコレは」


 風呂上がり。用意されていた布をとって匂いを確かめていると、女性は当たり前のように言った。


「貴女の服ですよ、気に入りませんか? 衛生的に問題があるので、以前着ていた服は、処分させてもらおうと思いますが」


 ゴワゴワしていない、臭いはなく液が染み付いてもいない、着ていても不快感がない。


 違和感を覚えながらも、シルヴィは純白の衣服を身につける。


「……食べれるのか?」

「一度、兄に聞いて革靴なら食べたことはありますが、オススメはしませんね。呑み込むのにコツが要る。

 ひとまず、食事にしましょうか」


 案内された先には、廊下みたいに長いテーブルと、視たこともない豪勢な食べ物が並んでいた。従者たちは会釈をした状態でシルヴィたちを出迎え、一ミリの狂いもなく並べられた食器類がお目見えする。


 香ばしい匂いに釣られて跳躍。手づかみでステーキをとって、口に運ぼうとし――シルヴィは、宙でガチりと歯を鳴らした。


礼節マナー違反」


 いつの間にか、椅子に腰を下ろしていた女性は、ナイフの先に突き立てたステーキを揺らしながら微笑む。


「食事の際には、椅子に座りなさい。手づかみで食べてはなりません。食前には、神に祈りを。

 そして、なによりも、ナイフの先にステーキを突き刺し揺らしてはいけない」


 哀れにも、串刺しになったステーキを下ろし、彼女は言った。


「さ、マナー講座のお時間ですよ。不格好ながらも普通に食事が摂れるようになるまで、ご飯はお預けですからね」

「ふざけるな!! 何様だ、おまえ!!」

「『お前』ではなく『フィオール』。呼び方には固執しませんが、仮にも今日から姉妹なのですから」

「……姉妹?」

「絶対に互いを裏切ったりはしない、“証”で結ばれた絆のことですよ」


 シルヴィの黒い髪先をそっと撫でて、フィオールは呼びかける。


「さぁ、座って」


 フィオール・エウラシアンという名の姉は、なにをやらかそうとも、シルヴィのことを見捨てようとはしなかった。


「フィオ、今日の特訓は――は? なに? このみすぼらしいの?」


 ヴェルナ・ウェルシュタインとかいうアホと、初対面で喧嘩を起こして、屋敷を半壊させた時でも。


「おぉ! 君がシルヴィか! 実に愛らしい姿だ!! 兄として、愛する妹が増えたことは、万感に値する!!

 とりあえず、ハグを――」

 

 マルスの抱擁に剣先で返して、危うく刺し殺しそうになった時でも。


「だ、大丈夫。大丈夫ですから。

 ですから、シルヴィ……わたしたちを嫌わないで」


 初の打ち合いで真剣を使い、彼女の肩を思い切り抉り取った時でも。


 フィオールは、笑って許してくれた。


 なんで、コイツは、許してくれるんだろうか? どうして、この女は、自分に優しくしてくれるんだろうか? なぜ、この人は、自分に触れてくれるのだろうか?


