マルス・エウラシアン①
マルス・エウラシアンは、エウラシアン家の長男として生まれた。
エウラシアン家は、武家である。
人魔大戦で数多くの御首を挙げたエウラシアンは、名門として王からの信頼も篤い。秘伝である稲光の歩法も世に名高く、大戦後にいち早く天災害獣対策の必要性を掲げ、国政を補佐する宰相としての立場も手に入れた。
つまり、エウラシアン家は、“チカラ”によって成り上がってきた家系だとも言える。
そんな武をもって世を統べてきた家柄、期待されて生まれてきた男の子は、病弱であり異様なまでの痩躯だった。
「……お前には」
7歳の彼を木刀で打ちのめし、泣きじゃくる体力もない実の息子へと『エウラシアンの雷光』と呼ばれた父は言った。
「才がない」
七年で――マルスは、見捨てられた。
なにせ、一日の大半はベッドの上、暴力は好まず心優しい。持病の喘息によって長時間の運動は命に関わり、常人よりも体力がないため、魔力中毒の症状が死に直結すると医師に告げられた。
「う~ん、マルスさん」
そんな彼の味方は、日がな一日、蝶々を目で追うような――従者に言わせれば『ノロマ』――の母親だった。
「あなたには、あなたの生き方があります。エウラシアンの一員だからと言って、トゥ! このように! 剣を! 振ることは! ないのですっ!! うおりゃ~!」
ニコニコとしていて、笑顔以外見せたことのない母は、ふんにゃりとした剣筋を魅せつけて胸を張る。
「えっへん!!」
励まそうとしているのはわかったが、彼はなぜ母が得意気なのかはわからなかった。たぶん、自信だけはあるのだろう。
「マルスさん。マルスさんには、きっと、想像もつかないような“チカラ”が眠っていますよ。ソレはなにも暴力だけではないのです。もっと素敵で綺麗なものが、あなたの中でおねんねしているのですよ」
自分の息子に『さん』付けをする後家の彼女は、従者の殆どにバカにされ蔑まれていたが、いつも笑っていた。
「綺麗な蒼色の瞳、母と同じ素敵な瞳。
どうか、あの人を恨まないであげてくださいね。おかしなくらい、不器用で前しか見れないような御方ですから」
だから、マルスも笑おうとした――妹が生まれるまでは。
「……ほぅ」
フィオール。
フィオールと名付けられた妹は、5歳の時、稲光の歩法を成功させ父の木剣を全て捌き切って見せた。
12歳のマルスは、柱の影からそれを見守り、素直に妹の才能を喜んで『すごい』と褒めてやろうとした。12歳の自分には出来ないことを成し遂げた彼女に、兄として心優しい言葉をかけたかった。
だから、駆け出し――
「フィオール」
見たことのない、“満面の笑顔”で凍りついた。
「お前には、才がある。いずれ、俺すらも超えるかもしれん」
笑っている。父が。あの父が笑っている。
いつも、マルスの前では仏頂面だった父親が、実に嬉しそうな顔で妹の頭を撫でていた。頬を上気させているフィオールは、木刀を胸に抱えて、ぴょんぴょんと楽しげに跳ね回っている。
「父上! 父上! もっと、剣を教えてください! フィオールは、もっともっと、すごい剣を知りたいです!」
「ほう、まだ求めるか。魔力だけではなく体力も備わっている。“アレ”とは、まるで出来が違うな」
マルスは、手を伸ばしたまま、隠れることも出来ずに固まっていた。
「血が悪かったと思っていたが……あの出来損ないの女でも、魔力だけはあったからな……肚を変えるか迷ったが、まだ可能性は眠っているか……」
「お兄様?」
気づかれる。父の冷たい眼差しが、彼を貫いた。
「なんだ?」
価値のない、不要物を蔑む眼。
耐えられず、マルスは背を折って思い切り咳き込んだ。肺が傷ついたのか唾液に血が混じり、従者がまたかと言わんばかりの顔で近づいてくる。
「お兄様!!」
「要らん。剣を構えろ、フィオール」
「で、ですが、兄様が――」
「誰が戯言を構えろと言った。
剣を構えろ、フィオール。三度目はない」
こちらに駆け寄ろうとしていたフィオールは、父親と兄の双方をキョロキョロと瞥見し、申し訳なさそうに直剣を構えた。
「片付けておけ」
「え? ぼ、木剣でしょうか?」
「阿呆が」
父は、気を害したとばかりに顔を歪めた。
「そこの愚図に決まっている。
稽古の邪魔だ、納屋にでも入れておけ」
四つん這いになって咳き込んでいたマルスは、心の奥底では『父は、自分を愛している』と信じていた。盲信して、信頼していた。
だからこそ、彼は立ち上がることも出来ず、酸っぱい胃液を口内に溜めたまま、異様な悪寒を感じていた。
害虫を煙たがるような父の眼が、彼の心をぐちゃぐちゃに傷つけていた。
「ま、マルス坊ちゃま。し、失礼いたします」
脇を抱えられて引きずられていく彼の耳に、ぼそりとつぶやいた父の言葉が入ってくる。
聞きたくもないのに、入ってくる。
「……アレは、肚違いかもしれんな」
マルスは、剣を振るう妹を見つめ続けていた。