選べなかった王子様
怒涛の人波――教会になだれ込んだ暴徒を前に、マルス・エウラシアンは儀礼剣を構える。
「貴女は、下がっ――」
「騎士も冗談を嗜むのですね」
戯れる妖精が如く、舞い上がった花びらを思わせる動き。
五つ目の首領たるアカは、褐色の肌に浮かぶ紋様を碧色に発光させて、飛び込んできた男性を――手のひらで衝いて、反時計回りに捻った。
ぐるん、回転。
重心を胸の中心に据えられた男は綺麗な円を描き、踏み込みと同時に押し出され、床をバウンドしていく。その間も暴力の渦はアカを襲っているが、彼女は実体をもたぬ幻想のように捕まらない。
体術。生半可な練度ではないな。
五つ目の少女たちの肌に刻まれた紋様、アレは恐らく“術式”だ。基本的に事物に描くことで効果を発揮するものを、肉体に適用することで運動性能を高めているのだろう。
瞬発的に魔力を体内伝導させるよりも、体外の肌を伝って全身に適用したほうが、速度、消費ともに効率的だ。
「騎士殿、遊び相手がねだっておりますよ」
背後から飛びかかってきた女性の顎へと、マルスはそっと切っ先を添える。と同時、擦るような形で振った。
脳震盪――顎の先を叩くことで起きる、テコの原理による“揺れ”。脳みそがシェイクされた彼女は、ガクンと上体を反らして倒れ伏す。
「襲いかかる相手の顎先をピンポイントで狙い、肌を裂くこともなく脳を揺らすなんて芸当。さすがは、軍神と讃えられるだけはありますね」
「ただの大道芸だ。妹のほうがもっと上手くやる」
エウラシアン家で最も才能のない彼は、深々とかぶった兜の内側で自嘲気に笑っていた。
こんな状況下でも、妹を引き合いに出して、矮小化を図る己の弱さに。
「しかし、軍神殿……貴方様に懸想する殿方が多すぎるようですね」
「せめて、女性であって欲しかったが」
幾ら無力化しようとも、教会の大扉から湧いてくる群衆は留まるところを知らない。当初の目的である、フィオールとシルヴィの脱出は果たしたものの、こう数が多くては離脱すら難しい。
「実にえげつない消耗戦……ますますもって、ガラハッドらしくもない。あの好々爺、正面からの決闘を好む、昔ながらの騎士だと思っておりましたが」
「心境に変化があったのではないかな?」
余裕ぶって会話を行っているが、現状、まさしく消耗戦。マルスはルィズ・エラの人口を把握していないが、こちらが力尽きるほうが早いことは容易に計算できた。
「あの鼻持ちならぬ翁が? ひとりの少女を助けるためだけに、億を殺そうとしているうぬぼれ屋ですよ? 己の信条を曲げられるようであれば、純朴な諦観に浸っているでしょうね」
「では、なんと解く?」
足の甲の踏みつけ――痛覚に対するアプローチは無駄であったが、一時的に相手の動きを止めたアカは掌底で顎を撃ち抜く。
「“裏”がある」
「……今が表だとは到底思えんがな」
そんな会話の最中、マルスは、アカの動きが一瞬止まったことを見逃さなかった。
「どうした?」
「……いえ、別に」
束の間、アカの魔力が“揺らいだ”な。
――五つ目たちは、精霊がより集まることで形成される精霊篝を介して〝遠隔通信〟を行うことが可能
マルスは、アカの言葉を思い出す。
あの時に見せられた地図、この教会の付近にも精霊篝が存在している。だからこそ、フィオールたちの脱出の際に、二名の五つ目に連絡を行い援助を申し入れることができた。
天才的とも言える思考力で、彼はアカが見せた刹那の隙を見切る。
この女……今、他の五つ目と“連絡”をとったな? この危機的状況で、魔力を揺らがせたのは、集中力が切れた証。つまり、相手側から連絡が入った。
内容を隠したということは、我に聞かれては困るという意味合い。その筋で追えば、間違いなく追っているフェム(モードレッド)関連。
もう、見つけられたか。悠長に児戯に浸っている場合では――アカの目玉が彼を覗き込み、マルスは跳躍した彼女に手を伸ばす。
指先が、かすめる。そして、彼女は逃れた。
「今日この日、ユウリ殿以外の殿方に驚嘆するとは思いませんでした。この状況下、限られた情報で辿り着くとは……褒め言葉をお贈りしますよ、この“バケモノ”」
気取られたっ!
サンダルを脱ぎ捨てて素足になったアカは、教会の壁を蹴り抜きながら駆け上った。割れたステンドグラス、天使の顔面があった箇所に腰掛けた彼女は、嫣然とした笑みを浮かべて彼を見下げる。
「申し訳ありませんが、モードレッドの御首は頂戴いたしまする。裏のあるガラハッドよりかは、表向きになっている彼女を殺すほうが楽そうなので」
「契約破棄とは、信頼関係すらも裏返すおつもりかな?」
マルスは、右手を通して、儀礼剣に魔力を籠める。
「お互いにどちらが“裏”かだなんて、もうお忘れになってしまったでしょう?」
彼女は、寂しそうに微笑んだ。
「この外面……脱ぎ捨てられる瞬間がきたのですよ。待ちわびました。ようやく、あの子たちも解放される」
「そうか」
マルスは、数瞬、わざと視線を外し――釣られたアカへと、全力で儀礼剣を投擲した。
稲光の如く飛翔する直剣。空気中の魔力を切り裂きながら飛ぶ剣先は、雷鳴を思わせる轟音を放つ。生じた風圧で、教会の天井壁床が軋んで歪んだ。
その閃光は、アカを捉え――
「おっと」
たように視えたが、彼女は衣服を破ってくぐり抜ける。
「私を狙えば、間違いなく殺せていましたよ。さすれば、モードレッドも助かったでしょう。
だが、貴方は選ばなかった……いえ、選べなかった」
過去の悔恨が、ずきりと彼を痛めつける。
「おさらばです、可愛らしい王子様。その不格好な外面、あまり似合ってはおりませんよ」
アカは、ひらりと外に消える。
両腕で群れを押し留めていたマルスは、歯噛みをしながら、彼女を見送ることしかできなかった。




