デートとかいう命懸けの苦行
宙空を飛び回る碧色の灯火……空気中に混在する濃厚な魔力を求めて、精霊たちは躍起な幼子のように自在な動きで飛空する。
精霊篝と呼ばれるこの現象は、人間が寝静まる頃合い、辺りが黒色に染まった夜中に見られる。
漆黒のカーテンをぼうっとした碧火で燃やすように、美しくも不気味な灯りがところどころで上がる。観光地として有名なルィズ・エラだけあって、こんな夜中にも精霊の飛行活動を見守る観光客が多々見られた。
「……お待たせ」
声が聞こえて振り向くと――淡い碧色に染まったシルヴィがいた。
仄かな燐光を浴びた彼女は、あたかも精霊の深愛を受けた寵姫のようだった。碧色のパーティードレスを身に着けた少女は、従者から手を借りて魔車を下り、しずしずとこちらに歩み寄ってくる。
「な、なにか、言いなさい」
頬を染めた彼女の不満に応じるかのように、ドレスに纏わりついていた精霊たちが弾けて――エウラシアン家の家紋が現れる。
蒼色のドレスの下地に、ひび割れた雷神の横顔が碧色に描かれる。戦場の神である雷神であろうと、完璧ではないことを示す紋章。この世に完璧なものなどないという教訓を、世に知らしめている。
「あ、あぁ、この格好? お姉さまが貸してくれたのよ。エウラシアン家に代々伝わる装束だって。家紋の部分に体外排出される魔力が溜まって、精霊が寄り集まるように設計されてるの」
僕は、納得から頷いて、納得できてないデートに思考が戻る。
シルヴィが綺麗なのは構わないんだけど、なんで僕とデートなんてする必要があるんだろう? 普通、これから結婚するフィオールとデートするものなんじゃないの? 親族同士の交流ってこと?
「そ、それじゃ、行きましょう」
ぎこちなく僕の腕をとろうとしたシルヴィから――反射的に跳ね跳んで距離をとり、僕は暗闇を滑空して、地面に滑り落ちるようにして着地する。
沈黙が落ちて、シルヴィの額に青筋が立った。
「もしかして、ふざけてるの? ふざけてるのかしら? 公明正大なシルヴィの堪忍袋の緒が切れる予兆が嗅ぎ取れないのかしら? この人型奴隷は、そこまでアホな子だったのかしら?」
いや、せっかくのドレス、ゲロまみれにするわけにいかないし……それに、一度目は許されても二度目は絞首刑かもしれないし……うーん、やっぱり、こういう事情は、事前に伝えて置くべきだよね。
「……吐く」
「は?」
「……お前と触れ合うと吐く」
シルヴィは、笑顔のままでその場に立ち尽くし、憤怒を隠せないかのように口だけが高速で動き始める。
「あぁ、なるほど。なるほどね。シルヴィのことをバカにしてるのね。お兄様もお姉様も、なぜか、おまえのことを過大評価しているようだけれど、シルヴィの目から見てみればただの〝雑草〟よ。『ユウリ・アルシフォン』とかいう武名は轟いているようだけれど、本物かどうかなんてわかるわけないわ。そもそも、あんなところで呆然と立ち尽くしてるような輩が、あのユウリ・アルシフォンの筈がないじゃない。
魔車を出して!」
あ、待って! 続きがあるの!! そこで言葉を切られちゃうと、ただ悪口言ってるみたいじゃん! コミュ障はね、頭の中ではすごい言葉を選んでるから、現実の会話スピードについていけてないだけなの! 待ってあげて! お願い、僕を待ってあげて!
「……待て」
今、正に魔車に乗り込もうとしていたシルヴィは、どことなく嬉しそうな顔つきでこちらを振り向く。
「な、なに? シルヴィに何か言いたいことあるわけ? しゃ、謝罪なら、受け入れてあげないこともないけど」
よし! ココからが勝負だぞ、僕! 将来のお嫁さんの妹だ、今から仲良くしておきたい! ココで下手な謝罪をして怒らせれば、今後の結婚生活に大きく響くぞ! 人生がかかってるぞ! 頑張れ! 頑張れ、僕!!
「…………」
「え、なに? なんなの?」
「…………」
「ちょ、ちょっと、なにか言いなさいよ!」
ダメだ、何も浮かばない。謝罪の文面が、ノーアイディア。よくよく考えれば、ろくに人と関わってこなかったせいで、今まで謝罪というステップを踏んだことがなかった。どう言えば、適切な謝罪が出来るかわからない。
とりあえず、素直に謝ってみよう。
「……ごめんなさい」
「バカにしてるの!?」
なんか、謝罪の難易度、スゴイ高いよ。やっぱり、具体性のある謝罪じゃないと、ふざけてるように思われるんだよ。
「…………」
「なんなの、その目。シルヴィを睨みつけて、威圧する気? ふふん、いい度胸ね。もういいわ、その喧嘩、買ってあげる」
ズカズカとこちらに歩み寄ってきたシルヴィは、僕の腕を無理矢理にとって抱え込み、勝ち誇るかのように笑みを浮かべる。
現実逃避――瞬間、僕の能力が発動し、心が安らかに落ち着いていく。
危なかった。あと一瞬でも、能力を発動するのに遅れていたら、辺り一面に胃の中身をぶち撒けていたことだろう。
とは言え、安心はできない。シルヴィのこの顔、この態度、この怒り、どこをどう捉えても、デート中、僕から腕を離すつもりはないみたいだ。的確に僕の弱点をついてくるこの姿勢、生まれついてのグラップラー。
「さ、行きましょう」
僕の現実逃避は、発現させたばかりの急ごしらえ。何秒、何分、何時間、耐えられるのかもわからない。その上、現実逃避は、あくまでも本来受けているダメージ感覚を鈍らせているだけに過ぎない。僕の身体には刻一刻と負担がかかり、続ければ続けるほどに全身を蝕むはずだ。
この勝負――命懸けだ。
「楽しいデートにしましょうね、あ・な・た」
微笑したシルヴィを見て、僕は初めて命の危機を感じていた。