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ヴェルナとフィオール

 ヴェルナは、小さな頭に載せられた〝掌〟を感じていた。


「お前には程遠い」

 

 顔も憶えていないあの人は、笑い声の響き渡るエウラシアン家を覗き込む幼い彼女に対し、その〝距離感〟を教え込むように手を動かす。


「宵闇で、なにを食した?」

 

 『ランスロット』と名乗っていた性別不明のその人は、男とも女とも似つかわしくない声音で話した。


「……パン一切れにミルクを半分」

「では、エウラシアン家の次女は?」

 

 温かな光が漏れる穏やかな夕食の座には、柔らかそうな白パン、色鮮やかなソースのかけられた分厚いステーキ、芳醇な香りがこちらに届いてきそうなパイに、デザートのチョコレートケーキまで置かれていた。

 

 寒空の下で凍えるヴェルナの前で、フィオール・エウラシアンは、幸せそうな顔で家族と歓談をしている。

 

 歯を食いしばり――ヴェルナは、目の前の幸福を憎んだ。


「そうだ、それでいい」

 

 〝拾い子〟である彼女の頭を撫で、顔に浮き出た紋様をなぞり、手袋をつけた掌はゆっくりと下ろされる。


「その整然とした容貌、なぜ、精霊はお前の顔に紋様を浮かび上がらせ粗末にしたのか……不思議でならんな。

 あの娘は、あんなにも、美しい顔立ちをしているのに」


 『エウラシアン家の女性は、美人揃い』と呼び声高く、その噂が真実であると言わんばかりに、フィオール・エウラシアンは美しかった。同い年とは思えないくらいに、あの年齢で〝美〟が完成されている。


「ヴェルナ」

「あっ」

 

 懐から奪われた〝絵本〟を求めて、ヴェルナは必死に跳ねる。


「お願い、返して! 返してよっ!!」

「陳腐な騎士物語……囚われた姫を助けに来る騎士……お前は、もしかして、自分が〝お姫様〟になる夢想に恋い焦がれているのか?」

 

 ランスロットの手の内にある絵本が発火し、悲壮な呻き声を上げるヴェルナの前で、彼女が何度も読み込んだ絵本は燃え尽きていく。


よわいを重ねた挙げ句、夢物語に浸るのはやめろ。

 そも、お前は、〝助けられる側〟ではなく〝助ける側〟だ。お前のような力ある者を、誰が救う是をもつ?」


 顔に靄がかかった彼/彼女は、涙を滲ませた彼女の頭を掴み、無理矢理にフィオール・エウラシアンの姿を覗かせる。


「見ろ――アレが、お姫様だ」

 

 何不自由のない生活、誰からも愛され誰もを愛し、可愛らしい顔立ちをもつ、全てを兼ね揃えた女の子……目の前の少女を見つめながら、ヴェルナ・ウェルシュタインは、憧れと嫉妬で涙を流した。


「お前を救える人間などいない」

 

 ランスロットは、幼い彼女にささやく。


「いるとすれば――」

 

 そのささやき声は、ヴェルナの人生を〝固定〟した。


「ただの身の程知らず」




 なぜ、あたしは、こんなことをしてるの?

 

 額から血を流し続けているフィオールへと、自身が練り上げた風弾を叩きつけながら、ヴェルナは自分自身へと問いかけていた。

 

 目の前のあの子は、あたしの大切な親友じゃないの? どうして、攻撃しているの? なぜ、争わないといけないの?

 

 そう思う度に頭痛が増して、胸の内にある〝目〟に睨めつけられ、眼前のフィオール・エウラシアンへの憎悪が思考を焦がす。

 

 なぜ? なぜ? なぜ?

 

 今、思えば、功を焦ってこの特異建造物ダンジョンに足を踏み入れたのも、誤って魔力砲マジカルバレルを撃ち込んでしまったりしたのも、ユウリに褒めてもらいたくて天空城をルポールに近づけたのも……普段の自分であれば、絶対にしないような〝ミス〟だった。


吹き飛べ(ファミーラ)!!」

 

 エウラシアン家に代々と伝えられている高速歩法――稲光の足運び(ブリクスト)によって、フィオールは床、壁、天井、全てを己のフィールドとして扱い、こともなげにヴェルナの魔法を躱す。

 

 その度に、ヴェルナの心がささくれ立つ。


「なんでっ!!」

 

 警告音が鳴り響く機関室コントロールユニット、天空城は今まさに落下していて、斜めっていく接地面を駆け上りながら、ヴェルナは魔力流入量を操作する紋様を〝弐式〟にまで広げ、彼女の喉元まで碧色の模様が伸びる。


「なんで、あたしのためにそこまでするの!? ただ、一緒に仕事をしてきただけでしょ!? たまたま、気が合っただけでしょ!? エウラシアン家の人間なら、幾らでも新しい友人なんて作れる癖に!! あの優しいお兄さんのところに逃げ帰れば、それでいい話じゃない!?」

 

