間に合わない理想
血でまみれた身体を、引きずるようにして走る。
限界だった。それでもなお、ヴェルナは、ひとりでも多くの人間を救うために。王都の中心、精霊の坩堝を目指して駆け走っていた。
曲がり角を曲がり――はち合わせする。
「「あっ」」
互いが互いを見知った顔、ふたりは思わず吹き出した。
「フィオ、あんた、すごいボロボロじゃない。なんでそんな状態で走れんの? 足なんてぐちゃぐちゃで原型留めてないわよ?」
「ヴェルナ、貴女こそ、衣服が真っ赤じゃないですか。血液で満たされた水槽にでも、入ってきました?」
見つめ合い、そして抱き合う。
「生きててよかった……やっぱり、あんただったのねフィオ……西塔、任せちゃってごめん……ありがとう……」
「良いんですよ、ヴェルナ……貴女が無事だったらそれでいい……辛い時に助けに行けなくてごめんなさい……」
涙ぐむふたりは離れ、ヴェルナは顔を歪める。
「ごめん。東塔、壊しちゃったのあたしだ。全力で撃った」
「全力で撃たざるを得なかった相手と状況だったんでしょう? だとしたら、どちらにせよ、東塔は守りきれなかった」
通り過ぎた衛兵にトリスタンを預けたことを思い出し、あの小さな身体のどこにあそこまでの力が宿っていたのかと思う。
――わ、私が……私が負けたら……り、りーなは……りーなは、どうなるのよ……
いや、あそこまでの“意思”か。
「ヴェルナ、わたしたちで、精霊の坩堝だけは守り切らなければ。あそこが解放されてしまったら、神の採択が始動して、この世から人類が消え去ることになる」
究極魔法、神の採択……精霊の坩堝の解放、神託の巫女による制御、そして大いなる犠牲をもって始動する願望実現器。アーサーたち、円卓の血族の狙いは、アレを使って願いを叶えることだ。
止めなければ、この世界から人が消える。
東塔が崩壊して、王都の守護陣は消失した。もう王都が堕ちることは避けられない。だったらせめて、精霊の坩堝の解放を阻止して人類を救わないと。
「精霊の坩堝には、Sランクパーティーが三組も待機してる。トマリ……あたしの友達が、そういう手配をしてくれてる筈だから」
「王都の冒険者ですか。わたしたちよりも経験は数段は上、認めたくはありませんが、実力も上回っているでしょうね」
だから、大丈夫。大丈夫の筈だ。大丈夫の筈だから、わたしたちは、四方の塔の守護に回ったんだ。
だが、ヴェルナは不安を拭えない。言いようのない懸念が彼女の頭を支配して、気持ちの悪い汗を排出し続けていた。
「東塔が堕ちた以上、最早、北塔にこだわる必要はない。行きましょう。三組よりも四組のほうが良いに決まっている」
「……えぇ」
ふたりは走り出して、精霊の坩堝を目指し――ゆっくりと足を止めた。
「よう」
血沼に浸かってきたのような、粘つきをもつ濃赤色。
金と黒の髪をもつ少年は、血溜まりに沈む、十三の死体の中心に座っていた。あたかも、血で象られた円卓の中心にいるみたいに。攻撃痕の残る服を身につけて、彼は気さくに手を挙げる。
「北塔は捨てたか、賢明だな。計画通り、既に飛竜の大半は王都内に入った。今更、四方塔による魔力防壁にこだわる必要性はねぇさ」
宝石によって過剰に飾られた、まるで玩具みたいな剣。腰に帯びたソレを揺らしながら、彼は座っていた“頭”から腰を上げる。
「お前らの英雄はどうした?」
「…………」
「そうか、死んだか」
「ユウリ先輩が死ぬわけないっ!! あの預言書の通りに力を失ったとしても!! あの人は、きっと来る!!」
「お前らが死んだ後に?」
アーサーは、微笑を浮かべる。
「それとも、王都が滅んだ後か? 世界から人類がいなくなった後に、遅刻しましたなんて言い訳、許してやる人間はそもそもいないぜ?」
「ユウリ様は来る」
フィオールは、ふらつきながら剣を構える。
「絶対に……来る……!」
「人形遊びに興じる年齢でもねーだろ? そろそろ、現実見据えて、諦めたりしてくれねーかな?」
「笑わせないでよね。あんたひとり程度、あたしたちふたりで十分なのよ」
ため息を吐いて、アーサーは頭を掻いた。
「なら、足掻いてみろよ」
「吹き――飛べ……っ……!!」
紋様は腕に伸びる途中で力つき、ヴェルナは魔力中毒の症状によって、勢いよく喀血して膝をつく。
「ヴェル……なっ……!?」
吹き飛んでいる。
激戦によって魔力が枯渇したヴェルナによる不完成魔法、そんな出来損ないによって、アーサーの上半身が吹き飛んでいた。
「えっ……ちょっ!? い、今ので死んだのアイツ!? 口だけ!? な、なんで、あんな強者感出してたのよアイツ!?」
「なんだったんで――ヴェルナッ!!」
左肩に刃が食い込み、ヴェルナは左手から強風射出。自身を回転させながら距離をとり、傷口を抑えながら振り返る。
「な、なんなのよコイツ……」
当たり前のような顔で、ヴェルナの背後に存在しているアーサー。吹き飛んだ下半身は元通りで、装飾過多な剣をぷらぷらと揺らしている。
「魔術……モードレッドと同じ……数代を経て、完成させた魔術だ……」