「ほら、また、忌み子が我が物顔で歩いてる……どうして、フィオール様は、あんな子を受け入れるのかしら……」


 社会性を身に着けたシルヴィは、自分の噂が周囲を覆っていることに気づいた。


「また、産ませたんでしょう……奥方様が亡くなって、一月も経っていないのに……視なさいよ、あの黒い髪と紅色の瞳……」


 黒髪と紅瞳――マルスフィオールは、金色の髪と蒼色の瞳をもっていた。


「エウラシアン家は、何を考えてる? なぜ、あんな、汚らしい子供を、当然のように家中に入れておくんだ。どこの庶民に産ませたかは知らんが、恥ずかしくは思わないのか」

「……申し訳ありません」


 邸宅に訪れた来客はいつも怒っていて、フィオールは苦しそうな顔をして、深く頭を下げ続けていた。


 そして、客が帰ると、まるでそんな顔をしていなかったかのように笑うのだ。


「姉妹に兄妹、ですか? それはもちろん、同じ髪と瞳の色をしているものですよ。なにせ、血が繋がっているんですからね」

「血とは、なんだ?」

「姉妹、兄妹であることの証ですよ。

 さ、もういいですか? 掃除に洗濯まで、しなければならないんですから」


 呼び止めた従者は、迷惑そうな顔をして去っていく。


 ――絶対に互いを裏切ったりはしない、“証”で結ばれた絆のことですよ


「同じ髪の色……瞳の色……それで、血が繋がっている、のか……」


 フィオールの苦しそうな顔を思い描き、胸がムカムカして泣きたくなる。


 シルヴィは、思う――この外面すがたのせいだ。


 染料を用いて髪を金に染め、四苦八苦しながら、魔力の調節を行うことで瞳の色を蒼色に変える。


「できた……!」


 金色の髪に黒色が混じり、蒼色の瞳も赤みがかっていて、なんとも不格好だった。


「これで同じだ! 姉妹、兄妹だ!!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ね、ガッツポーズ。


 これでもう、フィオールもマルスも、哀しい思いをしなくていいのだと思った。同じ“証”を手に入れられたと喜んだ。


 見せに行こうと駆け出し――なにかにぶつかって、ひっくり返る。


「あら?」


 イリス・エウラシアン亡き後の後妻、今のグレイ・エウラシアンの伴侶であり、名義上はシルヴィの母親である筈の女だった。


 彼女はなにかとシルヴィに辛く当たって、食事に虫を混入させたり、剣術の修行中に残飯を降らせてきたり、衣服をズタズタに破いて便所に捨てたりした。


 正直言って、シルヴィは苦手だった。


 だが、彼女もまた、金色の髪と蒼色の瞳の持ち主だった……それを視て、シルヴィは、ようやく覚えた敬語を用いてお辞儀をする。


「お、お母様、ご機嫌麗しゅ――」


 耳が聞こえなくなって、ジーンと痺れる頬。


 自分がたれたのだとわかった時、憤懣ふんまんが義理の母の顔を覆い隠していた。


「この忌み子がっ!!」


 なにがなにだかわからず、髪の毛を引っ張られ、シルヴィはバランスを崩す。


「なにが『お母様』だっ!! こんなもので!! こんなもので、変われるとでも思ったか!! 卑しいスラムの捨て犬風情が、名家に産まれた私の前で見栄張りやがってっ!! 挙げ句の果てに『お母様』だぁ!? ふざけるのもいい加減にしなさいよっ!!」


 バシバシと顔を殴られ、鼻血が吹き出て床を汚す。


 痛くはなかった。こんなものは序の口だ。だが、彼女の口から出る言葉が、シルヴィの心をえぐって傷つける。


「あのフィオールとかいう小娘にほだされて、自分が特別だとでも思ったか!! マルスとかいうガキに甘やかされて、本当の兄妹になれたとでも思ったかぁ!? なれるわけないでしょうがっ!! あんたみたいな汚い血筋!! 幾ら、外面そとづら上手く見せようたって、身体が息が魂が!! くせぇんだよ!!」


 従者たちのいない暗がりに引っ張り込まれ、情け容赦なく何度も殴られる。


「あの男ぉ!! なにが『家督を継ぐのは、シルヴィだ』だよぉ!! 私の子に決まってんだろ!! 一度も抱きもしねぇで、男根が腐ってんじゃねぇのか!! 自分の血が繋がってないガキに家督継がせるなんて、頭がイカれてるんじゃないのっ!」


