フィオールが良い話をしていた時も、ユウリくんは筋トレをしていた
一人で特異建造物を突き進むフィオール・エウラシアンは、遠くからの悲鳴を聞いて足を止める。
「ユウリ様に限って、大事はないと思いますが……大丈夫でしょうか?」
「フィオちゃん? 聞こえる?」
懐に抱いていた念話石から、聞き馴染みのある声が響き渡り、フィオールは石を顔の前にかざした。
「はい。聞こえます、レイアさん」
「よかった。感度が悪いせいか、他のグループとは連絡がとれなくて不安だったのよ。
そっちはどう? 大丈夫?」
安堵の息を吐いたレイアに対して、フィオールはいつもの調子で応える。
「今のところは、問題ありません。順調、そのものです」
「本当に? なにか、金属音が聞こえるけど?」
「いえ」
フィオールは、開いた宝物庫から湧き出てきた鎧たちの斬撃を受け止め、片手で相手をしながら念話石に声をかける。
「空の鎧に襲われているだけです。中身がないせいか一撃一撃が軽い上に、まるで出鱈目な剣筋なので、大した脅威だとは思えませんね」
「そ、そう……」
適当な魔力を片手に籠めたフィオールが、柄頭で頭を小突くと、兜に穴を開けた鎧は力なく崩れ落ちた。
「大した術師ではないのでしょう。恐らく、程度の低い死霊術師の仕業だ。ヴェルナだとは思えない。
それで、用件はなんでしょうか?」
「あ、ごめんなさい。用件という用件はなかったんだけれど……貴女とヴェルちゃんの〝馴れ初め〟を聞きたくて」
随分と気を使わせてしまっているな――このタイミングで、ヴェルナの話をさせようとしているレイアの気心に触れ、歩き始めたフィオールはぽつぽつと語り始める。
「あの子に出会ったのは、わたしが12歳の時。過保護な兄に甘えていて、天才の妹を恐れていた時期です」
「フィオちゃん、お兄さんと妹さんがいたの?」
「えぇ、まぁ。
兄の方はわたしのことを溺愛していて、冒険者になったと知られれば、家を捨てて出てきてしまいそうだったので、なるたけ公言はしないようにしていました。抱きつき癖がある人で、色々と癖が強くて……ユウリ様とパーティーを組んだ今となっては、バレてしまっているでしょうね。
妹は……いえ、ヴェルナの話でしたね」
自分を遥かに超えた才能をもった愛妹の顔を思い出し、その笑顔を打ち消すように首を振ってからフィオールは話を戻す。
「我が家の敷地には、『精霊の坩堝』と呼ばれる、精霊たちが集まりやすい場所があったんです。
『そこを貸し出して欲しい』……そう言って、半月間の移住を望んだ猩猩緋の民のグループの中にヴェルナがいました」
ぶすっとした表情をして、フードの隙間からこちらを睨んでいた彼女を思い出し、フィオールは思わず思い出し笑いをしていた。
「我が家は、彼らを客人として迎え、エウラシアン家で保護することを約束しました。わたしは同い年の彼女と友達になりたくて、積極的に話しかけていたのですが、全て『うるさい』で片付けられて内心苛ついていました」
「なんとなく、ヴェルちゃんらしいわね」
「えぇ。うちの妹とは折り合いが悪くて、毎日のように、言い争いをしていましたね」
笑いながら、フィオールは歩く速度を少し落とす。
「正直言って、あの時のあの子は嫌いでした。自分勝手でわがままで、その癖、負けず嫌いの自信家でしたから。何時か、痛い目に合えばいいと願っていて……実際に、その時がやってきました」
廊下を曲がり――打ち下ろされた長剣を躱して、フィオールは刃を鞘に走らせながら、脇を通り抜けて硬質な鎧を寸断する。
「ヴェルナと同じグループに属していた年上の猩猩緋の民たちが、六人がかりであの子を囲んで甚振っていたんです。現場に遭遇した時、わたしの心を支配したのは『ざまぁみろ』という会心ではなく『ふざけるな』という憤怒でした。
