綺麗事が語る選択
真っ赤に色づく瞳を閉じて、眠りについている妹を見つめ、フィオール・エウラシアンは知れずため息を吐いていた。
「どうやら、誘き寄せたようで誘き寄せられたのはわたくしのようですね」
魔力で修繕された大扉の前には“大量の長椅子”が高く積まれており、時折、“外側から加わる応力”でギシギシと音を立てる。
ガラハッドとユウリが消えた後、押し寄せてきた“大量の人間”たちは、誰も彼もが正気を失っておりまともに対話すらもできなかった。
友好的ではない彼らがしたことと言えば、“明確な殺意”をフィオールたちに向けることだけだ。
「ふふ。よもや、ルィズ・エラの“住民全員”を洗脳しているとは、思いもよらぬこと……肉盾が守ってくれるだけではなく、率先して敵をミンチにしてくれるのですから、調理者としては楽なことこの上ない」
「……笑っている場合ですか?
現状、住民相手に手を出すわけにはいきませんし、私や兄の魔力量では手心を加える方が難しい。その上、帯びているのは式用の儀礼剣のみで、兄の刷いていたものはシルヴィとの打ち合いでもう使い物になりません。
頼みの綱のユウリ様は深手を負い、傷を癒やすため身を潜めているんですよ?」
ついつい詰問調になったフィオールに対して、垂れ布で顔を隠した褐色の女性は、おっとりとした動作で腰掛ける。
「つまり、わたくしたちは“詰んでいる”」
「何を他人事のように!! あのガラハッドとかいう輩が式に紛れ込むことを、貴女は知っていたのでしょう!?
そもそも、貴女たち五つ目は、一体なんの組――」
するりと垂れ布を落とした彼女の顔面が露わになった瞬間、猩猩緋の民特有の燃え上がるような赤紫の髪の毛がふわりと広がり――直ぐ横にいたマルスが、びくりと身を震わせる。
「騎士殿、あの女をその眼で捉えたのですね?」
無感情を宿した両眼で、彼女はじっとマルスを睨めつける。
「……知らぬ」
「ガラハッドを視認した際の反応で“理解”いたしました。あなた様は、奴らを知っている側の人間であると。
どこにいるのですか? あなた様の直ぐ傍にいるのでしょう? わたくしを“こんな顔”にした張本人が」
瞳に描かれた円形魔法陣が燐光を発しながら回転し――魔法を発動する直前、稲光の足運びで接敵したフィオールが首を掴む。
「魔力を収めなさい。さもなければ、一生寝違えたままになりますよ」
「お優しいお嬢様、ご心配をありがとう。されど、わたくしは寝付きが良いほうでして、お気遣いはいりませぬよ」
気道を塞ぐようにして親指をめり込ませるが、アカはのほほんとした表情で微笑みながら立ち尽くしている。
緊張感で空気が張り詰めて、互いの発する殺意が肌を痺れさせた頃、マルスから「フィオール、離しなさい」という命が下った。
「しかし!!」
「いいから、離しなさい。首を締められている美人相手に、会話を弾ませられる自信はない」
「お上手だこと」
力を入れすぎて震え始めていた手を離すと、彼女は赤々と残った指跡を気にもせずに、フィオールからマルスへと視線を移す。
「では、勇敢なる騎士殿、もう一度お尋ね申しまする。
あの女を知っていますね?」
「円卓の血族」
聞いたこともない単語が飛び出し、アカの目が細められる。
会話から弾き出されたフィオールは、手持ち無沙汰になった身を落ち着かせようと、数歩後ろに下がった。
「円卓の血族を憶えていられる方法は、『常に円卓の一族と共にいる』か『円卓の一族から強い〝感情〟を抱かれているか』しかありませぬ」
「であれば、前者ということになるな」
「今、どこに?」
教会内が静まり返り、大扉に殺到した者たちが扉に体当たりを繰り返す音が響き渡る。あたかもその音は、訃報を知らせる鐘の音のように聞こえた。
「わたくしを案内してくださいますね、あの女の元に。奴らが仕出かす前に、わたくしは“復讐”を完遂させる必要があるのです」
「現況、ガラハッドとの対峙に全力を尽くすべきではないかな?」
「では、ガラハッドを打ち倒した後、ヤツを引き渡すことをお約束してくださいますね?
首を横に振るのであれば、五つ目は、今回の件から手を引きます」
思わぬ言い分に、フィオールは焦燥を口走る。
「なっ……なにをバカなっ! アレを放置しておけば、ルィズ・エラがどうなるかくらいわかるでしょう!?」
「飽くまでも、五つ目はヤツへの復讐のために作られた組織……自警団の姿をとっているのは、金銭を徴収して組織を保つために過ぎませぬ。
正義の味方は、儲かるのですよ」
「貴女は……恥ずかしげもなく……よくもそんな……」
両眼の魔法陣を回しながら、愉しそうにアカは口端を歪めた。
「優先順位の話ですよ、おひいさま。
貴女様だって、実の兄と他人、どちらかしか助けられぬとなれば、実の兄を選ぶのでしょう?
円卓の血族を殺せば世界を救えるというなら喜んで救いますが、世界が滅んでも復讐を終えられるというなら謹んで世界を滅ぼします」
当然の如く言い切った彼女に対して、自然とフィオールの口から言葉が漏れた。
「ユウリ様なら、どちらも救います」
アカは――嘲笑った。
「そうやって選ぶことを諦めた人間が、いつか、どうしようもない選択を迫られた時……貴女は、同じセリフを吐けるのですか?」
二の句を告げずにいるフィオールへと言い聞かせるようにして、アカはゆったりと語りかける。
「ガラハッドは、擬態魔法を用います。つまり、洗脳した町民になりすまして、わたくしたちに陰から襲いかかるでしょう。
ルィズ・エラの精霊を使役せしめる五つ目であれば、人間と擬態に纏わりつく精霊の量で判別がつく上に“数”という力がありまする。貴女方二人では、ろくに探索すら出来ず背中から刺されるだけでしょう。
強い感情を抱かせることで一時的に洗脳を解除できたとしても、洗脳者がその気になれば立ちどころに元通り……ガラハッドを殺さねば、貴女の妹は、一生、そのまま」
ふわりと浮き上がったアカは、大扉の前に積み上がった長椅子の最上部に腰掛けて、ほくそ笑むようにして足を組んだ。
「さぁ、貴女たちの語る“選択”を聞きましょうか?」
“答え”がわかっているかのように笑う彼女に、フィオールは何も言えず、ただ兄を見つめることしかできなかった。