モードレッド①
鏡の中に入った――とでも、思っているのだろう。
唖然としているマルス・エウラシアンの前、偉そうに突っ立っているトリスタンに手を振った。
「あ~、もういっすよ~。おつかれ~」
「……で、なにするつもり?」
心紙の空観を身に着けた彼女は、紙吹雪の繭が二足歩行しているようにも視えた。
モードレッドは、微笑して答える。
「ひ・み・つ」
トリスタンは、大きくため息を吐く。
「ま、いいけどね。お互いに利がある状況、あなたが裏切るとは思えないし。コレでも、信用してるのよ?」
『ごめん、裏切るわ』とか思いつつも、モードレッドは、鏡に空けた空間の歪みに入って消えゆくトリスタンを見送った。
「さ~て、では、ガールズトークでもしましょっか?」
「……我は男だ」
「そのどデカイ鎧の中身が、華奢な女の子だったほうが萌えません?
まぁ、いいや、お掛けになって」
腰を下ろすつもりはないのか、鍔に手のひらを当てた状態のままで、マルスは立ち尽くしている。
背もたれを前にして座り、モードレッドはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「協力して欲しいんすよ」
「なにを?」
直情的に動かない。ただ立っているだけのように視えて、死角を塞ぐために、背を壁につけている。兜で目線を隠しながらも窓の外を窺い、場所の特定を行っている。話にノッているように見せて、情報を引き出そうとしている。
なるほど、軍神と言われるだけはあるっすね……少なくとも、阿呆じゃない。それに、自制心と度胸もある。戦場では重宝されるわけだ。
「エウラシアンの雷光、あんたの父親、『グレイ・エウラシアン』を」
モードレッドは、ニコリと笑いかけた。
「殺して欲しい」
剣閃が――瞬いた。
首が飛んだ錯覚。実際には、皮一枚で刃は止まっている。つうと血が垂れ落ちて、床に斑点の作品を描いた。
「……口で答えて欲しいか?」
「ノーというのは、知ってましたよ~。うへへ、思ったよりはぇえすね。コレで能無しとか言われてんだから、エウラシアンはどんだけのバケモノ揃いなんだか」
褒めた瞬間、マルスが咳き込む。モードレッドのモノではない赤色の飛沫が、床に新しい絵画を生む。
「あ~……口で答えなくていいっすよ?」
ぬぁるほどね。病身ゆえに、まともに剣が振れないのか。魔力を放出させて肉体を加速させるなんて頭おかしい芸当、稲光の足運びなんてやったら、それこそ命に関わるわな。
「な、なぜ……父上の命を狙う……?」
「簡単に言えば~、商売敵だからっすね。とある願いを叶えたいんすけど、その時に、お父上が障害になるんすよ」
「願いを……叶える……?」
「神の採択」
黙り込むマルス・エウラシアンに、モードレッドは懇切丁寧な解説を施した。話が進めば進むほどに、呼吸すら忘れたかのような彼は無音の彫像と化していく。
話を終えて数分後、マルスは口を開いた。
「円卓の血族……お前はその組織に属しているが、彼らとは望む願いが違う……神の採択を発動させるために、協力関係にはあるが、最後には裏切るつもりだということか……」
「とゆ~か、今日、裏切ります。なう」
「つまり、父上はお前らの企みごとを止めようとしているのだな?」
あぁ、可愛そうな子。
モードレッドは、そっと彼に耳打ちする。
マルス・エウラシアンは――よろめいて、自身を支えようとした机ごと倒れた。
「ば、バカな……あ、ありえない……あの父が……し、信じられん、よ、世迷い言を……そんな、バカな……」
兜を取り去って、マルスは感情を晒した。
「嘘だ……」
「ひっでぇ言い草。アレだって、人間だよ。鋼で出来てて、金床の肚から産まれたとでも思ってた?」
正気をなくしたかのように、ぽかんと虚空を眺めるマルスを見て、モードレッドは話す順番を間違えたと舌打ちする。
「ほれほれ、正気に戻りなお坊ちゃん。本題は、これからだぜ? おしとやかに腰抜かして、お嬢様ぶるのはおしまいにしな」
腕に触れると、思い切り打ち払われる。
あまりにもショックだったのか、マルス・エウラシアンが、まともに口を利けるようになるまで数十分もの時間を要した。
「……お前の嘘など、誰が信じるものか」
「その割には、素直に受け入れちゃってんじゃ~ん? たぶん、お前さんも、そう思いたいんじゃな~い?」
睨みつけられる。モードレッドは、肩を竦めた。
「つまり、だ。マルス・エウラシアン君。亡き母上の『救いなさい』という遺言を守るためには、あの剣の化身とでも言うべき、グレイ・エウラシアンお父さんをブチ殺すしかないんだよ。
おわかり?」
「……無理だ、勝てん」
「ははっ、なら、無辜の民を見殺しにしな」
モードレッドは、目の色を視る。
ダメだ、コイツ、心ボッキボッキに折れちゃっとる。ガキの頃から目つけてたけど、あの父親に躾けられればこうなるわな。アーサー陣営の対策がキツいから、可能であれば、そっちはコイツに投げたかったんだが。
しゃあない、記憶消すか。
モードレッドは、両眼の魔法陣を回転させて――彼がゆらりと立ち上がったのを見て、魔力を抑え込んだ。
「……今のままでは、勝てん」
目の色が、変わる。
お。いいねぇ。いい色してるじゃん。あの空色の瞳の女の子みたいだ。
「だから、我は強くなる」
冷めた蒼色――様々な絶望を混ぜ込んで、彼は希望を口にした。
「もう、誰も救えないのは嫌だ」
モードレッドは、愉悦を口端に浮かべる。
「なら、私がくれてやる……代わりに、あんたは私の願いを叶えろ」
彼女は、言った。
「自分が“無意識”に増殖するこの魔術」
己の罪をなぞるように、何度もえぐろうとしてえぐれなかった、生まれ持った“呪眼”に両手を当てる。
「この世から――消し去る」
マルスの眼に、意思が灯った。