ボディタッチは嬉しいんだけど、嘔吐しちゃうから止めて欲しい
「で、首尾のほうはどうだ?」
王座に腰を下ろした王は、己の心労を癒やすために自身の突き出た腹を擦りながら、苦渋に満ちた顔でささやいた。
「芳しくはありません。エウラシアン家の次女が接触したようですが、無下に断られたようです」
全身を黒衣で包み、顔を『笑う悪魔』の仮面で隠した王直属の密偵――『王裏の仮面』の一員は、王の前で跪き、己の声帯を自在に変化させながら〝個人〟を特定させずに語った。
「失礼ながら、王にご意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「なんだ」
白い髭を弄くり回しながら、老いた王は目を閉じる。
「『ユウリ・アルシフォン』を放って置くわけにはいかないのでしょうか?」
「そうか、お前は新米だったか……ヤツは、たった一人で、数百の龍種《飛》の群れを撃ち落とした」
「……は?」
自分自身をひた隠しにし、全体で王裏の仮面と名乗る一個の集団は、あまりの衝撃に一人として声を漏らしてしまっていた。
「か、彼は、遠距離攻撃の手段をもたない、軽装戦士だと聞き及びましたが……」
「投げたのだ」
「投げた?」
頭に載せている王冠の重みに負けたかのように、嘆息を吐いてから、王は冠を外して脇に置く。
「鍛冶屋から格安で買い取った作りかけの幅広剣を、高速で飛翔する飛竜に投擲した」
「バカな……当たるわけがない……!」
「当たったのだ。この目で視た。一匹の撃ち漏らしもなく、王都の住民や家屋に当たらないように、落ちる角度まで調整して頭を潰した。幅広剣の在庫がなくなれば、近くの民家の壁を剥がして煉瓦を投げつけ、全てが終わった後にきちんと弁償していた。なぜか、受付嬢経由で」
有り得ない。空の支配者とまで言われる龍種の中でも、最も速く飛び、最も硬い頭蓋をもつ飛竜の頭を『煉瓦を投げて潰した?』……200kmで高速飛翔する生物に全弾命中させ、撃ち漏らしすらなかったというのか?
驚愕を通り越してほら話としか思えない語りに、冗談だと思い込んだ密偵が笑いだそうとした瞬間、憤怒に顔を染めた王が肘掛けを殴りつける。
「なぜ、あやつは、頑なにパーティーを組もうとしない!? あそこまでの力をもっていながら、自身の力を誇示しようともせず、星の数ほど寄ってくる女には欠片の興味も示さない!? こちらが懐柔策に出てやろうと叙勲を言いつければ、『仕事があるので無理だ』と断り、傾国の美女を送りつければ『話すことはない』と撥ね付けるのだ!?
あやつがどこかのパーティーにでも入らん限り、儂は枕を高くして寝ることができぬ!!」
その話が事実だとしたら、王の怒りと不安はご尤もだ……そのような化物、放置しておけば、何時寝首をかかれるかわからない。
「ヤツは、何を考えているのだ!? あそこまでの力をもてば、この世に恐れるものは、何もないだろう!?」
一人の王は、いよいよもって、ヒステリックを起こそうとしていた。
「名誉も人望も意のままだと言うのに、なぜ、人と関わろうとせぬ!?」
人間が怖いんだよね、うん。
何時ものように、屋根から屋根に飛び移りながら、僕は街の通りを歩く人たちを見下ろしていた。
なんて言うんだろう。昔から引きこもりがちだったせいで、人目が怖くなっちゃったし、相手と上手く喋れる気がしないんだよね。冒険者になってから数年間、ダンジョンに籠もって修行していたからかもしれない。
ようやく家のある通りについて、地面に下り立った瞬間、左右から柔らかい生き物に抱きつかれる。
「ユウリさま、はっけーん!」
「確保……確保……!」
成人に至っても150cmにも満たない身長と、左右の色合いが異なる瞳、身体のどこかに〝獣〟としての特徴が現れる種族――『獣人の民』の双子は、猫の耳と尻尾を動かしながら僕の腕に胸を押し付けてくる。
「かくほ! かくほー! いちばん! いっちばーん!!」
