目を、開けろ
「悠里? 悠里、聞いているのか?」
ぼーっとしていた僕は、我に返って、隣を歩いている梨衣菜を見つめる。
「どうしたと言うんだ? 今朝、食卓に出てきた味噌汁の具がツチノコだったか?」
「……いや」
彼女は、梨衣菜。隣の家に住んでいる幼なじみで、僕よりも二歳上のお姉さん。昔から、なにかと世話を焼いてくれる。特撮ヒーローが大好きで、日曜の午前九時に起きることを日課としている。
なにも、おかしなことはない。当たり前の話だ。
「……チュパカブラだった」
「U・M・A!! U・M・A!!」
いつものようにバカ話をしていると、禿頭の老人と上品な出で立ちの老婆が、仲睦まじげに手をつないで歩く姿が目に入る。
「おっ、爺じゃないか! まーた、奥さんとデートをしている。昔からあんな風だったらしいぞ、どう思う、将来は一生独り身?」
「……勝手に予言して呼び名にするな」
「奥さんのほうが、よく転ぶらしくてな。ああして、手をつないでいないと不安だと言い訳していたよ。口答えするのは、そのハゲ頭だけにしろと叱ってやった」
理不尽の塊ですか、この人?
「……娘の名前は、わたしと同じ『りいな』らしい。どういう漢字を書くかは知らないがな、光栄だと思うよ」
寂しげにその影を見送った彼女は、歩道橋の上で微笑む。
「まぁ、安心しろ。わたしが、一生、傍にいてやるからな。キミが一生独り身なんてことは、金輪際、有り得ることはないんだよ」
「……プロポーズか?」
「あはは! 笑わせんな、クソガキ」
梨衣菜は、とても良い笑顔をしている。ココでは、こうして、彼女は笑えている。
ん? なんだ、ココではって?
「あー! 悠里先輩と梨衣菜先輩だー!!」
後ろから声、同時に抱きつかれて姿勢を崩す。
けたたましい笑い声を上げている少女、そして同じ顔をもった女の子……双子の少女は、猫耳のアクセサリーを揺らしながら、僕の腰元に縋り付いている。
「伊瑠と美瑠か。
おい、わたしの許可もなしに、悠里の口座から金を抜き取ろうとするなよ」
「な、なんで、腰元に抱きつく度に、クレジットカードパクると思われてんの? そんなこと言うの、梨衣菜先輩くらいだよホント」
「大変……不愉快……テーマパーク帰りで、楽しかったのに……極めて不快……」
どうやら、学校をサボって、テーマパークに行ってきた帰りらしい。両手いっぱいにお土産の袋をもっていて、猫耳のアクセサリーはそこで買ったものだろう。よくもまぁ、補導されなかったものだ。
「ねぇねぇ! 暇なら、これから四人で駅前にでも――って、ヤッバ!! ママにバレた!! めたくそにキレ散らかしてる!!
