ユウリ・アルシフォンのライトノベル
「ちょ、ちょっとレイアさん! どこに行くつもり!?」
『Sランク冒険者に求婚されてみた』を衣類の隙間に押し込み、最小限の荷物を入れたバッグを背負ったレイアは「王都へ」と短く答える。
「そんな急に……せめて、明日にした方が良いよ……まだ、日も登ってないし天災害獣の動きが活発になってるし……」
獣人の民の双子に引き止められながらも、レイアは淡々とした手付きで準備を終えて外套を羽織る。
「時がありません。この本の記述が全て本当だとしたら……ユウリ様は、地獄の蓋の上にいる。開く前になんとかしなければ」
「な、なんとかってどうするのぉ! レイアさんが王都に行ったからって、止められるわけないじゃん!」
「いえ、〝ツテ〟はあります。どころか、核心なのかもしれない」
まともに振ったこともない短剣を腰に帯びて、必死に止めようとするイルとミルを押しのけて彼女は自宅から出る。
満月の夜……同じように丸い月を彼も視ているだろうかと思いながら、レイアは顔を隠すためにフードを下ろした。
「ふたりとも、ヴェルちゃんを連れて、直ぐに身を隠して下さい。人魔大戦の際に使われた地下道を通って、なるべく遠くへ」
「そ、そんな! イルたちだって、戦え――」
「ユウリ様の〝弱点〟は、貴女たちです」
口を噤んだイルたちに対し、決別を示すためにレイアは背を向ける。
「そんなことを言ったら……レイアさんもでしょ……!」
「いいえ、私は弱点とはなり得ませんよ」
彼女は、双子を安心させるために、精一杯の微笑を浮かべた。
「〝この小説〟に、私は登場しない」
『この小説の主人公がユウリ』だということに気づかなければ、違和感を覚えなかったキャラクター造形……サブキャラクターである双子の描写は、イルとミルによく似ている。
「なら、せめて、オダさんたちを護衛につけてよっ!」
「若木蕾は、ヴィヴィちゃんの生まれ故郷の村で、細々と冒険者稼業を続けるつもりらしいですよ。あの子への差別の件もあって、大成を諦めて穏やかな生活を過ごすつもりなんでしょう。
つまりは、隠居のようなものです」
ユウリ様との出会いによって、誰もが変えられていく。
双子の姉妹は本物の愛を知ろうとして、あの三人組は真に必要としているものに気づき、そして私は――レイアは、〝Sランク〟という、外面が付けられた表紙を思い出して拳を握り込む。
今にして思えば、私はユウリ様のことを何も知らない。彼のことを理解していれば、本人に聞かずとも、この本の〝正体〟について推測しようがあった筈だ。
「……結局、私も彼の外面に惹かれていたんでしょうか」
「え?」
「夜明け前に、街を出て下さい。
そうすれば、恐らく、〝筋書き〟が書き換わります」
レイアは足早にルポールの街の門をくぐって、ひとつまみの名残を体現するかのようにそっと振り向いた。
「ユウリ様……あなたが、何者であれ……私は……あなたに……」
人目をはばかる彼女は、馬車も魔車も使わずに街道へと一歩を踏み出して、ゆっくりと歩を進めようとし――薄暗がりに気配を感じて、白刃を闇に走らせる。
暗い。暗すぎる。
アレだけ煌々と照らしていた満月の灯りが徐々に遠ざかっていき、レイアの両目は靄のような暗がりに閉ざされる。
ルポールから一歩を踏み出しただけだというのに、既に街へと戻れる気がしなくなっていた。両目を覆っていた靄は両足に巻き付くようにして移動し、黒い視界の中でぶぅんぶぅんと奇妙な羽音が響き渡る。
汗が滲み、息が弾み、短剣の先が揺れる。
なにか、なにかが、いる、良くない、とても良くない、なにかが。
レイアは音に合わせて体をびくつかせ、構えた短剣の先を小刻みに動かし――音が、止まった。
静まり返る。静寂で耳に痛みを覚え、根拠のない安心感を求めて、刃を鞘へと戻そうとする両腕。
粘ついた原生スライムの死骸のように、十指が剣柄から離れず、レイアは何も起こらないが故に肩の力を抜こうとして――背後から両肩を掴まれて、悲鳴を上げながら、振り向きざまに刃を振るい――
「なんで、ココに」
その意外な姿に驚いた彼女は、忽然と姿を消して、音を立てながら短剣が転がり落ちる。
朝を告げるラッパの音――何時ものように、ルポールの一日が始まった。