ナイス、土中芋虫(サンドワーム)
『ルポールの街』に、一本の光線が走った。
パニックに陥り、一刻も速く逃げ出そうとしている人々が、悲鳴や怒号を上げながら街の通りを埋め尽くす。
最高速度を保ったフィオール・エウラシアンは、通りに並ぶ店や住宅の壁を蹴りつけ、三次元的な動きをしながら避難民たちの頭上を通り越した。
人間離れしたその動きを視た少年は、ぽかんと口を開けて、流れる星のように高速で移動する冒険者を見守る。
「発生源は、どこに……これは!」
街の中央広場――高名な建築家による噴水が敷設され、植えられた花や植物が艶やかな色合いで咲き誇る世にも美しい広場は、地面から生え伸びる『土中芋虫』によって埋め尽くされていた。
三メートル大にまで伸びた黄色と土色をもつ斑の体躯、全身からは臭気を発する粘液を吐き出し続け、空へと伸びた先端にある口蓋には鋭い牙がうじゃうじゃと生え伸び、喉からは大量の触手を伸ばしていた。
数えきれない程の土中芋虫は、うねうねと身体を伸び縮みさせながら、胴体の左右についた〝目〟の部分をぱくぱくと開け閉めしている。
「街の土中で、ココまで自然に育つわけがない……誰かが、〝故意に〟育てたんだ……」
一体、誰が?
その疑問を発する前に、フィオールは、自身がなすべきことをするために駆け出し、醜悪な芋虫の群れへと突っ込んでいく。
『エウラシアンの雷光』。かつて、そう呼ばれていた父の名に恥じぬような、卓越した体捌きであった。
ただの人間から見れば、フィオールの姿が一瞬で掻き消え、瞬く間に先頭の土中芋虫に接敵したかのように思えただろう。
稲光の足運び――エウラシアン家に代々と伝えられる特殊なステップは、通常、足の裏にだけ集積させる魔力を、足の裏、膝の裏、腿の裏の三点に集めて一気に放出させるものだ。
常人には叶わない、魔力調節による集積と放出のギリギリのバランスをとった歩法によって、光の線と化した彼女は、根本から土中芋虫を輪切りにする。
体液を吐き出しながら、巨大な芋虫は絶命していき、美麗な顔立ちを保ったフィオールは、踊るようにして縦横無尽に天災害獣を斬殺していく。
大量の巨大芋虫は、為す術もなく、全滅を迎える筈だった――彼女の剣が、溶け落ちるまでは。
「くっ……剣が……数が多すぎる……もたない……!」
土中芋虫の粘液は、鉄や銅を溶かしてダメにする。大半の冒険者はそれを知っているから、武器を無駄にしないために無視するか、または高額な銀の武具を持ち込む他はない。
「なら、魔法で――」
掌を突き出し、あまり自信のない魔法でかたをつけようとした彼女であったが、群れの中心で泣きわめく女児を見つけて動きを止めた。
今までは声を殺し、隠れていたのだろう。だが、フィオールの一方的な殺戮によって土中芋虫の群れに混乱が生じ、蠢きまわる醜い芋虫を視て、ついには緊張の決壊を迎えたらしい。
ダメだ、巻き込む!
解放しようとした魔力を抑え込んだフィオールの前で、土中芋虫は小さな少女の泣き声に反応して、高々と胴体を天へと伸ばし――躊躇いもなく、勢いよく振り下ろした。
それによって、哀れな女の子は血と肉の塊に変えられ、醜い芋虫の吐き出す触手によって体液を啜り取られる筈だった。
筈だったが――
「大丈夫……ですか……?」
コンマ秒速く、フィオールは彼女を庇って、その一撃を背中で受け止めていた。
打たれた頭から血液が流れ出し、綺麗な金の髪が赤黒く染まっていく。強烈な激痛で意識は眩み、背中の骨が歪んだように思えた。
防御は、間に合わなかったか――フィオールは、己の命運を悟ったかのように微笑し、女の子をぎゅっと抱き込んで胸元に覆い隠す。
「お、お姉ちゃん、逃げて!!」
「いえ……逃げません……ダメなわたしですが……ココで逃げたりはしません……今日は、失敗続きですから……ちょっとは、格好いいことをしないと……」
『逃げて』だなんて、勇敢な女の子だな。
かつての自分は、こんなことを言えただろうか? フィオールはそんなことを考えて、全身で少女の体温を感じた。
「お父様……申し訳ありません……」
不甲斐ない自分を悔やみ、偉大なる父親に謝罪をして、激痛と重症のせいで魔力による防御すら出来なくなった彼女は決意を固めて目を閉じた。
目を閉じて――音が聞こえた。
何かが破裂するような甲高い音。何時まで待っても来ない痛みに疑問を憶え、揺れる意識の中で彼女は振り向いた。
「お父……様……?」
そこには、背中があった。大きな背中だ。常に尊敬の念を抱いていた、父親のような背中。
「……後は任せろ」
目の前には――偉大な冒険者が立っていた。
「ゆ、ユウリ様……」
ユウリ・アルシフォンは、堂々たる出で立ちで、そこに聳え立っている。あたかも、最初から、そこに備わっていたかのように。
「ど、どうして、ココに……?」
「……けじめをつけにきた」
長年、憧れ続け、フィオールが理想とした彼は、ぼそりとささやいて〝敵〟へと眼光を向ける。
「ユウリ様……ダメです……剣は通じな――へ?」
彼がもっていたのは、〝タオル〟だった。何の変哲もない布製のタオルである。
え、なんで、タオル?