わたしは直ぐ様助太刀して、二人で六人を打倒しました。即席のコンビネーションだったのですが、なぜか、しっくりと上手くいったんです。
六人をどうにか倒した後、わたしが『貴女は調子にのりすぎた。こういう結果を招いたのは貴女自身だ。こういうことはもうやめなさい』と忠告をすると、ヴェルナは『ふざけんじゃないわよ、タコ娘!! 余計なお世話なのよ!!』と言い返してきて……その上で、襲いかかってきました」
「アハハ! 命の恩人にそれはないわね」
「えぇ。わたしもそう思ったので、本気でやり合いました。決着がつくのには二時間かかって、結局は魔力の打ち止めで引き分けになりました」
フィオールの頬に、微笑が浮かぶ。
「汗だくになって、心身ともに力尽きて、空を見上げたら――星が瞬いていました。綺麗な星空でした。横を視ると、同じように倒れていたヴェルナが、どこか満足そうな顔で満点の星空を見つめていました。
そして、言ったんです」
過去に舞い戻ったフィオール・エウラシアンは、一言一句間違えないように、彼女になったつもりでささやいた。
「『あんたは、強い。だから、あんたの忠告は聞いてやる』」
フィオールは、目を閉じて思い出す。愛らしい微笑み混じりで、小さなヴェルナは言っていたことを。
「『また、あたしが道を間違えたら……あんたが止めに来なさい』」
過去から現在へと、戻ってきた彼女は目を開けた。
「だから、止めます。わたしが。わたしが、止めないといけないんです」
決心を籠めるかのように石を握り締め、確固たる足取りで、フィオールは特異建造物の奥へと潜っていった。
「フィオ……」
機関室で、フィオールとレイアのやり取りを聞いていたヴェルナは、小さな声でつぶやいてその場に座り込む。
「ごめんなさい……過ちを繰り返しててごめんなさい……あーもー……こんなところにいないで、とっとと、こんなところ出なきゃ……でも、なんか、ココから出たらいけない気がするのよね……」
「いや、姉御、機関室から出るのはマズイですよ。あの変な大鎧とメイドは、間違いなく、Dランクパーティーなんかじゃないですからね。
あんなにも強い冒険者、どっから連れてきたんですかい?」
「あたしが、知るわけないでしょ!! あんなデカイ鎧の冒険者、視たことも聞いたこともないわよ!!」
怒鳴られた緑鬼精霊は、びくりと身体を跳ねさせ、それから「だ、だったら、あの鎧たちも姉御の仕業じゃないんですかい?」と尋ねてくる。
「あの鎧?」
「あの空っぽの鎧の群れですよ! てっきり、姉御が操魂咒で操っていたのかと思っていやしたが違うんですかい?」
純粋な疑問が湧き上がり、ヴェルナは不安から腰を上げる。
「わたしは、精霊使いよ。操魂咒を使うような、呪術師や死霊術師なんかじゃない」
「姉御じゃない? んー、そりゃ、おかしな話だな。
普通、操魂咒を用いて生者や屍体を操るには、距離が近ければ近いほどに都合がいいもんなんですよ。あそこまでの精度で、アレだけの数を操るとなると、『この特異建造物の中にいる誰か』が操作してると考えるのが自然だ。
姉御じゃないとなると、今、侵入してきている冒険者の誰かが操ってるって話になりやすが……あいつら、仲間同士じゃないんで?」
「なに、バカなこと言ってるのよ。
全員、あたしを助けに来た仲間に決まっ――」
ぞっ――心臓をすくませるような異様な寒気が、全身を粟立たせて、ヴェルナは〝自分の裡〟から、誰かに視られているような感覚に囚われる。自分自身のコントロールが、全て乗っ取られているかのような異様な感じ。
ヴェルナは、恐怖から周囲を素早く見回し、己の心臓を外側から掴み上げる。
「誰……?」
彼女はささやきかける。
「誰なの……?」
そのささやきに、応える者はいなかった。