じゃ、じゃあね、ふたりとも! また、あしたー!!」
「え、エマージェンシー……エマージェンシー……うーうー……」
最後までやかましかった双子は、袋を膝やらにぶつけながら、慌ただしく去っていく。家に帰ってからも、また、怒られることになりそうだ。
そんなふたりを見送ると、ポケットが揺れる。スマートフォンだ。
チャットアプリの通知がきていて、織田さんから『たすけて』というSOSが発信されていた。
「どうやら、また、英雄の出番らしいな」
梨衣菜が苦笑して――ハンバーガーショップに入店すると、待ち合わせをしていた織田さんが、げっそりとした表情で片手を挙げる。
「……たすけて」
「…………」
「詳しい話を聞かせてくれ、だそうですよ」
ピクルスが食べられない僕のために、ピクルス抜きバーガーを頼んでくれた梨衣菜が、ソレらを載せたお盆をもってくる。当然、織田さんのおごりだ。
「おじさん、全然、年頃の子がわかんないの……だって、突然、外国人の女の子がふたり、娘になりましたって……なんて、タイトルのweb小説? オーロラとヴィヴィって名前、何人なのか知ってる?」
「…………」
「お前、悠里さぁ!! もぐもぐ食べてないで聞いてくれよぉ!! 親戚であり、かつ親友だろ俺たちさぁ!!」
「悠里、口の端、ケチャップついてるぞ。舐め取って、ギャルゲーみたいなイベント発生させてやろうか?」
「聞いてくださぁい!! バツイチ子持ちの外国人と結婚しちゃった、中年親父の悲哀を聞いてくださぁい!!」
紙ナプキンで口元を拭いてもらいながら、僕は自信たっぷりにささやく。
「……がんばれ」
「頑張れないから、相談してんだっつうの!! うつ病患者と社畜おじさんに頑張れは禁物って、日本社会の常識だよ聞いたことないの!?」
そんな暗黒社会に属した覚えはありません。
「って、どわぁ!!」
急に織田さんが立ち上がり、出入り口を見つめる。
そこに突っ立っているのは、ふたりの女の子。一度、写真を見せてもらったが、彼女たちこそオーロラとヴィヴィだ。
「なになになに!? なんなの!? おじさん、はじめてだよ!? 会社に居たほうがましとか思ったのはじめて!! コレが結婚の闇ってやつ!?」
早口の外国語で会話をしているふたりは、織田さんのほうをみて小馬鹿にするみたいにして笑い、両脇をもって強制的に連行していく。
「こわいこわいこわい!! なになになになんなの!? キャトルミューティレーション!? これから娘ふたりに解剖されんの!? おじさんの剥製飾っても、誰も見に来てくれないよ本当に!! たすけて、悠里!!」
「……がんばれ」
手を振ってあげると、オーロラとヴィヴィが笑顔で振り返してくれる。織田さんは、最後まで、いい歳して本気で泣いていた。良いトリオだと思う。
「さて」
コーヒーを飲み終えた梨衣菜が、微笑を浮かべながら立ち上がる。
「いい加減、我が家に帰ろう。皆が待ってる」
なんだかんだ言って、密度の高い一日だった。
僕らは連れ立って、隣同士の家に帰る。夕方、幾度となく繰り返したように、窓から騎士王が入ってくる。その後に続いて、鳥栖譚、梨衣菜が携帯ゲーム機をもって自室に侵入してきた。
「悠里!! 今日こそ、アバルジャイバン倒すぞ!! あの素材が手に入らない限り、今夜は眠りまてん!!」
「……うるさい、キラキラネーム」
「悠里、ソレ、私のこともバカにしてるから。なんなら、脈絡もなく、無理矢理に鳥栖譚とかフザけた名前つけられてる私のほうが酷いもん」
「あはは! 我が家は、長女が生まれた時は、まともな頭をもってたらしいがな。わたし以降は、バカ親父がフザけにフザけたらしい」
「どうせ、改名するから良いんだよぉ!! とっとと、始めようぜ!! 俺たちの熱い夜をよぉ!!」
騎士王は、なにかと僕のことをライバル視するので、対戦型ゲームをすると大変なことになる。なので、この三馬鹿姉弟との定例ゲーム会は、大抵は協力型のゲームプレイに徹している。
18時開始のゲーム会は、ぎゃーぎゃー喚きながら、19時半の夕飯まで続けられる。夕飯中に作戦会議が行われて、両家族が集まる食卓は、テレビの音やら大人たちの酒宴やらで死ぬほど騒がしい。
その後は、23時までゲームの続きかおしゃべり。最後は同じ部屋で眠って、平日は一緒に登校、休日祝日は公園で草野球か鬼ごっこなどしょうもないことをする。
こんな毎日が、たぶん、一生続くんだと思う。
「……なぁ、悠里」