フィオールがそう思うのも当然であったが、眼前で仁王立ちするユウリ・アルシフォンは、無造作に腰元でタオルを構えて――抜き放った。
パァン!! 空気の弾ける強烈な音が聞こえ、土中芋虫の胴体に空洞が穿たれる。まるで、手元が視えない。手元周りの空間がブレているように視えて、次の瞬間には、土中芋虫が弾け飛んでいる。
Aランク冒険者である自分が、アレほどまでに苦戦した相手を、ただのタオルで虐殺していくユウリを眺めて、フィオールはあんぐりと口を開けた。
これは、夢か何かなの? というか、なんで、タオル?
あの高名な冒険者、ユウリ・アルシフォンが意味のないことをする筈がない……フィオールは、真剣に考察を続けて、ひとつの結論に至った。
「そうか……! あの地震の時に、ユウリ様は、既に土中芋虫の仕業だと気づいていたんだ……! だから、剣ももたずに丸腰で、タオルをもって出てきたんですね……!」
正直言って、タオルにココまでの応用力があるとは思わなかった――フィオールは、ようやく彼の意図に気づく。
「相手に応じて、臨機応変に武器を変えろ……武器がないのであれば、身近なもので作れ……そういうことですね、ユウリ様……!」
仕事は見て盗め――助けるだけではなく教えもくれるとは、なんて偉大で優しい人なんだろうか。
一度は諦めようとしたフィオールであったが、どうしても、彼と一緒に冒険がしてみたいという欲がまた湧き上がってくるのを感じた。あまりの興奮に、自分が負っている深い傷を忘れるくらいである。
あっという間に、タオルだけで芋虫の駆逐を終えたユウリは、無表情のままでフィオールに近づいてきて――十メートル前から、タオルを投げて寄越した。
「……え?」
ふわりと頭に載せられたタオルを手元にもってきて、フィオールは目の前の美少年を見つめる。
「……身体を拭け」
「あ……!」
土中芋虫の粘液に塗れ、悪臭を放っていることに気づいたフィオールは、慌ててタオルで全身を拭いて顔を赤らめる。
女性に人気があるのも頷ける。この緊急事態にも関わらず、ここまでの配慮が出来る人は稀だ。
フィオールはそう思い、唐突に何もかもが恥ずかしくなって、礼すら受け取らずに立ち去ろうとした彼の背中を視て思わず叫んだ。
「あの!!」
彼は、足を止めた。
「ありがとうございました!! それと、わたし、やっぱり、ユウリ様のこと諦めたくないです!!」
偉大な冒険者は、歩行を再開して片手を挙げ――
「……らひゃ、あひゅだ」
古エーミル語で、何かを言った。
「『また、明日だ』ですか……こんな時でも、試験なんて……いえ、ジョークですね……本当にスゴい人……」
見惚れるようにして、フィオールは、憧憬の眼差しを彼の背中に向ける。
「ユウリ様……わたし……あなたに、少しでも近づきたいです……」
胸に抱えている女の子が、ぽうっとした表情でユウリを見つめているのを視て、自分も同じような顔をしているのだろうかと、フィオールは恥ずかしく思った。
噛んだ。めっちゃ、噛んだ。
帰り道の途中、裏通りの壁に片手をつき、緊張による過呼吸を整えながら僕は項垂れる。
「慌ててたから、剣も忘れてきたし……格好つかなかったな……でも、粘液のお陰で、僕のゲロが誤魔化せて良かった……ナイス、土中芋虫……」
夜空を見上げると、自分がぶち殺した土中芋虫たちの面影が、星となって映り込んだように思えた。
「……ナイス、土中芋虫」
彼らは『ええんやで』と、僕に優しく語りかけてくれるように煌めいていた。
この話にて、プロローグは終了となります。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。
プロローグで、よくわからなかった点や疑問に思った点、改善して欲しい箇所などがありましたら、お気軽に感想までお寄せ下さい。