とある少女の終奥
――視て。この子の角、本当に綺麗よ
やめて。
――角つきは、死ね!! 死ねよっ!!
やめて。
――逃げて!! 逃げなさい!!
やめて。
――なんで、死ななかったのよ。逃げずに死ねばよかったのに。
やめて。
――ずっと一緒よ。あなたさえいれば、お母さんたちは幸せなのよ
やめて。
――お前さえ消えれば、幸せになれるのに
やめて。
――家族三人、王都で暮らせるなんて夢みたい!
やめて。
――王都で暮らせないのは、コイツのせいだ
やめて。
――なぜだ!? なぜ!? なぜ、私たちが諦めないといけない!? なぜ!?
やめて。
――諦める必要なんてない。この角つきさえ捨てればいいだけの話だ
やめて。
――お母さんに似て、本当に美人さんねこの子は
やめて。
――汚らしい顔。抱っこなんて冗談やめてよ、気持ち悪い
やめて。
――この子は、きっと良い子に育つよ
やめて。
――この子は、もうダメだ
やめてやめてやめてやめてやめてっ!!
覚醒。
天蓋のついた、真っ白なベッド。数日前までの就寝具、ノミだらけの粗末な布切れとは段違い、今までにないほどに心地よく目を覚ました。
「おはよう」
純白のネグリジェを着込んでいた美少女は、窓から舞い込んだ朝靄に包まれ、光の只中で微笑んでいた。
「悪夢を視たような顔だね」
「……なんでわかるの?」
「お姉さんパワーだ。燃料は妹っぽいかわいい女の子。つまりキミ」
飛んできたパンを受け止め、トリスタンは頬張る。柔らかい。ひとつまるまるパンを食べるなんて久しぶりで、思わず笑顔になってしまう。
「自己紹介をしよう。
わたしは、エカテリーナ・フォン・シュヴェルツウェイン。シュヴェルツウェイン王家の第一皇女だ。崇め奉って金品をおさめた挙げ句、ファンレターをドシドシ応募してくれてもいいぞ」
「名無し」
「ほう驚いたな、アイツと同じ名前か……ふむ」
彼女はベッドの下から、『アーサー王と円卓の騎士』という題の本を引きずり出す。それから、無言で手作り感のあるルーレットを回し始めた。
結果を見つめ、彼女はぼそりとつぶやいた。
「トリスタン」
「え?」
「キミの名前だ。踊りながら『トリスタン・タン・タン!』とか言えば、リズム感のある自己紹介ができる。
うらやましいなぁ、やってみなさい」
「え……やだ……」
残念そうに眉をひそめた彼女は、強制する気はないのか着替えを始める。裸体を隠そうともしない堂々たる着替えで、仙姿玉質を彫り込んだかのような美貌にへどもどしてしまう。
「さて」
初対面の時の格好で足を組み、椅子に座ったエカテリーナ姫がにんまりと笑う。
「ヒントはあげた。あのアーサー少年の正体は、なんだったと思う?」
「ただのバカ」
「残念、不正解。キミの目に入っているのは外面だけだ。道化ぶる道化なんて、この世にはいないんだよ。道化ぶる狂人も然り。つまり、道化を演じられるのは、常人に限定されている」
トリスタンは、床に置かれたままの『“アーサー”王と円卓の騎士』を見つめ――思わず、「あ」と声を漏らしていた。
「騙したの? 最初から繋がってたのねアナタたち。この本で私に『トリスタン』って名付けたみたいに、アイツにも『アーサー』っていう名前をつけたのね?」
「ぴんぽ~ん! 正解のご褒美は、さっき渡したパンだ~!」
「ご褒美くらいケチるのやめなさいよ……」
「ま、全部、キミをココで保護するための芝居ってことさ。貧民窟の子どもたちは警戒心が強いし相手を信用しないから、アーサーを除けば、キミが唯一の成功例ということになる」
錆びたナイフが手元にないのが不安で、トリスタンは武器になりそうなものを視線だけで探る。
「アナタみたいな偽善者、王都ではよく見かけるわよ……でもお生憎、アナタのしたことは、汚らしい利己主義……私はあのままでよかったし、トリスタンなんて名前もいらなかった……顔を殴られて腹が膨れ上がる生活なんて、もっと小さい頃から慣れっこだったんだから……」
じりじりと後退しつつ、背後の窓の位置を確かめる。
「ちなみに、アーサーが女装していた理由は、二割がキミを安心させるためで、八割が彼の趣味だ」
「聞かなくてよかっ――たっ!!」
反転、同時、窓から飛び出――首根っこを掴まれて、宙吊りになる。
「こらこらダメじゃないか。脱走するならきちんと計画を立てた上で、数年かけて壁を掘るくらいの気合を見せないと許しませんからね」
部屋の中に引きずり込まれて、抱きとめられる。なんとも言えない良い匂いがして、恍惚としてしまう。
だから、触れられるのを拒めなかった。
「あぁ、なんだキミ」
彼女は、トリスタンの髪の毛をかき回し“角”に触れた。
「獣人の民か」
微笑み、脳裏にて“暗澹”が爆発する。
――ココは普遍の民の土地だっ!! 天災害獣もどきは失せろっ!!
――死ね獣人が!! くたばれっ!!
――アッハッハッハ!! 視ろよ、角ごと頭皮が剥がれたぞ!!