 堕ちる、堕ちる、堕ちる――天空城は、墜落していく。

 

 先程まで安定していた城は、謎の支えを失ったことで急速に地面へと向かっていき、城内に残るヴェルナとフィオールごと全てを破壊し尽くそうとしていた。


「死ぬわよ!? わかってんの!? あんた、こんなところで死ぬ気!? たかがあたしごときのために、ココで死ぬつも――」

「わたしの親友を〝たかが〟という言葉でくくるなっ!!」

 

 喝――大口を開けたフィオールの勢いに圧され、ヴェルナは思わずびくりと身震いをする。


「ようやく、わかりました」

 

 床が壁に、壁が床へと変じ……壁に長剣を叩きつけ、ぶら下がったフィオールは、掌の発射台を構えたヴェルナに微笑を向ける。


「わたしは、ヴェルナのことを何も理解していなかった。

 貴女が何時も自信過剰なのは、自分に自信がないから。負けず嫌いなのではなく、負けることに慣れていない。自分勝手で我儘だったのは、〝嫌っている自分〟に他者を近づけたくなかったからだ。

 そして、貴女は孤高の天才ではなく――」


 血塗られた金髪をもった少女は、満面の笑顔で言った。


「普通の女の子だ」

 

 心の臓を一突きされたような感覚、ヴェルナは震えが止まらなくなり、何度も読み込んだ絵本のページが頭に浮かぶ。

 

 何度も、何度も、何度も、反芻するかのように……12歳にして天から才能を授かり、孤独な単独者として道を歩むことを宿命付けられた彼女は、見たくもない現実から逃れるために〝優しい空想〟を求めた。


 ――よわいを重ねた挙げ句、夢物語に浸るのはやめろ


 絵空事だ、夢物語であり、都合のいい妄想だ。


 そんなことは、わかっている。でも、あの絵本に描かれたお姫様は、何時も何時も、彼女を守る〝騎士〟に助けを求める。


 気高き心をもったか弱き乙女、自分とは正反対の女の子の偶像。


 綺羅びやかなドレスを纏ったお姫様が、煌めく銀鎧を身に着けた騎士に救われ、幸せそうな顔つきで〝恋〟をしていた。


 いいなと思った。羨ましいなと思った。自分もそんな風に〝騎士〟に救われてみたかった。どんな大男だろうと素手でのしてきたヴェルナが、誰かに助けられる日などくるわけがないとわかっていても。


「あ、あたしは……あたしは……!」

 

 でも、そんな彼女を助けた〝あの人〟は、フィオールと並んで立つと丁寧に描かれた絵画みたいで、誰の目から見てもお似合いで、自分の付け入る隙なんてないように視えて……胸の奥底に、ずきりと走る痛みを覚えた。


「あんたが! あんたが、嫌いだっ! 何もかもをもっているあんたが……何もかもを盗んでくあんたが……〝お姫様〟になれるあんたが……誰よりも大嫌いだ……! あたしには〝才能〟しかないのに……コレしかないのに……あんたは、それすらも奪おうとする……踏みにじろうとする……!」

 

 ヴェルナの目の端から、煌めく涙がこぼれ落ちる。


「あの日っ! あの日、勝ったのはあんただっ!! 引き分けなんかじゃない!! あんたは、最後に〝わざと〟刃を止めた!! その日から!! あたしはっ!! 一歩も!! 一歩も進めてないっ!!

 あんたの後ろを歩いてきただけだっ!!」

「ヴェルナ」

「今更、あたしに〝お姫様〟を譲っても遅い!! あたしは! もう!! あんたを退かすしか!! 退かすしかっ!!」

 

 嗚咽を上げた赤髪の少女は、泣きながらささやいた。


「進めないのよ……」


 沈痛なささやき声が城の中に染み渡り、崩壊していく壁面から落ちていく屑音が虚しさを表面に浮かばせる。


 対抗するかのように、フィオールは大声を上げた。


「聞いてください! わたしはっ!!」

疾き風(ラ・セレ)来たりて(ロ・ロウラ)拡充霊唱ナミアウル――」

 

 弐式まで解放された魔力を充填して、ヴェルナは両掌を組み合わせて〝砲台〟を作り上げ、身体に纏わりつかせた気精シルヴェストルに狙いをつけさせる。


吹き飛べ(ファミーラ)ッ!!」

 

 過去から現在へと、溜め込んできた全てを衝動的に吐き出した。

 

 気精シルヴェストルが形成した刃風が、加速度的にスピードを増して、壁に張り付いているフィオールへと迫る。


 どうせ、稲光の足運び(ブリクスト)で避けられる筈だ。


 ヴェルナは、悟っていた。渾身の一撃ではあるものの、フィオールにとっては、決して避けられないような攻撃ではないだろう。


 だから、避ける。そう思っていた。思っていたのに。


「なっ!」

 

 フィオールは、それを〝受け止めた〟。


「なんで……ち、致命傷……ば、バカなの……?」

 

