告白したからと言って、伝わっているとは限らない
「シルヴィには、まだ早いのではないですか?」
部屋に閉じこもった妹を追うのを諦めた長兄に対し、フィオールは感情が籠もらないように注意してささやく。
「あの子は、まだ13歳です。世間も常識も知らない身ながら、エウラシアン家に来てからは、〝良い子〟であろうと心がけていた子です。
そんな子が、あそこまでの反抗を見せるなんて……やはり、婚姻を結ぶのが嫌なのではないですか?」
「シルヴィに嫉妬しているのか?」
純白の肌にさっと朱が灯り、フィオールは「兄様っ!」と声を荒げる。腕を組んでいた兄は、その様子を見ながら、泰然自若と笑みを浮かべた。
「安心しなさい、フィオール。この兄が、己の人生をかけて、ユウリ殿に負けず劣らずの結婚相手を選び抜くつもりであるからな。
とは言え、あそこまでの男が、そう安安と現れるとは思わんが」
「そういう問題ではありません! わ、わたしは、別にユウリ様に懸想などしておりません! ただの憧憬です!! ユウリ様と結婚するからといって、決してシルヴィに嫉んでいるわけではありません!!」
憤慨する妹を前にして、マルスは余裕を崩さずに直立する。
「なら、構わんが……別に我としても、大事な妹の恋路を邪魔しようとは思わん。だが、お前自身、その気持ちが何なのかわかっておらぬのではないかな?」
「わかっています! 憧れです!! 憧れ以外の何物でもありませんっ!!」
マルスは、大きくため息を吐く。
「所詮、色恋沙汰。兄から口を出すものでもあるまいよ。
だがな、フィオール。シルヴィに関しては違うのだ。我はな、あの子に〝家族〟を作ってやりたいのだ」
兜を脱いだ彼の蒼い瞳に哀しみが宿り、その光を見抜いたフィオールは、何も言えずに自身の片腕を押さえる。
「……わたしたちでは、ダメですか?」
「駄目だ」
痩躯をもった兄は、苦悩するかのように顔の半分に手をやる。
「正確に言えば、駄目だった。不甲斐ない兄だ。あの子のために、してやれたことはなにもない。戦場で人を殺して英雄呼ばわりされるような輩では、あの子のためにしてやれることなどなにもないのだ」
「お兄様……」
そっと手を触れると、脂汗を流していた兄は、フィオールに「大丈夫だ」と微笑を向ける。
「お兄様は……全てを隠そうとしてしまう……あのフェムというメイドは、どこから連れてきたのですか……お気に入りの兜が、割れていたのはなぜですか……どうして、多忙の身でありながら、ルポールに来たのですか……?」
質問には応えようとせず、兄は〝何時もの台詞〟を述べる。
「おやすみ、フィオール」
エウラシアンの雷光とまで呼ばわれた父にしごかれ、まだ幼い身にも関わらず、家名を背負って死ぬ思いで戦い続けた兄。本来であれば、跡継ぎである長兄が行くべきではない戦場、自分が行かなければならなかった地獄へと歩いていった。
あの夜、兄が初めて戦場へと赴いたあの夜、ふと目が覚めたフィオールに、どこへ行くのかと尋ねたフィオールに、どうして哀しそうな顔をしているのと問うたフィオールに、病弱の身であったマルス・エウラシアンはささやいた。
――おやすみ、フィオール
あぁ、また隠される。この優しい兄は、自分には、絶対に汚い世界を見せようとはしない。何もかもを自分で背負って、一人でもっていってしまう。
そんな兄に甘えたくなくて、彼に大丈夫だと言いたくて、強さを求めたフィオールは冒険者となった。
また、守られるのか?
自分への問いかけに、己の口が応えていた。
「お兄様!! わたしは――」
「我は」
大柄な身体を〝演出〟している不格好な大鎧、素顔を隠して真意をぼやかす兜、帯びている剣は常に研ぎ澄まされていて――大きな体躯に見えるように設計された、彼の背中には哀愁が漂っていた。
「ユウリ殿になりたかった……あそこまでの力があれば……何もかもを救えたかもしれぬ……だが、我にあったのは外面だけ……我に救えたのは……たった一握り……たったの……たったの……」
呆然と立ち尽くすフィオールの前で、大扉がゆっくりと閉まっていく。
その扉の隙間から聞こえてくる〝咳〟は、兄が初めて見せた妹への〝弱音〟のように聞こえた。
「シルヴィに、何か言うことがあるんじゃないの?」
シルヴィの自室に呼び出された僕は、ベッドに腰を掛けて、こちらを睨めつける彼女を見つめていた。
「……長旅、ご苦労」
「違うでしょうが!! このシルヴィ様に!! 『騙していて、申し訳ありませんでした』とか!! 『これからよろしくな、シルヴィ』とかあるで――後者は違う!!」
シルヴィは枕を殴りつけて、息を荒げながら、自身を落ち着かせるように金色の髪を掻き上げた。
「ともかく! 大いなる力をもつシルヴィは、人型奴隷のことなんて認めてないから! 異界の民らしく言えば、どこのコウノトリが運んできたかわからないような輩は相手にできないのよ!」
そんな言い回し、初めて聞いた。というか、赤ん坊は、コウノトリが運んでくると信じてるのか。純粋すぎて、逆に怖いよ。
とりあえず、シルヴィには、あまり歓迎されてないみたいだな。これから、姉と結婚して家族になる相手を前にして、反抗心みたいなものが湧き上がってきたのかもしれない。
でも!! 僕!! 美少女と結婚したいんだよねっ!!
「……何をすれば、認めてくれる?」
「え、あ、諦めないつもり? ふ、ふん、所詮は下賤の民ね! あ、諦めが悪くて嫌になる!」
「……愛してるからな」
「え……えっ……!?」
ワーッ! 決まった! 決まりました!! ユウリ選手、見事な愛の告白!! こんなこと、当の本人には到底言えないけれども!! けれども、その妹には言えちゃうんだなぁ!! 成長が感じられる一幕でしたぁ!!
で、なんで、シルヴィの顔が真っ赤なの?
「だ、男性から、そういう言葉を受けたのは初めて……す、少しは、度胸があるみたいね……」
もじもじとしながら、こちらを瞥見していたシルヴィは、枕で自分の赤面を半分隠して伺うように目元を出す。
「で、でも……年齢とかの問題が……あるし……?」
「……関係ない」
「え……で、でも、問題あるし……そ、その……そ、そこまで……す、好き、なの……?」
「……あぁ、好きだ」
シルヴィは顔を枕で隠して、もがき苦しむようにバタバタと両足を揺らして――潤む瞳で僕を見つめた。
「そ、そこまで言うなら……ちゃ、ちゃんす、あげる……」
「……チャンス?」
「シルヴィと――」
らしくもなく、震える声で彼女は言った。
「デートしなさい」
え? なんで?