「ぁ! ぁあああああああああああああああ!!」
デタラメに両手を振り回すが、すべて受け止められていなされる。髪の毛を振り乱しながら、部屋の中から外へ。長廊を歩いていた老人から剣を奪い取り、エカテリーナに切っ先を向ける。
「爺、手出し無用」
「そう仰ると思っとったので、お嬢さんに剣をプレゼントしておきましたぞ」
「こ、殺してやる、普遍の民が……ふ、ふざけるんじゃない……ま、魔族の血が一滴も入ってない劣等種が……純粋な魔力量だけなら、私のほうが上だ……た、試してみるか……」
殺される前に殺す殺される前に殺す殺される前に殺――エカテリーナ姫の腹に、ぞぶりと剣先が潜り込んだ。
「……エカテリーナ」
「爺、そんなに怖い顔しないでくれ。またハゲるぞ」
「毛根を失っとるので、もうハゲようがありませんわい」
気持ち悪い感触が、両手を伝わって、脳へ。
当たり前のような顔つきで進んでくる彼女は、ぺたんと腹を柄にくっつけて、どこまでも美しく微笑んだ。
「剣は鞘に。常理だ」
エカテリーナは、トリスタンの頭を撫でて――そっと角に触れる。
「角は頭に。これまた常理だ」
右手と右手を繋いだ紋章。白銀の鎧を着込んでいる老人は、実に面白そうに笑っている。
「キミが恥じることはなにもない」
その言葉とともに、すべてが弾け飛んだ。
獣人の民の両親が王都に移り住み、ひたすらに迫害を受け続けたこと。常に暴力は隣にいて、角を隠さなければ非道が襲ってきたこと。殴られたり蹴られたり、ナイフで頭皮ごと削られたりしたこと。
友達がひとりもいなかったこと。普遍の民の子どもたちとは遊べなくて、その捻じくれた角は『天災害獣みたいだ』と恐れられていたこと。たまに遊んでくれる時は、彼女はただの“的”で、飛んでくるのは好意ではなく石だったこと。
父親と母親に捨てられた理由は――彼女には、立派な角が生えていたこと。
父と母に生えた“獣の耳”とは違って肥大化した角は、毎朝のように切り落とさなければ、髪の隙間から生え出てきてしまうこと。
――角つきは、死ね!! 死ねよっ!!
だから、殴られた。
――なんで、死ななかったのよ。逃げずに死ねばよかったのに
だから、疎まれた。
――この子は、もうダメだ
だから、嫌われた。
父と母の、本当の娘ではないとバレたから。
王都での普遍の民による迫害から身を守るため、寄せ集まって出来た獣人集団……子供の取り違えは、よくあることだった。
迫害が進めば進むほどに人が変わっていく両親、自分を視る目が徐々に変じていくのがわかった。だから、精一杯に“良い子”を振る舞って、自分ひとりで角を切除できるようになった。
でも、わかった。わかってしまった。
お母さんと呼ぶ度に気色悪いとなじられて、虫入りのご飯を食べさせられ、嘔吐したり残したりすると気絶するまで殴られる。
お父さんと呼ぶ度に怒鳴りつけられ、暇な時には殴られるための人形となり、泣き声や悲鳴を上げると指を一本一本へし折られた。
それでも、両親が好きだった。
パパ、ママと呼んで、可愛らしく微笑み、良い子でいられるように努力をした。父親と母親のためならば、なんでもするつもりだった。
でも、虐められて捨てられた。
なぜ、獣人の民は迫害されるのかと声高に訴えていた両親は、同じことを彼女に為して綺麗にポイ捨てした。角つきだった彼女を虐待していた時、ふたりは実に嬉しそうに笑っていた。
どいつこいつも同じだ。同じだ。同じだ。
外面で差別して、ひたすらに醜い欲求を貪っている。普遍の民も獣人の民も猩猩緋の民も異界の民も、わかり合おうなんてしないんだ。
だったら、虐められないように“恥”を隠そう。両親が言っていたこの汚らしい角を、憎たらしい角を、気持ち悪い角を切り取って隠してしまおう。
でも、本当は嫌だった。
いつも、泣きながら、角を切っていた。なんで、こんなことしないといけないのって、不条理を想って嗚咽を上げていた。
この角が。この角が、そんなに悪いことをしたの。私がなにをしたの、どうして、隠さないといけないの。
外面とは裏腹に、内面ではそう感じていた。
だから。
だからこそ、目の前の少女の言葉が――
――キミが恥じることはなにもない
心に響いた。
「うっ……ぅ……ぅう……」
涙がこぼれ落ちる。止まらない。刀身をおさめるようにして、鞘は彼女を抱き締める。
――お母さんに似て、本当に美人さんねこの子は
ぬくもりが懐かしくて、声が漏れる。
「うぁ……ぁあ……ぁあ……っ!」
母親のあのひきつった顔を思い出し、あたたかさに包まれて、トリスタンは声を上げて泣いていた。
「……痛かったか?」
「も、もう、殴られたりなんかしたくない……ほ、ホントはやだった……な、殴られたり蹴られたりして、お、お金がもらえても……こ、怖くて……お、お母さんとお父さんを思い出して……い、いやだった……もうやだ……もうやだぁ……っ!」
「なら、終わりだ」
彼女の角を撫でながら、目の前の少女は微笑む。
「もう終わりにするから……終わりにしてみせるから……だから、笑ってごらん……ほら、笑って……」
促されるようにして、泣きながら笑う。
「キミが、キミたちが、もう泣かなくて済むように」
この時、トリスタンは知らなかった。
「きっと、わたしが」
目の前の英雄が、普通の女の子だということに。
「救ってみせる」
だからコレはきっと――定められた悲劇だった。