トリスタンとの決着
空間魔法による任意空間の接合、短縮、展開……3つの手順を瞬時に行ったトリスタンは、ユウリ・アルシフォンの背後をとり、完璧な位置取りで彼の延髄へとナイフを叩き込んだ筈だった。
筈だったが――
「そんな……バカな……」
彼は、当然のように、必殺の一撃を〝指一本〟で受け止めていた。
「うっ」
身体を隠すようにして、ローブの前留めを押さえているユウリの眼光を至近距離で浴び、圧に押されたトリスタンは後方へと逃げる。
「…………」
ユウリ・アルシフォンは、ローブを右手で押さえたまま、左手をスッと前に突き出す。
片手で十分だとでも言うつもり?
ココでユウリ・アルシフォンを相手取るべきではないとわかりつつも、敢えて挑発に乗った彼女は、自身の最高の一撃を用意するために、己の纏っている〝紙切れ〟に魔力を流し込む。
「ユウリ・アルシフォン」
神秘装束、『心紙の空観』――彼女の周囲に展開された紙切れには、全て異なる〝目〟が描かれていた。
大量の目玉は空を彷徨うかのように、ユウリの周囲を渦巻き始め、空間の歪みが次第に目に見えるようになる。何かが起こり始めるかのように、次第に蜃気楼が如くゆらぎが生まれ、目玉の中心にいるユウリの周辺の〝魔力〟が連鎖反応を起こすかのように膨張を始めた。
心紙の空観を解放したトリスタンは、白色のペチコート姿になって指先を眼前に立てた。
「今更、逃げてもムダ」
銀色の巻き髪から、悪魔のように捻れた二本の角を突き出した少女は、愛らしい顔立ちに微笑を交えて、金色と銀色の瞳を瞬かせる。
「知ってる? ある空間に存在できる魔力量は限られてること。
通常、空間は固定化されていないから、常に流動的に魔力は空間から空間へと流れているけど、もしも、固定化された空間に、一気に別空間の魔力が流れ込んだら……どうなると思う?」
背丈の小さな獣人の民の彼女は、間髪を入れずに詠唱を口にする。
「神秘、解放申請、論理式――」
トリスタンは、銀髪を溜め込んだ魔力で逆立たせながら、二本指で宙空を切り取って叫んだ。
「空間流動ッ!!」
爆発――地面が揺れるような轟音、鼓膜が破れたかのような大音響の中、目を眩ませる閃光がルポールを輝かせた。
空間から空間へ……魔力という魔力が、心紙の空観の目玉を通して、一気にユウリ・アルシフォンの周囲空間へと雪崩れ込む。
紙に描かれた魔眼によって固定化された空間は、過剰な魔力を流し込まれ、膨大な魔力量が限界を迎えて――連鎖的に大爆発を起こした。
爆発によって生まれた魔力が、別の空間へと押し込まれ、それがまた魔力爆発を生み出し、怒涛の連撃爆破がユウリ・アルシフォンを包み込む。
耳を劈くような爆音に、肌を焦がすような熱を生む爆風、街道と化している石材が弾け飛んで宙を舞い、穿った地面が凄まじい破壊力を物語る。
「先輩っ!!」
逃げてない、逃げるような隙は与えてないし、魔法を使った痕跡もない――自身の勝利を確信して、背を向けたトリスタンの耳に〝足音〟が入り込む。
「嘘、だ……」
爆煙の中を突っ切って進むユウリは、無傷そのもので、散歩をするかのような泰然自若さでゆっくりと彼女の方へと歩いてくる。
その姿に、トリスタンは、紛れもない〝恐怖〟を感じた。
「し、神秘、解放し――」
飛来してきた〝何か〟が、トリスタンの真横を通り抜け、彼女の頬から血液が滴って地面へと落ちる。
み、視えなかった。
空間魔法による防御すら不可能な神速の一撃、トリスタンは何をどうしても敵わないという事実を前に、身を翻して逃走を図り――行く手を遮っている、ユウリ・アルシフォンに驚愕して後ずさる。
「か、勝てるわけがない……こんな化物……」
十メートル先にいる彼は、ふわりとトリスタンへ白いハンカチを投げ込んだ。
白旗を振って、降参しろとでも言うの?
ユウリ・アルシフォンは、もう一度、左手を前に突き出して、こちらをじっと見つめる。その眼差しには、殺意も怒りも籠められておらず、彼女が仕出かしたことを全て赦すかのように平静そのものであった。
「……わかった」
トリスタンは、白いハンカチを振った。
「私の負け。好きにしなさいな」
何も言わずにユウリは背を向けて、この場から立ち去ろうとし、トリスタンはぽかんとして口を開ける。
「え、ちょ、ちょっと、アーミラ・ペトロシフス・リリアナラ・ウェココロフ・ペチータ・アインドルフはいいの?」
「……ココに、アーミラはいない」
その言葉を受けて、ようやく、最初から最後までユウリの掌の上であったことを知った彼女は、思わず笑い声を上げた。
「負けた。完膚なきまでに負けた。アナタの勝ちよ、ユウリ・アルシフォン」
尊敬の念を籠めて、トリスタンはささやく。
「次は勝つ。憶えておいて。
ごめんね、お嬢さん」
ヴェルナに一言を添えてから、彼女は捻じ曲げた空間へと消えていった。
最後まで、全裸にならずに済んでよかった。
スライムプールに長居していた僕は、なぜか原生スライムに異分子だと捉えられ、海パンと脱いだ服を綺麗に溶かされて絶望していた。
「ローブがあって……助かったよ……ホントに……最初は、拾ったハンカチで、股間だけ隠してたし……」
全裸で街を駆け抜けた僕は、そこら中にいる人達に悲鳴や喚き声を上げられ、あたかも天災害獣が街に入り込んだ時のような騒ぎを起こしてしまった。あの声だけを聞いていたら、そういう勘違いをしている人もいるかもしれない。
そういうタイミングで、フィオールには死んでもらう云々ってノリノリで言ってる、劇団員の人と会っちゃうんだもんなぁ。せっかく、僕のためにやってくれてることだし、少しは付き合うべきだとは思ったけど、全裸の状態では無理があったよ。
『今は、やめてくれ』って、何度合図してもやめてくれないし……頬に怪我させちゃったこと、怒られたらどうしよう。
街のゴミ箱に捨てられていたローブで、裸であることを隠していたから、迫真の演技で本物の爆発まで起こされたのは正直困った。僕の為とはいえ、レイアさんもやり過ぎなんじゃないかな? アーミラちゃんをどこで知ったか知らないけど、アーミラ役としてヴェルナを抜擢するのはダメだよね、うん。
「顔、見られてないよね……ハァ……最悪だ……」
それにしても、帰りの地下通路に、何時もよりもたくさん天災害獣がいたのはなんだったんだろう?
ローブの前留めを押さえながら、僕はトボトボと帰路を急ぐ。
「演技じゃなくて……本当に格好いい英雄みたいなことしたいなぁ……」
夜空を見上げて、嘆息を吐き――なにもせずに、一日が終わってしまったことに、僕は哀しさを覚えていた。
この話にて、第一章は終了となります。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。
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