 全身を容赦なく切り裂かれたフィオールは、部位という部位からどっと血液を溢れさせ、一瞬意識を失ってぶらんと垂れ下がる。


 綺麗だった金髪は赤黒く染まり上がり、防具の間からはとめどなく血が流れ続け、解けた髪の間からは異様な生気を放つ〝目〟が合った。


 その瞬間、ヴェルナは、虚を衝かれたかのように正気を取り戻す。


「ヴェ、ヴェルナ……は、話くらいは聞きなさい……ちゅ、忠告ではないんですから……」

 

 息も絶え絶えに長剣にしがみついているフィオールは、爛々と光る両目を彼女へと向ける。


「あ、貴女は……わ、わたしが何もかもをもっていると言ったが……け、決して、違う……え、エウラシアン家の正当な後継者は兄で……エウラシアンの剣だけで言えば……さ、才能は、妹に負けている……ま、周りからの期待でまともに動けた試しがないし……い、何時も、失敗ばかりの自分が嫌になる……」

「フィオ、喋らないで! もういいから!! わかったからっ!!」

「こ、こう見えても……ゆ、友人は貴女以外にいないんですよ……き、貴族同士の交流は上辺だけだし……ぼ、冒険者たちは、自分を雲上の人物だと崇める……だ、誰も近寄ってくれない……〝助けてくれない〟……」

 

 赤の混じった透明色の液体が、顔を上げたフィオール・エウラシアンの頬を伝って、天空城の〝壁〟へと落ちていく。


「助けてくれたのは、貴女だけだ」

 

 フィオールは、泣きながら微笑んだ。


「真っ向からわたしに挑みかかり、真っ向からわたしを非難して、真っ向からわたしに『助けて』と言ってくれたのは貴女だけだ」

 

 赤髪の少女と金髪の少女は、遠く離れたところで見つめ合う。


「ヴェルナ……帰ろう……一緒に……また、星を見よう……わたしたち、友達だから……だから、わたし、貴女を……」

「弐、弐から、ろ、陸式解放……や、やめろ……やめて……動くな……勝手に……動くなっ! やめろ……やめろ……やめろ……ぉ!」

 

 己の意思から反して、口は勝手に霊唱を口ずさみ、全身は自動的に魔力を取り込み始め、両手は救わなければならない親友に狙いをつける。

 

 胸の辺りにまで伸びた紋様、ありったけの魔力が充填されたヴェルナは、碧色に発光し赤髪が宙空で舞い踊る。


「ヴェルナ……一緒に……」

 

 助けて、誰か! 誰か!!

 

 お姫様になりたいなんて言わない! あの絵本を返せなんて言わない! 自分の理想を戻せなんて言わない!

 

 ――お前を助けられる人間などいない

 

 ただ、あの子だけは! あの子だけは助けて!! お願いだから!! あの子だけは! あの子だけは助けてっ!!


 ――いるとすれば

 

 他は望まない! 自分がどうなろうとどうてもいい! 何もかもを捧げる!! だから!! だから!!

 

 ――ただの身の程知らず


轟く御身(ゴウ・バセラ)ゆらぎの地(ミオウ・リョゥ)絶対霊唱ダビアウル――」

 

 助けてっ!!

 

吹き飛べ(ファミーラ)ッ!!」


 機関室コントロールユニットを吹き飛ばした颶風ぐふうは、城内の壁も床も天井もそしてフィオールも破壊し尽く――豪快な破壊音と共に天井が吹き飛び、何者かがヴェルナとフィオールの間に下り立ち――勢いよく下半身を回転させて、彼女の放った〝全力〟を蹴り上げる。


 降り注ぐ破片、轟音が止んで、青空が視えた。

 

 差し込んだ日光は、神々しい女神の御手のようで、祝福されるかのように光り輝いた〝彼〟はゆっくりと立ち上がる。


「ぁあ……ぁああ……!」

 

 舞い上がった土埃が晴れていって、その姿が視えた瞬間――ヴェルナは、嗚咽を上げながら、思わず口元を覆った。


「ユウリ……先輩……」

 

 名を呼ばれた少年(ユウリ・アルシフォン)は、影から這い出るようにして、そっと前に進み出る。


「……助けに来た」

 

 彼女にとっての騎士は、何時も通りの無表情を青空の下に晒した。

 

 ユウリ・アルシフォンは、彼女が憧れ続けた絵本の騎士のように、助けを求めた乙女の元に駆けつける。

 

 その姿は格好良くて、憧れて……一瞬、ヴェルナは、日の光に照らされた彼に〝助けて欲しい〟と願ってしまった。


「……ヴェルナ」

 

 傷だらけのフィオールを抱えた彼は、口の端を曲げて優しげにささやく。


「……迎えに来たぞ」

「いいえ」

 

 ヴェルナは、微笑みながら、彼に抱えられている〝お姫様〟を見つめる。


「あたしは、もう帰れない」

 

 天空城はついに限界を迎えて、瓦解を始め――ヴェルナは、浮遊感と共に〝空〟へと堕ちていった。

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