面裏の喜/悲劇
西、東。そして、南と北。
順番に火を吹いた尖塔を前にして、ヴェルナは口をぽかんと開いた。
お、終わった……南と北も落ちた……あ、あたしひとりじゃ……あたしひとりじゃどうしようもない……
緩やかに足が止まる。
荒げていた息が落ち着いていき、自然と目線がさまよって、死に場所を求め――剣戟を聞いた。
ぼやけていた視界が像を結び、遠ざかっていた音が戻ってくる。
まだ、まだ、戦っている。どこかで誰かが、まだ戦っている。
下唇を思い切り噛みしめる。血が滴り落ちて、顎を伝って地面に落ちた。両手の感覚を取り戻すようにグーパー、前をしっかりと見据えて踏みとどまる。
「まだだ……まだ、終わってない……こんなところで……こんなところで、終わるわけがない……あの人は……あの人は……!」
記憶の中の少年は、口端を歪めて笑っていた。
「諦めたりしない……!」
走る。走る。走る。
ヴェルナは、ただ突き走る。
あの人の視たこともない満面の笑顔を思い浮かべ、あの人が笑っていられる世界を望み、あの人が待っている明日を想像する。
それだけで、彼女は走ることができた。
「吹き飛べッ!!」
幾数もの天災害獣を消し飛ばし、ヴェルナは火に包まれた東塔へと躊躇いもなく飛び込み――“彼女”を視た。
「……おつかれ」
吹き抜け、螺旋階段。腰掛ける少女がいた。
喪服を思わせる、漆黒のゴシックドレス。銀色の巻き髪からは二本の捻じくれた角が伸びていて、いたずらっぽく金と銀の相対する瞳を瞬かせる。
神秘装束、『心紙の空観』――既に彼女の周囲に展開されている紙切れは、ぎょろつく目玉で侵入者を捉えていた。
火の螺旋、豪炎が渦巻く。
肌を焼き尽くす火炎の舌を感じながら、炎帝の座でくつろいでいるかのように、汗ひとつかいていない少女を見上げる。
「待ってたよ、ヴェルナ・ウェルシュタイン」
「待ってた……?」
ひらめき。
――来たみたい! 入って~!!
底抜けに明るいシア騎士団長が、アーサーとガラハッド、ふたりの助言者を招き入れた時を思い出す。
――残念ね、ヴェルナ・ウェルシュタイン
王都からの脱出路を地下に見出した時、アーサーを伴って、まるで“なにもかもを知っていたかのように”驚きもしなかった彼女を思い出す。
――幸運を祈っちゃうよ、ヴェルナ・ウェルシュタインちゃん
そして、念話石になにかを吹き込む騎士団長の姿を思い出し、すべてを悟った。
「シア騎士団長は……あんたたちと同じ……円卓の血族か……!」
後方の扉にまで火が回る。逃げ場はなくなり、覚悟を決めたヴェルナは、上方の敵を睨みつける。
「うーん、ちょっと違うかも。あの人は、血の盟約まで結んでないもん。だから、円卓に座ってないよ。
あの見た目通り、中途半端なんだよ。寓話のコウモリみたいに」
ヴェルナは、シアの口元に生えていた牙を思い出す。
あのコウモリみたいな牙が頭に浮かび、普遍の民優先主義である王都において、彼女が獣人の民にも関わらず、“騎士団長”という役職についていることを疑問に思った。
「よく気づいたね、すごいと思うよ」
「馬鹿にするな!! 今まで気づかなかったあたしが愚かだっただけよっ!! 地下墓所から連行された時点で、あの助言者を誘致したのは、シア騎士団長だということに勘づくべきだった!!」
「でも、もう遅い」
階段に腰掛けるトリスタンは、ぶらぶらと足を振りながら微笑む。
「ね、すごすご帰ってくれない? 前に一度戦ったことは憶えてないとは思うけど、アナタ、私にボロ負けして泣いてたんだよ」
「覚えてる」
圧倒的な力量差、ユウリに救い出され、辛酸を嘗めさせられた。
「なら、帰って? 理由はわかるよね?
ユウリ・アルシフォンは来ないよ。ホントにホント。もう英雄じゃなくなった彼は、自分の生命だけで手いっぱい。今までみたいに美少女のピンチに、都合よく助けに来たりしないから。
様式は変わったの――喜劇から悲劇へ」
ゆらり、陽炎の只中で立ち上がる。
少女は宙空へと、一歩、踏み出したかのように視えた。
落ちる――そう思った瞬間、ふわりふわりと、まるで舞台に現れた女神の如き神聖さで歩を刻む。
心紙の空観による足場の空間転移、そして足元の空間固定……一定のリズムで繰り返し、彼女は尖塔の中心、尽くを猛火で燃やしつくそうとする“死”の上に立った。
「知ってる……昔、お芝居をする時は、みんな、仮面をかぶったんだよ……誰もが別人の外面を装って……舞台の上で、喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだりしたの……」
赤と橙の地獄で、舞台上の彼女は両手を広げる。
「きっと、現実も同じだね。今から殺し合うのに、私もアナタも、本当の私とアナタを知らない。お互い、本当の意味での戦う理由は明かされない。舞台裏の神様だけが、仮面の裏側を知っている」
かくりと、糸仕掛けのように首を傾げる。
「それって、喜劇? それとも悲劇?」
「勘違いしてるところ悪いけど」
頬の紋様が、首、腕、胸、腹、足……伸びて、伸びて、伸びて。ヴェルナ・ウェルシュタインは、火炎の精霊に愛される。
「あたしの仮面は、もうとっくの昔に――」
蓄えられた魔力が、
「燃え尽きてんのよッ!!」
爆炎と化して解き放たれた。




