美少女が、空から降ってくる(おまけ付き)
舗装された道に停車している馬車の横で、フィオール・エウラシアンは実の兄の面頬を見上げる。
「お兄様」
「なんだ、我が最愛の妹よ」
「どうして、ユウリ様に事情を説明しないのですか? 急に手錠をかけて連行するなど、無礼にも程があります」
「ムゥ……」
そよぐ風に身を任せていた大鎧は、真っ青な空を飛び交う鳥影を眺めながら、気もそぞろに応えた。
「お兄様!!」
「なぜ、ドラゴンは群れを組まぬと思う?」
「は?」
混乱したフィオールは、思わず、何の関係もないフェムへと目線を移す。
自身が家を空けていた間に兄が勝手に雇った謎の侍女は、馬車の上に礼儀正しく腰掛けて、似合わない兜を揺らしながら周囲を警戒していた。
「群れとは……社会とは、人間という種が己の身を守るために作った〝集団の個〟だ。
人は獣と違って牙も爪ももたぬが、社会という組織に組み込まれれば、ありとあらゆる不可能を可能へと覆して王へと至る。弱者が強者になるための仕組みが、群れであり社会なのだ」
なにかと迂遠的な物言いを好み、説教臭い兄にうんざりしながらも、フィオールは腰の剣柄に手を置いて尋ねる。
「つまり、お兄様は、何が仰っしゃりたいのですか?」
「ユウリ・アルシフォン殿のことだ」
兜の奥底にある蒼い瞳が、ゆっくりと細められる。
「アレは、最早、人の身に収まらぬ〝怪物〟。人魔大戦を治めた神託の巫女のような埒外の魔性を思わせる彼にとって、社会は最早必要ではないのだ。だからこそ、群れに収まることはない。
そんな彼に『エウラシアン家の婿になってくれ』とお伺いを立てれば、どうなるのか……知っているのではないか?」
フィオールは「うっ」と言葉を詰まらせる。
ユウリと出会ってから行動を共にした数週間、フィオールは兄の慧眼が捉えた真意によく似たものを彼から嗅ぎ取っていた。
なぜ、ユウリは、今の今までパーティーを組まなかったのか――単純に彼が〝必要としなかった〟からではないか?
「確かに、ユウリ様は、普通の殿方とは違って、女性に対する意識が極端に低いように思えます。自身の利得といったものを考えず、何にも縛られずに行動することをよしとしているように感じました」
「女性に興味がないのではない。女性を必要としないのだ。だからこそ、正面を切って縁談を申し込めば、十中八九不承認を得ることとなるだろう」
「だから、何の事情も話さずに、無礼にも手錠をかけたと?」
「いや、違う」
フィオールが首を傾げると、マルスは苦笑の声を漏らした。
「アレは〝ただの腕輪〟だ。錠などかかっておらぬし、ユウリ殿がその気になれば簡単に外れる。そもそも、レイア殿に伝言を頼んでおいた故に、彼は既にその事実を知っているのだよ」
「なんですか、それは! ユウリ様の承認を得ているなら得ているで、言ってくださればいいのに!」
「それを口にすれば、今度はお前が逃げるだろう?」
図星を突かれたかのように胸が痛くなり、フィオールは我慢できずに視線を逸らす。
「……別に逃げはしません。わたしは、ユウリ様の婿入りに賛成です」
「ならばよし。
で、ユウリ殿は?」
マルスとフィオールは、同じタイミングで、ユウリが去っていった方向を見つめた。
よっしゃ、脱出成功!!
お手洗いに行くと言って馬車から抜け出した僕は、草原から伸びた葦に身を隠しながら、逃走経路を模索していた。
「やっぱり、僕の考えは正しかったんだ……あの天空城での出来事は、王都から差し向けられた審査官による仕込みで……結局、僕は不合格になって……鎧大好きクラブの二人の手で、監獄に連れて行かれることになったんだ……」
正直、この世界の人たちって、怪我とか病気に対しての関心が薄いんだよね。だって、便利な魔法があるんだもん。半死人が出るような喧嘩でも決闘扱いで放置されて、数時間後には全快して仲直りだもんな。
フィオールやオダさんの怪我は、間違いなく本物だったけど、アレくらいなら本気の演技として成立するような気がするよ。うん。
「誰が監獄になんか行くか……新刊のアーミラちゃんに会えなくなっちゃうじゃないか……」
そんな事態に陥ったら、潔く腹を切るね。
冒険者になって間もない頃に、後ろから「こんにちは」って声をかけられて「……こんちは」って応えたら、僕に話しかけてたんじゃなくて受付嬢に話しかけてたっていう気まずい事態を思い出したよ。あの時も切腹したけど、腹筋を鍛えすぎたせいで、刃がへし折れて失敗したんだよな。
「ほとぼりが冷めるまで……海底か火口で暮らそうかな……」
昔、何もかもに絶望した頃、溶岩の中に潜って生活したもんなぁ。徐々に熱さも何も感じなくなって、心が無に近づいていくんだよ。たまに外気を求めて頭を出してたら、冒険者の間で新種の天災害獣として話題になっちゃって、冒険者が出没しない溶岩を探して各地を転々とし――ん?
僕の両目が、空から堕ちてくる〝何か〟を捉え、好奇心から足を止める。
ぐんぐんと猛スピードでこちらに突っ込んでくる大きな影、僕はそれが〝大型の龍種〟だということに気づき、このままでは正面衝突するなと思いながらもぼんやりと空を見上げていた。
避けるの面倒くさいな。
僕は片手を突き出し、全身から大量の血液を垂れ流しながら墜落してくる龍種を受け止めようとして――龍の頭に乗っている人間をみた。
「退きなさい」
剣閃。
直線的な雷光を思わせる高速の剣さばき、空の王である龍種は数瞬でバラバラになり、綺麗にカットされて僕へと降り注ぐ。
誰にも予想できなかったであろう血の雨、お気に入りの服を汚さないために、ステップを踏んで血雨を避けていると、真っ赤に染まった少女が目の前に下り立つ。
ウェーブのかかった金色の髪の毛、血液のように赤々と艶めく目玉、子供っぽさを思わせる表情豊かな顔立ち……外見をつぶさに観察しなくてもひと目でわかる、人の視線を吸い込むような美貌は、幼いながらも完成されている。
黒色を基調としたクラシックドレスは、彼女のお転婆な気性を露わにするかのように、見事なまでに台無しになって血みどろに彩られていた。
「ふふん! 堕ちてくる龍種に対して、微動だにしないだなんて。どうやら、たまにはやる輩もいるようね。とは言え、高貴なる生まれであるだけでなく、たった一人で龍種を斬り殺したシルヴィのように、華麗で流麗な王たる王には及ばないのだろうけれど!」
150cmもないであろう小さな体躯をもつ女の子は、血で塗れた姿のままで、己の平たい胸に手を当てて微笑んだ。
「名乗る機会を与えてあげましょう、人型奴隷」
蒼色に光る刀身をもった剣で、彼女は僕の胸を指す。
「おまえ、名――」
「……迷子か?」
随分とアグレッシブな迷子だなぁ。
そんなことを思いつつも、彼女の親御さんを探して、キョロキョロと辺りを見回し――眼の前の少女は、僕へと剣先を突き出した。