「ユウリ様……今日、今日ね……! イルとミル、頑張った……! すごい、頑張った……!」
右の元気な方がイルで、左の大人しい方がミルだ。
イルは右の目が青で左の目が赤、ミルがその反対の色合いの目をもっている。その類まれな可愛らしさのせいか、この二人は冒険者たちから絶大な人気を誇っている。
にも関わらず、イルとミルは、この二人だけで構成されたCランクパーティー『猫の宴』への加入申請依頼を全て撥ね付けているらしい。
「ユウリさま、イルのパーティーにはいって!! きょーこそ、はいってくれるでしょ!? ね!? ねっ!?」
「入って……入って……!」
なぜか、僕を除いて。
「……断る」
いや、断りたくないんだよ。可愛いもん、ふたりとも。これだけ懐いてくれるのは有り難いんだけどさ、ここまで密着されると吐いちゃいそうなんだよ。ボディタッチが過剰なのは嬉しいけど、ゲロ吐きそうだから止めて欲しいという矛盾。
「なら、およめさんにして! イルとミルで、ふたりのおよめさん!!」
「およめさん……頑張る……! ファイトする……!」
「……ダメだ」
わかるわかる。こういう小さい頃って、なにかと年上に憧れたりするんだよね。でも悲しいかな、こういう気持ちは、大人になったら忘れてしまうものなんだよ。ふふん、僕くらいになると、下手な勘違いをして恥ずかしい思いをしたりしないからね。
あー、というか、女の子なのに男に対して、こんなに身体をくっつけたらダメだよなぁ。叱ろうかな。うん、ちょっと、説教しよう。
「…………」
「ユウリさま? どーしたの?」
「お顔、変……格好いいけど……」
はい、お口は開きません! 知ってたー! 知ってた速報ー!!
「も、もしかして、めーわく? イルとミル、めーわくだった?」
「あ……ご、ごめんなさい……」
オイオイオイオイ!! 違う違う違う!! 大好きだよ、ふたりとも!! 愛してるよ、フォーエバー!! ウォオオオ!! 動け、僕の頬ォオオオオ!!
懸命に吐き気を堪えていた僕は、普段全く使っていない頬の筋肉を全力で動かし、かろうじて口の端を曲げる。
「……迷惑ではない」
そんな僕の努力に対して、イルとミルは放心状態に陥ってからぽうっと頬を染め、とろんとした目つきで僕を見上げる。
「ゆ、ユウリ様……すき……」
「す、好き……大好き……」
人からの好意、嘔吐感がスゴい!! コミュ障にとっては、瘴気としか思えない!!
僕はついに耐えられなくなって、その場から離脱するために後方に飛び、口元(既にゲロが漏れ始めてる)をマスクで隠して、片手をバッと前に突き出した。
「……去れ」
もう無理だよ。今日は人と会話し過ぎた。完全にキャパオーバー。人と話せる回数は、有限だということに、どうして人類は気づけないんだよ。
「ユウリさま、てれてる! かわいー!」
「可愛い……可愛い……!」
二人は手と手を組み合わせて、ぴょんぴょんと跳び跳ね、身軽な動きで通りの向こうへと駆け出した。
「イルもミルも、どれだけ競争率が高くても、ユウリさまのことはあきらめないからー!」
「不屈の精神……敗北宣言はないの……!」
今日もどうにか吐かずに済んだと安堵して、元気いっぱいに、手を振りながら去っていく双子を見送る。
あの双子の少女もそうだが、なんで、僕なんかとパーティーを組みたがる輩が多いんだろうか……考えてはみるものの結論は出ない。
確かに僕は強い方ではあるらしいが、こんな無愛想な人間とパーティーを組んでも、ろくなことにはならない。なるたけ、他人には迷惑をかけたくないのだ。とは言え、寂しいのも事実なんだけどね。
あーあ、僕も『Sランク冒険者に、求婚されてみた』の主人公みたいに、美少女から求婚されてみた――我が家の扉を開けると、今正に服を脱ごうとしていた、金髪の美少女が「あ」と声を上げて顔を真っ赤に染める。
「あ、あの」
どこかで、声を聞いたことのある彼女は言った。
「わ、わたしと結婚してください……」
臨界点を超えた僕は、真顔のまま、勢いよく嘔吐した。