若木蕾《グロース》は、きっと仲良し
「――さん! おじさ――オダッ!!」
オダが我に返った時、天井や壁に張り付いた大量の屍食鬼たちが、這いずりながら自分の元へと向かって来ていた。
猫の宴の二人は、オダたちを守るようにして化物の前に立ちはだかり、迫り来る屍食鬼に必死の形相で刃を突き立て、致命の一撃をすんでのところで躱し続けている。
「……ヴィヴィ」
ケラケラと笑い続けている見知った少女を見つめ、オダは心に決意を溶かし込み両足に力を込めた。
「操られてたのはユウリさんなんかじゃない、ヴィヴィの方だったんだ。
そのことに気づいていたユウリさんは、俺たちに襲いかかってきた……あの人は、俺らがその事実に気づく前に、ケツを拭こうとしてくれてたんだ」
オーロラは、こくりと頷く。
「ヴィヴィは、喚起魔法なんて使えない。だとしたら、屍食鬼を発生させてるのはあの帽子……神秘装束っていうこと?」
「アヘヘ、せいかーい! でも、今更、ヴィヴィをどうにかしようなんちぇおそいじぇ! 自分自身でも、なんでこんなことしてるのかわかんないけじょ、おじじたちをぶち殺すのが正解な気がしてならなうぃ」
一瞬、ヴィヴィの表情が苦しそうに歪む。
「ゔぃ、ヴィヴィは、お、おじじたちのお荷物だじぇ。死霊術なんて、屍体がないと使えないしぃ、冒険者たちの間じぇは気色悪がられてりゅ。ゔぃ、ヴィヴィは滑舌がわりゅくて、だ、誰からも好かれなうぃ」
死霊術師の多くは、特殊な舌打ちで死者を操る。死霊の世界を覗き己の支配下に置くために、わざと肌色を青白く塗りたくり、自身の外見を〝死〟へと近づかせる者もいる。
大抵の冒険者は、それを好まない。青白い肌は差別を招き、滑舌の悪さは、パーティー間のコミュニケーションを妨げる。
「み、皆、ゔぃ、ヴィヴィに近づかなうぃ……お、おじじたちは、本当なりゃもっと〝上〟に行けりゅ……ゔぃ、ヴィヴィは必要なうぃ……で、でも、お、置いていかれたくなうぃ……ゔぃ、ヴィヴィは……」
神託を授ける神に頭を掴まれているかのように、ヴィヴィはぶるぶると顔を振り、唇を噛み切りながら言葉を吐いた。
「ま、まだ、おじじたちと一緒にいたい……」
オダは目を見開いて、拳を握りしめ――腰にくくっていた長剣を放り捨て、全ての荷物を淡々と放棄していく。
「オーロラと猫の宴……お前らの魔力量、合わせて、どんなもんだ?」
「そ、そんなもん、殆どないよ! 私は魔術師だから基礎魔力量は少ないし、あの二人だって身体能力を魔力で底上げしてるだけに過ぎないんだから!」
「なら、〝爆発〟させろ」
「は?」
「お前、お得意のやつだよ。
お前の魔術ってのは、10%の魔力量で100%の魔法を再現する技術だろ? アレを実現させて、爆発的に魔力量を引き上げろ。そうすりゃ、操魂咒は解けるはずだ」
オダの提案に対して、オーロラは苦役に喘ぐようにして叫ぶ。
「む、無理だよっ!! 魔力流出量を調節できない!! 百パーセント爆発して、全員が粉微塵になって終わるだけ!!
知ってるでしょ、私の成功率!? 0.01%だよ!? 成功するわけないじゃん!! 私、Dランク冒険者なんだよ!? ユウリさんみたいな天才と違って、なんにもできない!! あの子を救うことだってできるわけないっ!!」
「……おじさん、リストラされたんだよ」
「え?」
隠しておいた過去を嫌々ながらに見つめるかのように、オダは目を細めて口の端を曲げた。
「こっちに来る前には、システムエンジニアって職業でな。毎日毎日、死ぬかってくらい残業させられて、最後には使い物にならなくなったから契約を切られたんだ。もうダメだ、死にたいって思った時に〝世界がくっついた〟」
狭いアパートの一室と点滅したままの照明、部屋にある家具はノートパソコンくらいで、趣味という趣味がない毎日……生きたまま死んでいるような日常で、生きるために仕事を続けていた。
「正直、こういう展開が起きた時、『俺はSランク冒険者になれるんだろうな』と思ってたわ。そういう小説、大好きだったからな。だが、現実は底辺のDランク冒険者で、お前たちと出会わなけれりゃ野垂れ死にしてた」
異界の民である織田は、愛書であるライトノベルが流通している異世界に来た時、思わず大笑いしてしまっていた。この世界において、自分のような存在は、何も特別ではないのだ。
特別だったのは、ユウリ・アルシフォンだった。
「でもよ、楽しかったぞ、お前らと生きるか死ぬかの生活してな。欠片もフラグは立たなかったが、今じゃ娘みたいな存在として受け止めてる」
「おじさん……なにを……」
「俺を杖の代わりにしろ。魔術行使に必要な情報は、全部、頭の中に入ってんだろ? 魔力流出量は、俺の方で調節するから思い切りやれ」
オーロラは、息を呑んだ。
「ば、バカじゃないの!? 生身で魔導式触媒の代わりをする気!? 内部から吹き飛ぶだけに決まってるでしょ!?」
「バカ野郎。俺が、何回、デスマーチをくぐり抜けてきたと思ってやがる?」
「じ、自殺行為にしかならないよ!!
