ユウリ・アルシフォンは、ただ帰りたかった
「追いなさいッ!!」
切迫した叫び声が教会内に響き渡り、脳内を〝嫉妬〟で埋め尽くされていたシルヴィは、自分に稽古をつけてくれた〝男〟が消える瞬間を目視する。
アカの命に従って、外へと飛び出した五つ目……ユウリに掴まれた短剣はびくともせず、押すことも引くこともできない。
「……シルヴィ」
泰然自若とした態度、無表情でこちらを見下ろすユウリ。ガラハッドに聞いていた通り、本当にこの男は〝実力者〟なのだと見定める。
そのことを理解して――冷めかけていた〝昏い嫉妬〟が、彼女を支配した。
「……何があった?」
「あ、あんたには、か、関係がない!!」
意見を求めるかのように、彼はシルヴィの兄と姉を注視する。
「フィオール」
「お兄様、わかっています。ユウリ様にお任せしましょう。燈の剣閃のリーダー、大規模探索を見事成功にまで導き、わたしとヴェルナの心の裡すらも見透かしたあの御方に」
心底、信頼を寄せているらしい二人の熱い視線。
熱視線を集めるユウリに対しての憎悪が膨れ上がっていき、敬愛している兄と姉の〝愛〟が欲しくて、シルヴィの両腕に力が籠もっていく。
「……シルヴィ」
「お、おまえは、ずるい!! なんで、お兄様とお姉様に認められるの!? し、シルヴィは家族なのに!!」
短剣を離して後退したユウリを追って、踏み込んだシルヴィは教会の外に出る。大扉から踏み出た瞬間――彼女へと、大量の槍先が突き出された。
「あ」
反応できない。
シルヴィは、己が槍衾で串刺しになる光景を幻視し――ユウリに抱きかかえられ、彼の張った魔力の防御膜が〝破れた〟のを感じた。
突き出した長槍を押し込んでくる五つ目たちは胡乱気で、何事かをぶつぶつとつぶやいている。
滴り落ちる血液。ユウリ・アルシフォンは、見慣れた無表情でこちらを見下ろし、大事なものを慈しむように彼女を抱き締めていた。
「な、なんで、おまえ……シルヴィを庇って……」
「王手」
精霊の碧光によって、浮き彫りになる細身。
剃髪の老人は、悠然とした態度で樹上からユウリを見下ろし、腰を後ろに回したまま「ほ、ほ、ほ」と笑った。
「さすがのユウリ・アルシフォン〝殿〟の慧眼をもっても、儂が五つ目たちを従えていたことは知る由もなかったようじゃな。
愉しい獄中生活の間、ゆっくり、彼女らと〝対話〟させて頂いたからのう」
「…………」
「教会にも既に〝鍵〟をかけた。儂の魔力を流し込まなければ、誰も出入りすることは出来んよ。
魔力とは即ち〝波長〟のようなもの。お前さんの魔力が如何に膨大であろうと、相性の悪い周波を流し込めば、混信を起こして意味をもたなくする。そこのお嬢さんを〝チューニング〟するのは大変じゃったがな」
夜の帳に促されるようにして、ガラハッドは不気味な笑みを浮かべる。
その笑顔を見た時、シルヴィは自分が都合のいいように操られていて、彼の指示の元に行ってきた〝特訓〟が〝洗脳〟であったことを悟った。
「お嬢さんを抱えて自滅の道を辿るか、もしくは犠牲にしてこの一夜を逃げ延びるか……さて、どうする、英雄殿?」
こちらの絶望を煽るような台詞と微笑。何もかも思い通りになってたまるかと、シルヴィは、血まみれの英雄を毅然と見上げる。
「い、行きなさい……お、おまえに助けられる謂れはない……『見捨てる』と言って、とっとと逃げなさい……ぜ、全部、シルヴィが悪いんだから……ま、巻き込んでごめんなさ――」
「……お兄さんは、大切にしたほうがいい」
「は?」
全身、穴だらけの男は、平然たる様子で〝説教〟をした。
「……お姉さんも、大切にしたほうがいい」
しかも、小さな子どもに道徳を語るかのように、児戯めいたことを小声で言い聞かせてくる。
「……喧嘩はよくないぞ」
なんで、この男は、四方八方から槍先で突かれている状況で、自分にお説教をしてくるのだろうか?
「……謝ったほうがいい」
「え、ちょっ!?」
蚤にでもたかられているかのように、超然としたユウリ・アルシフォンは、槍を手放そうとしない五つ目たちを引きずって大扉へと向かい――当然のように扉を〝蹴破って〟、仰天している三人組に出迎えられる。
「…………」
その場に座り込んだ彼は、まるでパズルをプレイするかのように、手作業で黙々と大扉の破片を拾っては嵌めてを繰り返し始める。
「ゆ、ユウリ様、そのお怪我は――ひ、ひとまず! お手伝いします!!」
フィオール、マルス、アカもその作業に加わって、無駄に時間をかけた修繕作業が開始され――
「……フッ」
完全に元の姿を取り戻した大扉の前で、ユウリ・アルシフォンは、長槍で身体を貫かれたまま口の端を曲げる。
「…………」
ユウリは、修復を終えた扉を開け放つ。
彼はガラハッドが忽然と姿を消しているのを確認してから、無言で夜の帳へと消えていった。
「フィオール」
「はい、お兄様」
「説明し――」
「わかりません」
大量の五つ目を引きずりながら、帰路についた彼の後ろ姿を見守り――シルヴィは体力の限界を迎えその場に崩れ落ちた。