フィオールのささやき声に反応すると、強張った顔の彼女は目を細める。
「復元……しました……貴女の後ろに吹き飛んだ彼の上半身が……ブレて視えたかと思ったら……元通りに戻ったんです……」
「バカな、不死だとでも言うつもり? そんな魔術が存在していたとしても、かなり高名な魔術師が徒党を組んで、幾代にでも渡って完成させる必要性が――」
「シュヴェルツウェイン王家だよ」
秘密を明かしたにも関わらず、どうでも良さそうな口調でアーサーは言う。
「シュヴェルツウェイン王家が、長年に渡って完成させた『真の王は死なず』の術式だ。
モードレッドの術式は眼に宿ってたが、王家の術式はこの聖剣に刻み込んで完成させた。本来なら門外不出の術式は血肉に刻み込むもんだが、シュヴェルツウェイン王家はなにを考えたか、この玩具みたいな剣に刻んで代々伝承を行ってきたんだ」
「……なんで、今、そんな種明かしをするの?」
「え? 冥土の土産?」
嘘だ。ココは現実で、物語じゃない。冥土の土産だなんてバカみたいな論理で、まだ殺してもいない敵に命綱を預けたりはしない。
だが、だとしても――あの剣は、引っかかる。
「フィオ」
「えぇ、わかってます」
狙いは、腰に下げている剣。
ヴェルナはフェイントのために敢えて目線を外してから、見当違いの方向に“空砲”を撃ち込んだ。
「お?」
アーサーは見事に釣られて目を外し、フィオールは懐へと飛び込んでいる。
「あっ」
首が消し飛ぶ。
と同時、フィオールは聖剣へと手を伸ばし――顔面が弾け飛んだ。
「フィオッ!!」
蹴り。単純に魔力が注ぎ込まれた蹴り。頭蓋骨が軋む音が聞こえてくるかのような、重くて響くような回し蹴りがフィオールの顔面を蹴り飛ばす。
「うっ……」
う、撃てない!! フィオを盾にされた!! 釣られたのはこっちだ!!
既に再生を終えているアーサーは、射線をフィオールで塞ぎながら、なぶるようにして彼女を殴る。
殴る殴る殴る殴る、殴り抜ける。
ありとあらゆる方向に血しぶき、失神しているフィオールは地面に倒れ込もうとするが、それをアーサーは許さない。倒れる方向に拳と足を運び、的確に急所へと叩き込んで、赤色の飛沫を上げさせる。
「うっ……ぐ……っ!」
ヴェルナは、精霊使いだ。基本戦法は遠くから魔法を撃ち込むことであり、決して敵に己から近づくべきではない。
論理的に考えればそうだ。だが、感情論が差し込まれる。
「クソ……クソ、クソ、クソぉ……っ!」
肉塊みたいにもてあそばれる親友を視てられず、ヴェルナは駆け出してアーサーに接近する。
「ほい」
こちらに突き飛ばされたフィオール。
思わず、抱きとめて――彼女ごと、刺し貫かれる。
「あっ……」
膝をつく。限界だった全身がとろけ落ちて、よだれと一緒に口から、意思とは裏腹の弱々しい声が漏れた。
「あっ……あっ……あっ……」
引き抜かれて、蹴り飛ばされる。地面にふたりで倒れ込んで、ヴェルナは、必死に傷口を塞ごうとするも上手くいかない。どんどんどんどん血液が流れ落ちていって、頭がぼんやりとしてくる。
「勝てるとでも思ったか?」
寝転んだ彼女は、こちらを見下げる笑顔を見た。
「まともに精霊魔法も発動できない状況で、Sランクパーティー三組も倒したヤツに勝てるわけないだろ。諦めるべきだったな」
「ふぃ……ふぃおは……た、たしゅけ……て……お、おねが……ふぃ、ふぃおじゃけは……た、たしゅけ……て……くだしゃ……い……」
「なんで?」
満面の笑みで、アーサーは言った。
「なんで、お前の判断ミスを、俺がフォローしてやらないといけないの? 万全な敵対状況でもないにも関わらず、逃げずに立ち向かっちゃったのはお前だろ? 俺たち、敵だぜ? さっきまで殺し合っといて、どうして慈悲を見せないといけないんだ? リーナを殺した人間相手に?」
涙を流したヴェルナの上で、うろんな目つきをしたフィオールが、ばたばたと手足を動かしながら必死で彼女を覆い隠そうとする。
「お、おねが……い……し、しましゅ……ゔぇ、ゔぇるにゃだけひゃ……ゔぇ、ゔぇるにゃじゃけは……た、たしゅけ……てくだしゃ……い……」
「感動するなぁ。お前ら、本当に自分の生命は惜しくないのか。そこを乗り越えられる人間は、この世に一握りもいないだろうぜ。
でも」
聖剣がフィオールの顔の横を通り過ぎ、ヴェルナの左肩にある傷口を突き刺す。
「ダーメ」
脳みそが沸騰したかのような激痛、意識とは関係なく全身が痙攣して、口からみっともない悲鳴が上がった。
「ふたりとも、ころしまーす。それが礼儀ってもんでーす。でも、悪者ぶって、痛めつけるのはコレでおわりでーす。安心してくださーい」
おどけていたアーサーは、なにかを期待するかのように顔を上げ、周囲に誰もいないことを知って哀しそうに微笑んだ。
「……間に合わなかったな」
アーサーは、剣を振り上げる。
「悪かったな、本当に……別にお前ら自身には、恨みはねぇよ……でも、俺は、お前らごと人間を許せない……だから、俺が死ぬ時、地獄まで足を引っ張りに来いよ……」
剣先を見つめ――ヴェルナは、目を閉じた。