そんなの、私にはできな――」
「イルッ!!」
屍食鬼に吹き飛ばされたイルは、壁に叩きつけられて地面に落ち、懸命に立とうとするものの何度も崩れ落ちる。
そんな彼女に群がるようにして、屍食鬼たちが腐った両手を向けた瞬間――その腐手は、短剣によって切り刻まれ、剣閃を放った担い手は実の妹を庇うかのようにゆっくりと前に出た。
「ば、バカ、ミル……と、とっとと、逃げなよ……死ぬよ……?」
「誰がこれくらいで……死ぬか……イルみたいに……弱くない……」
ジリジリと壁際に追い詰められながら、イルを抱えたミルは片手で短剣を構え、そんな彼女を見つめた双子の妹は苦笑した。
「やっぱり……お姉ちゃんのこと……嫌い……」
「ミルも大嫌いだよ、バカ妹」
「時間がない、やれオーロラ」
窮地に陥っている姉妹を一瞥したオダは、オーロラにそうささやきかけ、泣きそうな顔をしている新米魔術師の両手を握る。
「誰にも負けない魔術師になるのが、お前の夢なんだろ? 努力の奥果てで眠ってた夢、目覚めさせるんじゃねぇのかよ?」
「おじさんは、ヴィヴィのために死ぬつもりなの?」
「違うね」
無精髭を生やした冴えない中年男性は、ニヤリと笑った。
「男の子はな、一度くらい、憧れてた英雄になりたいんだよ」
オーロラ・ウェルスターは、大事そうに抱えていた自分の杖をそっと床に置いて、代わりに彼の手を握り返す。
「それがおじさんの夢?」
「あぁ。おじさんらしい、格好いい夢だろ?」
「似合わないけど――」
彼女は、微笑んだ。
「少し、格好いいよ」
返事を聞いたオダは、勢いよく反転して、全力でヴィヴィへと突き走り彼女を護衛している屍食鬼に纏わりつかれ、引っかかれ、噛みつかれながら、ようやく守るべき対象へと辿り着き――思い切り、抱きしめた。
「は、離しぇ!! や、やめりょ!!」
大量の屍食鬼に食いつかれたオダは、自分の防具と肉が剥がれていく感覚を覚えながら、肩に触れた柔らかい手の感触を感じ、天と地がひっくり返るような衝撃、臓腑の奥底からくる強烈な激痛を覚えた。
「嫌だね」
抵抗するヴィヴィ、首元に噛み付いた乳歯の感触、じわりと血が滲んでいき、猛烈な勢いで裡から湧き上がる魔力を必死で目の前の少女へと流し込む。血液が焼けていく臭いが鼻から出て、目の端から沸騰した体液が垂れ流しになっていくようだった。
「は、離しぇ……や、やめりょ……や、やめちぇ……やめちぇよ……城を支えてるユウリ・アルシフォンは来なうぃ……死んじゃう……死んじゃうよ……!」
「お前は荷物なんかじゃない。それに、俺は結構、お前のことは気に入ってんだ。誰にも好かれないなんてことはないぞ」
ぽたぽたと落ちる温かい液体を感じながら、オダは肩から流れ込んでくる魔力と耳に飛び込んでくる複雑怪奇な詠唱を聞き取る。
「俺も……まだ……お前らと一緒に……」
心臓が破裂したかのような激烈な痛み――目の前が霞んで、オダの両腕からヴィヴィがすり抜ける。
倒れ込んだオダは、必死に前へ前へと手を伸ばすが、視えるのは死にかけの自分へと殺到してくる屍食鬼の姿だけだった。
群がろうとする敵を追い払おうとするオーロラが大声を上げ、イルとミルがこちらに駆け寄ってこようとする音が耳に入る。
間に合うわけがなかった。見栄を張って高級な防具を身に着けていたお陰で、どうにか命を拾っているような現況なのだから。
「ヴィヴィ……」
誰か、手を貸してくれよ。
オダは祈った。自分自身の腐った生涯を呪い、一人の少女も救えない不甲斐なさに苛立ちを覚えた。
「頼む……誰か……手を……」
涙で滲んだ視界の中、オダは死ぬ気で全身に力を込め、後ずさりをしながら泣きじゃくっている少女へと手を伸ばす。
「手を……!」
その手を――〝誰か〟がとった。
「……手は貸す」
屍食鬼たちが掻き消える。まるで、魔法みたいに。
オダを抱えた誰かは、驚愕で金縛りに合ったヴィヴィの元へと彼を連れていき、オーロラの片手が載せられていない〝左肩〟に手を置いた。
「……だが、救うのはお前だ」
「あんたになら」
死にかけのオダは、ヴィヴィの心臓目掛けて魔力を流し込む。
「惚れられても……文句は言わねぇよ……」
正気に返ったヴィヴィを確認したオダは、急速に意識を失っていき――完璧に修復されたガラス玉を握り込み、全速力で逃げていく英雄の姿を目に焼き付けた。