夜半、隣の布団から、騎士王の声が聞こえてくる。
「俺たち、ガキの頃は喧嘩ばっかりだったけどさ……今は、大の仲良しだよな……あのゲームみたいに他の世界があるとしても……きっと、俺たちは、こんな風に、ひとつの家族みてーに幸せに暮らしてんだろうな……」
「…………」
「憶えてるか……ガキの頃、血の誓いだって言って、四人でおふざけしたよな……ナイフ、持ち出したせいで親父に怒られたっけ……」
「……あぁ」
「俺は、お前も梨衣菜も鳥栖譚も……大好きだからさ……守るためならなんでもするよ……だから、安心しろよな……誰もお前に指一本足りとも触れさせたりしないからさ……」
「……寝ろ、バカ」
「恥ずかしがり屋ぁ!」
心地の良い感覚、眠りに落ちて――目が覚める。
目が覚める。
目が覚める。
目が覚める。
今日は、休日。今日は、休日。今日は、休日。
シュヴェルツウェイン家、ヴェルシュタイン家、両家の娘さんたちとデートをするつもりだ。迎えに来てくれると言っていたから、フィオールとヴェルナが、外で待ってくれているだろう。
「ゔぇゔぇゔぇあじょgyじゃ、:ずぁいぼえおあぺあbねあmがえ?」
顔面の半分を欠損したフィオールが、血泡を吹きながら、元気よく僕に挨拶をしてくれる。たぶん、今日は、神の採択が起こったんだろう。
だって、ほら、雲が肉塊に変わっている。周りが真っ暗だ。地面から青白い手が生えて、天秤を形作っている。
「1111111111111333332222222455512211212!? 0000000000000000!! 000000000000000!!」
首を吊っているヴェルナが、モザイク越しに好意を叫んでくる。ありがとう、とても嬉しいよ。
明日は、パーちゃんと駅前に出かけて、服がダサい組を脱却するために服屋さんに挑戦するつもりだ。玲亜先生に怒られないように、きちんと宿題を終わらせて、マルスさんに褒めてもらうんだ。それから、シルヴィに国語を教えないとな。
あーそれにそれに、ルィズ・エラのメンバーと電話会議をしなきゃ。今後のことを相談して、一緒に同人ゲームを作るんだ。同人サークル五つ目なら、僕の出したアイディアを上手く形にしてくれるだろう。
たのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだなたのしみだ――違うだろ。
ぷつん。
目の前が、真っ暗になる。
ぱちん。
電気がついて、安楽椅子が視えた。
その前に人影。見覚えがある。
茶色のブーツ、腰には長剣をぶら下げており、灰色の革鎧を身に着けている。銀色の胸当てが艶めいていて、赤色の宝石がはめ込まれた首飾りが揺れていた。
リーナは、哀しそうに微笑んで、僕のことを見つめている。
「……本当にね、わたしは、キミに英雄になんてなって欲しくなかった」
直感的に理解する。
ココは――地獄だ。
「こんなにも苦しいことは、他に存在していないんじゃないかな。たぶん、幸せになった英雄なんてひとりもいない。見返りを求めない正義は、視点や観点を変えれば悪で、英雄行為は非道な行いへと変じることは容易い。
誰もを救おうなんて我儘、誰もが赦したりはしないんだよ」
「…………」
「この幸せな世界は、嫌いかな? キミにプレゼントした夢物語は、こういった幸福で満ちた世界だったように思える。ご都合主義という言葉で飾られた、偽りめいたハッピーエンドは反吐が出る?」
「……いや」
「だったら、なんで、拒絶した? フィオール・エウラシアンとヴェルナ・ウェルシュタインの現実的な未来を、この世界で思い描いたのはなぜ? 彼女らを血と醜悪で塗れさせて、あの酷い現実を視たのはなんでだい?」
「……だから」
「え?」
「……英雄だから」
ささやく。
「……僕は、お前の、たったひとりの英雄だから」
とても、とても、とても。
とても、哀しそうで嬉しそうに――彼女は、笑った。
「そっか……悠里、キミはそうだよな……そういうと思ったよ……だから、わたしみたいなバカの後を継いだんだもんな……」
安楽椅子が、徐々に遠ざかっていく。
その椅子に寄り添った彼女は、僕にそっと言葉を手向ける。
「がんばれ……がんばれ、悠里……キミなら……キミなら、きっと、できるから……こんな世界、目じゃないくらいに幸せになれるから……だから……だから……」
涙を流す彼女は、僕に握り拳を突き出す。
「負けるな、わたしの英雄……」
夢は終わりだ――目を、開けろ。