シルヴィ・エウラシアン①
名もなき少女は、ゴミ溜めで産まれた。
黒い髪と紅い瞳をもつ彼女の母親は、お腹に抱えていた荷物を下ろすと、どこかへと消えてしまったらしい。
王都に点在していたスラム。衛生環境も治安も最悪の溜まり場で、赤ん坊である彼女が生き残れた理由はひとつ。
生まれ持った才能だった。
幼ければ幼いほどに、魔力量の多い子どもは高く売れる。一部の宗教家は魔力の高い子どもの心臓を食えば、千年にも及ぶ長寿を手に入れられると思っていたし、幼少の頃から育て上げ道具として使おうとするものもいる。
彼女は、そんな薄汚い思惑の下に生かされる。劣悪な環境の中で、生き血とノミと醜悪を貪るような生活をしてきた。
三歳で剣を握り、五歳で人を殺し、十歳で龍を骸に変えた。
獅子は我が子を千尋の谷に落とし、スパルタでは子供の食事量を制限することで、欠食状態に備えさせる……一重に、彼女が常人を遥かに超える剣才を身に着けたのは、地獄という環境に身を置いたからだった。
グレイ・エウラシアンは、そんな玉石を見つけた。
数百の龍種《飛》が王都を襲撃した飛龍災害……ユウリ・アルシフォンが118匹の龍を幅広剣で撃ち落としている傍ら、緊急との連絡を受けて馳せ参じた彼は、出動していた兵士に囲まれている彼女を見つける。
「コイツ……き、斬りやがった……!」
黄色と茶色で汚れた布切れで、申し訳程度に全身を包んでいる少女……彼女は、ぼーっとした目つきで、刈り取った龍首の上に立ち、付け根から右腕をなくした兵のことを観察していた。
大量に出血して転げ回る男は、息も絶え絶えに喘鳴を上げている。
「な、なんだコイツ、ふ、ふざけやがって……可愛がってやろうとしただけだろ……か、金も渡すと言っているのに……」
戦時にかこつけて、女を貪る愚者か。
グレイには、助ける義理も縁もない。戦場にいれば、食事風景と同じくらいに視る光景だ。
興味が湧く筈もなく、彼は足早に王城へと向かおうとする。
が、彼は見た。
一、二、三、四、五、六……人間が六分割される。
首、首、首、首、首に首。
どしゃりと音がして、“首だけ”が転がった。
人体を分割すると同時に、剣の腹で余剰を飛ばしたと気づいた時、グレイ・エウラシアンは目を細める。
疾い。稲光の歩法ほどではないが、単純な魔力流出だけで行ったとなれば、この幼い身で信じ難い才能。
まさしく、彼女は、彼が求める力だった。
「あ……え、エウラシアン殿……っ!」
たかがスラムの小娘相手、己の愚行を顧みず、応援を呼んだらしかった。
阿呆面浮かべて雁首揃えた兵士が一ダース、グレイ・エウラシアンの放つ剣気も知らず、僥倖と言わんばかりに顔を輝かせる。
「エウラシアン殿!! この女、我らが同士の首を刎ねました!! その目で確かめずとも国敵!! 災禍広がるこの時中、内面を現した逆賊どぅえすぅ」
聞くのに飽きて、顎から下を撥ね飛ばした。
「な」
情けで、一言だけ残させてやった。
『な』の一文字が耳内で残響している間に、グレイは十二の首だけを残して、胴体を宙空で飛翔する龍に直撃させる。
首なし死体が、体躯に食い込み臓腑を破壊し背から飛び出る。激痛の咆哮を喉から迸らせ、双翼を塔に叩きつけながら墜落していく飛龍は、どこからともなく飛来した幅広剣に貫かれて外地に落ちた。
「……ユウリ・アルシフォン」
わざわざ、王都の民を救うために、余力を割いているらしい男。机上の空論とも言えるバケモノ染みた力を振るうとささやかれるが、剣を振らずに投げている時点で、グレイの感心を惹く対象には成り得なかった。
血まみれの少女――彼女は、不思議そうな目つきでこちらを観察している。
「なぜ、首だけ残した?」
「……もってこいって言われるから」
首を傾げ、彼女はささやく。
「死人の証なんだって」
スラムに巣食う兇手に“教育”されているか。実行をこの娘にやらせ、首を持ち帰らせることで、報酬を懐に入れているらしい。
改めて、身なりを見つめる。
シラミのたかった黒髪、生気のない澱んだ紅い瞳、肌は油と汚れで黒ずんでいて、唯一の着衣は茶黄色に染まって異臭を放っている。
注視するまでもなく、金に汚れてはいないな。仕事に対する正当な報酬は、一欠片も味わっていない。脳は空っぽで扱いやすく、剣の扱いのみを頭に詰め込まれたと視える。教え導く者がいれば、今からでも十二分に“貴族ぶれる”か。
最早、心は決まっていた。
手のひらで少女の頭を握りつつ、隷従を教え込む。
グレイ・エウラシアンは、昔から操心を得意としていた。洗脳とも言える言い聞かせで、人を操ることができる。
剣才とは異なるその才で、グレイは彼女が必要としているものを察した。
そして――与える。
「シルヴィ」
名前。名付ける。瞬間、彼女の目が輝いたのを視た。
「お前には、剣の才がある。雷神に愛されている。稲光の足運びの“次”に、踏み込める」
彼は、ゆっくりと、それが真実だと言い聞かせる。
「だから、来い」
優しく、彼は手を差し伸べる――少女の必要としていた、救いを。
「お前は、今から、俺の娘だ」
少女は手をとって、彼の剣となった。