考える葦、考えない葦に敗北する
撒いた――樹壁を蹴り上げたアカは、ユウリ・アルシフォンの前に下り立つ。
(ガラハッドは、捕捉した?)
(はい! 陸番の精霊篝前で、シルヴィ・エウラシアンと交戦中! フィオール・エウラシアンは気を失ってるみたい!)
天が私に味方している。
思わず、薄っすらと笑みを浮かべていた。マルス・エウラシアンに取り引きを持ちかけた時から、彼女は最良の道筋を思い描き、選択肢を狭めることで彼のことを誘導してきた。
二択を提示された時、人は無意識にどちらかを選んでしまう。
だからこそ、マルス・エウラシアンは、愚かにも私の提示した選択肢に手を伸ばしてしまった……別の手段を講じるような時間もなかったし、人員の問題もあったから、最良の選択をしたわけだが。
(マルス・エウラシアンに伝えなさい)
アカは、勝利を口にする。
(ガラハッドの位置……シルヴィ・エウラシアンは交戦中であり、フィオール・エウラシアンが『死にかけている』と)
(えぇ~? 無料でそんなこと教えちゃっていいんですか~?)
現状を把握していないらしい愛子に、アカはそっとささやいた。
(人には、親切にしなければなりませんよ)
精霊篝を介した通信を切断し、無表情で立ち尽くしているユウリ、七人の五つ目の少女たちに目線を移す。
さすがは、モードレッドと言うべきでしょうか……魔力放出量の微調整が上手すぎる……擬態魔法であれば、纏わりつく精霊の多寡で判別はつくでしょうが……姿形まで一緒、魔力放出量まで真似られれば見分けがつかない……
早々に見切りをつけたアカは、ユウリにニコリと笑いかける。
「ユウリ殿、ご無事でなによりでした」
「…………」
僅かに身じろぎして、ユウリ・アルシフォンは無言で返事をした。
相も変わらず、なにを考えているのかわからない御方。身振りと口頭による情報漏洩を気にしているのでしょうが、ココまで徹底されると『怪物』という言葉すら頭にチラつきまする。
「話は聞きましたが……ユウリ殿は、モードレッドが、どの肉体に入っているのかご承知とのこと」
アカは、表情を巧みに変えて、哀れみいっぱいの顔でユウリに迫る。
「どうか、教えては頂けませんか? 我らが念願、ようやく果たす時がきたのです。この呪いから解放される日を、一日千秋の思いで待ち望んできたのです」
「……そうか」
沈黙。なぜか、ユウリは突っ立ったまま、口を開こうとはしない。まるで、自分が何もしらないかのように振る舞っている。
なるほど、沈黙の交渉術ですか。無言で圧力をかけてきている。無料で譲歩するほど、安くはないということのようですね。
交渉術にまで優れているとは、この男、どこまで底が知れないのか……唾を飲み込みながら、アカは笑顔で提示した。
「お望みのモノを全て差し上げます。こう視えましても、私、ルィズ・エラを裏で治める身。財力には自身がありますゆえ、きっと、ユウリ殿の望むなにもかもを叶えて差し上げられまする」
「…………」
目を逸らされる。どうやら、具体性が欲しいらしい。
「では、見目麗しい女性を傅かせましょう。貴族連中が駄犬に成り下がり、舌で息を吸うような美女たちです。ユウリ殿のお気に召すと思いますよ」
「…………」
ユウリ・アルシフォンは、答えてはくれない……アカは必死に選択肢を提示し、二択も用意するが、そもそも口を開かないので選ばない。まるで、アカの話術が通用しない。
この男、欲というものがないのか!? 先程から、うんともすんとも言わず、はぐらかすばかり。交渉する余地すらないとでも言いたいのだろうか。
苛立っているのを自覚した時、コレがユウリの狙いだと気づいた。
アカは、どうにか、心身を落ち着かせる。
「で、では、なにを? なにを差し上げればよいのですか? どうすれば、あなた様は、私に与えてくれるのですか?」
「……無料でいい」
「は?」
思わず、間抜けた声が出る。
無料……え……今までの交渉術はなに……ど、どういう駆け引きをしてきているの……ま、まったく思考が読めない……
混乱するアカの前で、ユウリは言った。
「……シルヴィは、戦ってるのか?」
背筋が――凍る。
な、なぜ、精霊篝を介した会話内容を把握している!? い、いや、有り得ない!! 数年かけて構築した術式で、復号化には数十年はかかる暗号を作り出し、幾重にも鍵をかけている!! ココに来て数日の人間が、復号化に成功して会話内容を聞き取るなんて不可能だ!!
思考が巡る。恐慌を起こしかけたアカは、深呼吸をしてパニックを遠ざけた。
落ち着け。落ち着いて。ただのハッタリよ。どれだけ魔法、魔術に優れていようとも、私たちの術式は解読できな――
(こんにちは)
脳内に、ユウリ・アルシフォンの声が響き渡る。
(こんにちは)
挨拶してくるっ!! 暗号破って、挨拶してくるっ!!
(……こんばんは?)
返事がないから、今は夜かと疑ってかかっているっ!!
「ば、バカな……あ、あなたは一体……」
「……待て」
ユウリ・アルシフォンは、両手を逆手で組んで裏返し――くるりと回転させて、両手の内側にできた穴を覗き込む。
「……今、教える」
そう言って、彼は真剣な顔つきで言った。
「……どーちーらーにーしーよーうーかーなー」
真顔のままで、ユウリ・アルシフォンは五つ目の少女たちを順番に指差し、小さな声で『数え歌』を歌った。
「……かーみーさーまーのーいーうーとーおーりー」
そして、最後に指さした少女を見つめ、自信たっぷりに頷く。
「……彼女がモードレッドだ」
ダメだ。
アカは、脂汗を流しながらささやく。
「……私の手には負えない」
敗北感に打ちひしがれ、彼女は敗けを認めた。