 バシン、バシン、バシ――痛みと音が止まる。


「……ひっ!」


 憤怒に染まった目玉で覗き込みながら、マルスがその手を止めていた。彼女の喉元に刃を突きつけていたのは、フィオールだった。


 とつとつと、彼は語る。


「最早、獣と変わらんな。

 子供を殴るのに夢中過ぎて、声量には頓着とんちゃくしなかったか? 時期、我が家を継ぐ跡目に手を出すとは……頭がイカれているのは、どちらだろうな?」

「……利き手はどちらだ?」


 フィオールは、昏い目で女をじっと見つめる。


「答えなければ、両腕を斬り飛ばす」

「よせ、フィオール」

「そ、そうよ!! わ、私はグレイ・エウラシアンの妻――」


 ボグッと鈍い音がして、彼女は甲高い悲鳴を上げて倒れ伏す。曲がってはいけない方向に曲がった右腕、掴んでいたマルスは微笑んだ。


「自己紹介、ありがとう。せっかくだから名乗り返すが、おれはグレイ・エウラシアンの息子だ。

 コレで、手打ちにしてやれ。痕が残るようなことをすると、父上も良い顔はせん」

「……救われたな、感謝しろ」


 右腕を押さえたまま、獣のように激痛の咆哮を上げている義母は、呼ばれた従者たちが慌てて回収していった。


「困ったな。下手したら、父に殺される」

「なぜ、兄様は、いつも……いえ、なんでもありません」


 特に困った風には視えないマルスは、なにかを言いかけたフィオールの頭を撫でてから、シルヴィの背に合わせて腰を屈める。


「なぜ、斬らなかった? お前の腕ならば、いつでも、あの女を殺せた筈だ」

「……同じ髪の色」


 怪訝そうに顔をしかめたマルスに、シルヴィは色の剥げた黒金髪を見せる。


「同じ瞳の色……姉妹、兄妹、親子……エウラシアン……絶対に互いを裏切ったりはしない……」


 シルヴィは、微笑んだ。


「“証”で結ばれた絆」


 虚を衝かれたかのように息を呑んで――マルスは、彼女を抱きしめた。間髪入れず、フィオールが背後から抱きすくめる。


「シルヴィ。その髪、似合っているぞ。まるで、母上みたいだ」

「えぇ、本当に。でも、その瞳の色は元に戻しておきなさい。あまり、魔力に浸していると視力が落ちますから」


 気持ちのいい温もり、はじめて感じる幸せ、激痛が引いていって眠気がやってくる。


「お兄様」


 はじめて、シルヴィは彼を兄と呼んだ。


「お姉様」


 はじめて、シルヴィは彼女を姉と呼んだ。


「なんだ、妹よ」

「なんですか、わたしの妹」


 彼女には、家はなかった。

 彼女には、家族はなかった。

 彼女には、家庭はなかった。


 える臭いを放つゴミ溜め、死と隣合わせの日々、誰かに抱きしめてもらったことは一度もなく救われたこともなかった。


 そんな日々から、救われた。居場所を与えてくれた。温もりを与えてくれた。


 家族エウラシアンだと――言ってくれた。


 はじめて、彼女は感情を露わにする。胸から溢れるなにかで、熱い液体が止めどなくまなじりから流れるのを感じる。


「このエウラシアンにいても……いいですか……?」


 ふたりは、受け入れるかのように微笑んで――シルヴィ・エウラシアンは誓う。


 この人たちのために、この生命を使おう。

 この人たちのために、この幸福を使おう。

 この人たちのために、この願望を使おう。


 このエウラシアンのために、なにもかもを捧げよう。




 だから、シルヴィは、死ぬのは怖くなかった。


 ようやく、その時がきたのだと思った。


 自分の身体の限界はわかる。もう一度、稲光の足運び(ブリクスト)を使えば、己の肉体が終わるのは知っていた。とっくの昔に、死神の鎌が、喉の奥深くに差し込まれているのは既知の下だった。


 だが、彼女は笑う。


 コレが定めであると、コレが宿命であると、コレが自分であると。


 信じて疑わず、笑ってみせる。


「お兄様、行きます」


 シルヴィ・エウラシアンは、己をガラハッドに向ける。


 エウラシアンを――己のけた全てを――ただ、この時のためだけに、振るおうと考えた力を――


 彼女は、解き放つ。


 雷光に包まれた少女は、生命を燃やして、愛する兄と姉に心中で別れを告げる。


 ――なんだ、妹よ

 ――なんですか、わたしの妹


 躊躇ためらいはない。ただ、あの温もりを思い出す。はじめて抱かれた温もりを、愛情を、気持ちのいい眠気を。


「……あぁ」


 ゆっくりと流れる景色を見つめながら、シルヴィは微笑した。


「幸せだった」


 全てが、掻き消える。


稲光の(ブリク)――足運び(スト)ッ!!」


 正真正銘、最期の稲光の足運び(ブリクスト)が発動した。

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