マルス・エウラシアンは、選択をする
――貴方様の妹、どちらかに死んでもらいます
「な、なにをバカなことをっ!!」
アカの言葉に対して、フィオールは激昂で応える。
「なぜ、剣戟防層を突破するために、死人が必要なのですか!? 葬式を始めるつもりはないっ!!」
目を細めたアカは、人差し指を立てて、しとやかに息を吐いた。
「おひいさま、疑問を憤怒で誤魔化すのはおやめなさい。現実逃避は結構ですが、可愛いあなたの出る幕ではないのですよ」
「なにを――」
マルスが右腕を突き出すと、妹は悔しそうに口を噤んだ。
「聞こう」
「お利口な鎧で助かりまする」
嫣然と笑んで、アカは語り始める。
「剣戟防層は、神経系の情報伝達と処理の速度を魔力強化し、“反射”としてあらゆる侵犯から己を守る絶対防御……如何に、稲光の歩法を用いて死角をつこうと、異様な段階まで引き上げられた五感の感知網にかかり迎撃される。
つまり、ガラハッドに攻撃は通用しない」
神経系の魔力強化、そんなことが可能なのか?
同じことを思っているらしいフィオールは、疑惑をありありと顔に浮かべて、窺うようにこちらを覗き込んでいた。
「……神経系の強化に、意識が及ばなくなった瞬間の狙撃は?」
「それを恐れていたから、ヤツは擬態魔法で姿を変えて、この街の住人を囮人形に変えたのでしょう?」
「精霊篝の監視網があり、精霊の数でガラハッドの特定ができるのであれば、街民に紛れていようと狙撃が可能ではないですか」
「私なら、いついかなる場合でも、街民を周囲に侍らせて肉盾を形成しますがね。
角度をつけて上方から弩で狙うにしても、得意とする者は誰もおらず、この暗闇の中、狙撃位置は足場の優れない樹上……警戒の及ばない一発目で、急所に当てられる自信はお有りですか?」
場が静まり返る。マルスは、尋ねる他なかった。
「なぜ、妹のどちらかなのだ?」
「騎士様、お答えいたしまする。
ガラハッドの剣戟に耐えられるだけの、魔力操作と剣術を備えている必要性があるからですよ」
「……つまり、肉盾ではないか」
正解だと言わんばかりに、アカは指を鳴らした。
「ガラハッドの剣戟防層の及ぶ範囲は――」
シルヴィとの戦闘で砕け散ったベンチの破片を拾い上げ、アカは自分の周囲に円を描く。
「腕の長さ+剣の長さ、約2メートル。この円内に入った相手を、無差別に反射で斬り伏せるのが剣戟防層」
「待って、待ちなさい」
フィオールは、妙案を思いついたと言わんばかりにニンマリとする。
「貴女の言いたいことは、大体、わかりましたよ。つまり、わたしかシルヴィのどちらかが、ガラハッドの剣戟に耐えている間に、お兄様がヤツを斬り倒すということですよね」
「正確に言えば、ガラハッドの剣戟の反射許容範囲を超えるほどの速さで斬りつけながら、同時に反撃手段を抑えるため斬り刻まれて欲しい、ですが。
続きをどうぞ、おひいさま」
「でしたら、わたしと貴女、そしてシルヴィで、遠くから絶え間なく、石ころでも投げつけ続ければいいではないですか!
そうすれば、ヤツの剣戟を封じることが――」
大きなため息。
うんざりしたかのように、アカは首を大きく横に振る。
「騎士殿。あなた様の妹君は、脳みそが直立しておられるのですか? ココまで思考が真っ直ぐな人間は、久しぶりに拝見いたしました」
「な、なにがいけないのですかっ!!」
顔を真っ赤にして、反駁する妹の肩に、マルスはそっと右手を置いた。
「第一に、投擲はそうは当たらん。第二に、ガラハッドが街民を盾にするという前提を失念している。第三に、ガラハッドの反射許容範囲を超えるほどに、絶え間なく石を投げられる人間はおらずそれだけの石ころも存在しない。
最後に、お前はシルヴィを愛し過ぎている。だから、眼が曇り、冷静さを欠いて、適当ではない発言をするのだ」
言えば言うほどに、フィオールの顔面は苦渋で歪んでいく。まるで、愛する人間に裏切られたかのように、蒼い瞳が疑念でゆらめいていた。
「お兄様は、シルヴィに死ねと言うのですか!?」
この子は、我がシルヴィを犠牲にすると思っている。無理もない。あの子に出会ったのは最近で、エウラシアンの家名を考えてみれば、必然的にそういう選択をすることになるのだから。
くすくすという笑い声。
振り向きざま、殺気の籠もった視線で、フィオールはアカを睨めつけた。
「……なにがおかしい?」
「いえいえ。御自分でわからないのですねぇ」
身に着けている紗で口元を隠しながら、彼女は流し目で妹を見つめた。
「御自身で、騎士殿に『妹のために死ね』と仰っているのに、気づいていらっしゃらないのですか?」
愕然――フィオールは、目を見開いたまま立ち尽くす。
呼吸の音がしない。このまま息をするのをやめていれば、この瞬間から時が動いたりはしないと思い込むように。
数十秒後。彼女は、ようやく口を開いた。
「ち、ちが……わ、わたしは……!」
「酷いことを言うのですねぇ。自分も自分の妹も死んで欲しくないから、剣戟防層の対応策もなしに挑み、無駄死にして欲しいだなんて」
「そ、そんな、ちが――」
「違ってはいない」
無表情で、アカは眼をひらく。
「それが選択ですよ、おひいさま」
「よせ」
フィオールを背の後ろに隠すと、アカは実に嬉しそうに笑った。
「騎士殿。私は、信じておりますよ。あなた様は、選ぶことのできる側の人間であると」
神託の如く、彼女はささやく。
「なにを選ぶにしても、後悔はしないように」
マルスは――ただ、黙って、立っていた。
そして、現在。
マルス・エウラシアンは、傷だらけのシルヴィを背に、剣戟防層を要するガラハッドと対峙している。
「お兄様……?」
不安気に見つめる妹。彼女の“紅色”の瞳を見つめてから、マルスは選択を口にする。
「シルヴィ」
彼は、言った。
「我を信じてくれるか?」
シルヴィ・エウラシアンは、悟ったかのように微笑んで――こくりと頷いた。