アーミラ・ペトロシフス・リリアナラ・ウェココロフ・ペチータ・アインドルフは、あなたの中にもいるよ
「かかった」
何の変哲もない民家の二階――細切れの紙で全身を包んだ少女、トリスタンは厳かにそう言った。
「神託の巫女は? 出たか?」
気の優しそうな顔をした痩せ型の青年……アーサーは、腰元にある綺羅びやかな長剣の柄を指先でノックしながら尋ねる。
原生スライムの黒色の体躯は、ありとあらゆる魔術的要素を軽減させる『ラミアウム』と呼ばれる物質を大量に含んでいる。
通常は透明色であるスライムとは違って黒く視えるのは、ラミアウム成分を多く含有しているからであり、その特色を利用したアーサーは、ユウリ・アルシフォンの〝特殊な瞑想術〟を打ち破ろうとしていた。
「ダメ、出てない」
「あの双子をだしにして、自分から飛び込ませるまでは計画通りだけどな……神託の巫女が体外に排出されるまでは、どのくらいかかる?」
「ユウリ・アルシフォンの集中力と体力、魔力量による。瞑想術は東洋の島国に伝わる、〝気功〟と呼ばれる呼吸法や体内循環法を魔力コントロールに置き換えたものだから、どちらかと言えば集中力や体力が重要かも。
他者の精神を、無理矢理に自身の裡に閉じ込めてるわけだから、すんごくしんどいし、消費も激しいと思うよ」
街の騒ぎを見つめながら、アーサーはのんびりとした様子でささやく。
「巫女に肉体があれば楽なんだがな」
「無理。神の採択で生み出された以上、この世のどこにもないもん。ガラハッドの講義でも言ってたでしょ」
「肉体さえあれば、魔力追跡術で居場所を突き止めて、再契約を結んじまえばソレで終わりだったんだが……いや、先回りされたのを、今更、どうのこうの言うのはナンセンスだな」
人間の指紋が個人によって異なるように、魔力は個々人で微妙に〝特徴〟が変わる。その微妙な魔力の個人差を元にして、痕跡を辿る技術は『魔力追跡術』と呼ばれている。
トリスタンが得意とする魔力追跡術の性能を発揮できないのは、目当てとする神託の巫女が、肉体をもたぬ精神体であるからだった。
「なら、暫くの間は、スライムの中にいてもらわないとな」
「うん……いや……うん……?」
「どうした?」
アーサーには視えていないものが視えているトリスタンは、理解し難いものに出くわしたかのように困惑の声を上げる。
「……泳いでる」
「あ?」
トリスタンは、自分に見えている光景が信じられないかのように、両手の甲で一生懸命目元を拭った。
「原生スライムの中を、海パン姿で泳いでる。双子の片割れを助けようともせずに、無表情でバタフライしてる」
「えっ」
遠方を見通すトリスタンの窓を貸してもらい、遠視空間を眼鏡のように当てはめた彼の目に、何時になく真剣な顔つきで、ダイナミックなバタフライ泳法で泳ぎ続けるユウリ・アルシフォンの姿が映り込んだ。
「アーサー、どういう意味だと思う?」
不安になった際に出る癖で、アーサーの服の裾を摘んだトリスタンへと、脳をフル回転させた彼は答えた。
「……陽動だ」
「え?」
「スライムは、生け捕りにした獲物を体内で冷却保存して、一週間から二週間かけてゆっくりと溶かしながら捕食する。獲物の鮮度を保つために、スライムは自身の栄養素や酸素を、体内にいる捕らえた捕食対象に分け与えて長期間生かそうとするんだ。
生体核によって、過剰な魔力供給が行われたせいで、あそこまで巨大化した群れであるなら、尚更に獲物の保存期間は長引くだろうな」
アーサーの話している内容が、ユウリ・アルシフォンの華麗なバタフライと何の関係があるのか……彼女は、理解できずに首を傾げる
「それがなんなの?」
「ユウリ・アルシフォンが、最初から、双子の片割れを〝今直ぐ、助ける必要性はない〟ことを知っていたとしたら?」
「あっ」
アーサーは、確信を籠めるように頷いた。
「神託の巫女の預言書で、俺たちの計画は筒抜けだ。ユウリ・アルシフォンは、そのことを知っていたからこそ、わざと自分からスライムの中に飛び込んだ。そして、今、必死で泳いでるのは、双子の片割れを助けるためじゃない。
俺たちの目を釘付けにするためだ」
「確かに……こちらの計画を知らなかったら……都合よく水着を用意していたりしないし……あからさまな罠に自分から飛び込んだりはしない……」
こちらの目を盗むためであれば、なんでもやると言わんばかりの真顔バタフライを見たトリスタンは、寒気を抑えるかのように自身の身体を抱いた。
「それなら、神託の巫女は――」
「既にヤツの体内には存在していないんだよ。だからこそ、原生スライムの中に、躊躇いもなく飛び込めたんだろうな。
トリスタン、お前の内偵はバレていて、逆に利用されたんだ」
悔しさと不甲斐なさ、自身の実力の高さも相まって、自信過剰に陥っていたことへの侮辱のような利用のされ方に彼女は歯噛みした。
「今、神託の巫女はどこに?」
「ヤツが、唯一、近くにいることを許した相手の〝中〟だ」
「まさか……ユウリ・アルシフォンが、パーティーに加入した理由は……!」
「あぁ」
アーサーは、ニヤリと笑った。
「そういうことだ」
住民の避難を手伝っていたヴェルナは、目の前に忽然と現れた〝紙くずまみれの少女〟と手配書に映っていた青年を前にして、驚愕と困惑で後ずさりした。
「あ、あんたはっ!!」
「悪いが、一緒に来てもらうぞ」
アーサーは、微笑して名を呼んだ。
「アーミラ・ペトロシフス・リリアナラ・ウェココロフ・ペチータ・アインドルフ」
「……は?」
猩猩緋の民の少女は、ぽかんと口を開けた。