泡使い、ユウリ・アルシフォン
魔術師から空間拡張の術式を買い取っているらしく、魔車の車内は広々としていて、最早動く豪邸と言っても差し支えはなかった。
本当に僕のことを犬猫か何かだと思っているのか、シルヴィは二人きりになるなり、血まみれのドレスを脱いで下着姿になる。
「人型奴隷、それをとって頂戴」
さすがに、この歳の女の子の着替えシーンを視たところで、劣情を催したりはしないので僕は純白のローブを放って投げる。
「……ん?」
ローブを受け取って着込んだシルヴィは、怪訝な顔をしてクンクンと匂いを嗅ぎ、イヤそうな顔つきで僕を見つめる。
「臭い」
さっき、手を引っ張られた時に、吐いたからね!
「全く、手のかかる人型奴隷ね。長旅で体が汚れているんでしょうけれど、この絢爛無比たるシルヴィの隣にいるには、その悪臭をどうにかしなければいけないことくらいはわかるでしょう?
ほら、来なさい」
また、手を引っ張られ、僕はもう片方の手で嘔吐感を防ぎながらついていく。
廊下を歩いている最中、ジロジロと不審げな目つきで見守られながら、龍口を象った彫刻からお湯を垂れ流している風呂場に連れて行かれ、当然のように「ほら、バンザイして」と脱衣のお手伝いをされる。
「……おい」
いつの間にやら、すっぽんぽんになった僕は、下着姿のシルヴィに一所懸命背中を洗われていた。
湯気の漂う中でシルヴィを観察してみると、綺麗な金色の髪に、なぜか黒髪が混じっているように視えた。もしかしたら、染めているのかもしれない。
「え? あぁ、このお湯? 魔法よ。シルヴィに付き従う従順なお付き共が、魔力を流し続けてるだけ。
庶民たる人型奴隷にはわからないだろうけれど、高貴なる貴族であるシルヴィにとっては当たり前のことなのよ!」
いや、自慢気に語ってるけど、僕が聞きたいのはそこじゃないよ。完全にペット扱いされてるけど、この子は自分自身の価値が欠片もわかってないなコレは。自分の歳くらいであれば大丈夫だと思ってるんだろうけど、君くらい可愛いとなると、年齢の壁を超えちゃう変態紳士は星の数ほどいるんだよ。
「……危険だ」
「え? なにが?」
愛らしく小首を傾げ、尋ねてくる美少女、僕は泡を集めて大事な部分を覆い隠してディフェンスに転じる。
「あ! 泡遊びね! シルヴィも、昔、お母様とやったわ! 庶民の癖にこの遊びを知っているだなんてやるじゃない!
シルヴィも――」
泡泡へと手を伸ばして攻めてくるシルヴィ、僕はその柔らかい腕を掴んで、強烈な嘔吐感を呑み込みながら首を振る。
「……やめろ」
「『やめろ』? 今、シルヴィに向かって『やめろ』って言ったの? 天上の支配者とまで謳われたシルヴィに向かって『やめろ』?」
従順で無口だと思っていた僕に反抗されたのが、余程悔しかったのか、シルヴィは淑女とは思えない強引さで、全力を籠めて僕の泡盾へと両手を伸ばし、あまりに力みすぎて顔を真っ赤にする。
「な、なにこの力……あ、ありえない……し、シルヴィが全力でやってるのに……少しも動かないなんて……」
うぉおおおおおおおおおお!! 頑張れ、僕ぅううううううう!! ココで負けたら紳士の名折れだぞぉおおおおおお!! 小さい子に汚い現実なんてみせてやるもんかぁああああああ!!
「め、召使いたちに、ピカピカにしてきちんとした正装をさせるって……シルヴィは口に出したのよ……今更、引くわけにはいかないんだからぁ……!」
なんで、無駄に意固地で真面目なの!?
貴族の性教育はどうなってるんだと思いながらも、僕は場からの離脱を図るために、股間の泡に魔力を流し込んで一気に増殖させ――
「きゃっ!」
全裸のままで、風呂場から逃げ出す。
「待ちなさい! お風呂が嫌いなんて、シルヴィは許さないんだから!」
想像以上の速さで持ち直したシルヴィは、器用に廊下の壁を蹴りつけながら加速を図り、僕の背中へと手を伸ばす。
「……泡流」
「なっ!」
僕の泡流(単純に魔力で泡を背中に移動させただけ)によって、シルヴィの捕縛の手がつるりと滑り、この好機を逃さないためにも僕は衣服を探しながら、魔車を駆け続ける。
「シルヴィお嬢様、ルィズ・エラの迎えの者たちが、外で待っ――泡の化物!?」
「……泡滑」
「待ちなさい!!」
「あぶっ!」
第二奥義、泡滑(自分の方向先に泡を移動させて、床を滑ってるだけ)により、出口方向へと突き進む僕を追いかけ、シルヴィは初老の男性の顔を踏みつけてふわりと宙に舞い上がる。
「もう……怒ったわよ……華麗なるシルヴィをバカにして……良い子にしないんだったら……!」
跳んだシルヴィの周囲の宙空に、魔力の歪みによって蜃気楼が生まれ、ぱちぱちという不可思議な雷音と共に彼女の身体が〝宙で止まる〟。下着姿の彼女を包み込むようにして、魔力の流れが生まれ、何かが来るという予感と共に、僕は大量の泡を引き連れて出口へと飛んだ。
瞬間――雷が落ちるような大音響、雷光の弾丸と化したシルヴィが突っ込んできて、僕はそれをひょいっと躱した。
「えっ」
避けられるとは思いもしなかったのか、勢いを緩められないシルヴィは、外へと飛び出していき、見捨てるわけにもいかない僕は脚力だけでそれに追いついて、彼女のことを受け止める。
結果として、全裸で泡まみれの僕と下着姿のシルヴィは、折り重なるようにして地面に墜落し――
「……フッ」
魔車の入り口に集っていた、正装で身を包む大勢の人たちに囲まれ、どうしようもなくなった僕はとりあえず笑っておくことにした。