笑う悪魔の仮面
「腕つなぎだっ!! 五人組になって、腕をつなげっ!!」
腕つなぎ――腕を組んで魔力共有を行い、その人数が多ければ多いほどに、一時的な魔力の増大を見込める――術式の書き込まれた傳導大筒が運び込まれ、城壁の上で碧色の光が散乱する。
「撃ーッ!!」
轟音――脳天が揺れるような衝撃。
砲身を揺らしながら放たれた一撃は、今まさにヴェルナに飛びかかろうとしていた天災害獣の頭を吹き飛ばす。大量の血潮を浴びながら駆けるヴェルナは、勢いよく地面を転がっていく首を避ける。
彼女の頭を掠めるようにして、大量の呪縛符が貼り付けられた鎖が、唸るようにして音を上げながら飛んでいく。城壁を飛び越えて羽ばたこうとした飛竜が、片翼を巻き込まれて脳天から墜落し軽装戦士にとどめを刺される。
「暴走害獣だっ!! 城門に向かうぞーッ!!」
城門の上で蝙蝠顔の悪魔を切り払っていたシア騎士団長は、真っ赤に染まった顔で人とは思えない叫び声を上げる。
「射手はどうした!? 撃てっ!! 殺せ!! アイツを殺せぇええええ!! 城門を壊されるぞ!? 殺せぇえええええええええええ!!」
「だ、ダメです!! 西側の城壁にいる射手は、魔力切れでまともに魔力矢すら形成できません!!」
破壊された兜の隙間、応えた騎士の髪を掴み、顔面を近づけたシアが怒鳴りつける。
「だったら、鉄でも真鍮でも死体でもいいから飛ばせばいいだろうがぁああ!! お前はなにをしにきてる!? 貴様の家では、母親と父親から、漏らし方しか学ばなかったのかこのヘタレがっ!!」
「し、しかし」
「コレだけの大群を前にして、速度と射程距離、着弾点をコントロールできることに意味があると思うか!? 流れ矢ですら当たるのに、魔力矢にこだわる理由が――」
城壁をよじ登った小型の天災害獣を切り払う。
「あるのか!? ァア!?」
「あ、ありません……」
「破砕した城壁を引っ剥がして、脳天にぶち当てろ!! 呪術師に檣頭陰火を作らせて、死ぬまで消えない業火でヤツらを地獄に送ってやれ!! 急げッ!! 西も落ちるぞ!!
ヴェルナ・ウェルシュタインッ!! 城門に向かってる暴走害獣を殺せぇえええええええええ!!」
「気精!!」
気づいてたのか――驚きつつも、ヴェルナは、この混迷とした現状では、自分を捕らえる気がないらしいシアに従って浮遊する。
仕掛けられた呪術爆弾による爆破をものともせず、口角泡を飛ばしながら狂走する暴走害獣を目視する。
「急所だ!! 一撃で生体を消し去れッ!! アイツらの痛覚は麻痺していて、殺さない限り止まらないッ!!」
「視ればわかる!! アル中は黙ってろっ!!」
頬の紋様を腕まで拡張し、弐式まで魔力を解放させたヴェルナは叫ぶ。
「全員、伏せてッ!!
疾き風、来たりて、拡充霊唱――」
両掌を組み合わせた〝砲台〟、ヴェルナの赤紫色の髪の毛が逆巻きながら、嵐の如き刃風が生まれる。
「吹き飛べッ!!」
ボッ――空気が弾ける。
兵士たちは悲鳴を上げながら必死の思いで壁に取り付き、城壁の一部を崩しながら進む刃風は数十体の天災害獣を肉塊に変える。瓦礫と肉塊と武器を巻き込んだ烈風は、ものの見事に暴走害獣を捉え、地面ごと陥没させたソレの“形”をものの数秒で消失させた。
数瞬の静けさ、ざわめきが辺りを支配する。
「ヴェ、ヴェルナ・ウェルシュタイン……あのユウリ・アルシフォンと肩を並べてただけはある……い、一撃でアレだけの天災害獣を消し飛ばしやがった……」
「ど、どんな魔力量してんだ……す、数十人規模の腕つなぎでも、あんな砲撃できねぇぞ……あの歳で……ば、バケモンだ……」
「笑う悪魔の仮面を着けていた冒険者の戦いぶりも見事だったが……お、同じくらいの凄腕だぞあの少女は……」
宙空で佇むヴェルナは、真っ直ぐに西塔を指差す。
「西塔に行く!! ココは任せたっ!!」
酒瓶をあおっていたシア騎士団長は、ぴたりと動作を止めて目を見開く。
「西塔……」
それから、念話石にそっとささやきかけ……微笑んだ。
「幸運を祈っちゃうよ、ヴェルナ・ウェルシュタインちゃん」
先程まで、鬼の面相で怒声を上げていた彼女は、元の愛らしい少女のような顔で祝杯を捧げ――また、騎士団長の厳しい面構えに戻る。
「持ちこたえろぉおおおお!! 助けは必ず来る!! それまで、この王都を守り抜けっ!! 騎士の名にかけてぇえええええええええ!!」
聯盟騎士団の騎士たちは、大地を揺るがすような咆哮を上げ、王の剣を頭上高く掲げる。
それを見守ったヴェルナは、城壁を伝うように駆け出して、天を衝かんばかりに高い尖塔へと駆け走る。
疾走、疾走、疾走!!
狂ったように走り続けるヴェルナが、血混じりの汗を流し始めた頃合い、ようやく西塔が近づいてきて――
「はて」
ひとりの翁が、
「お嬢さんが、おひとりで、なにをしてらっしゃるのかのう?」
ひとつの剣で、己が身を支えて立っていた。
「ガラハッド……」
息を整えながら、彼女は止まる。
「ほう、憶えておるのか。擬態魔法を更に突き詰め、出来上がったこの魔法……円卓の血族を憶えていられる方法は、『常に円卓の一族と共にいる』か『円卓の一族から強い〝感情〟を抱かれているか』しかあらぬ」
禿頭の老人は、頭を撫で回しながら笑む。
「実に可愛らしいお嬢さんじゃからな。アーサーあたりが恋い焦がれたのかもしれん」
「……残念だけど、好きを通り越して、愛してる人がいるのよ」
「ユウリ・アルシフォン」
この状況下にも関わらず、みるみるうちに、熱をもっていく己の頬を自覚する。
「ほ。まさかの図星とは。愛らしい子じゃのう」
「…………う、うっさい」
「じゃが、お嬢さんが想っておられるそやつは、本当にお嬢さんの愛した『ユウリ・アルシフォン』なのかのう? あの美形で物怖じを知らず英雄譚にあふれ、誰も彼もが口々に『英雄』と呼ぶ彼なのか?」
「なにが? なにが言いたいわけ?」
「儂が思うに、恋と愛の境目は、外面と内面どちらを受け入れたかによる……果たして、お嬢さんのソレは、内面を受け入れた“愛”であるのか?」
強い。この人、恐ろしく、強い。
相対するだけで、老人が内在する途方もない魔力量に恐怖を覚え、カクカクと震える膝を押さえつけながら無理矢理に微笑する。
「随分とロマンチストなのね、お爺さん。まだ星が出るような時間じゃないし、愛を語る時間はもう過ぎ去ってるんじゃない?」
「……そうじゃな。夢に縋るには、あまりにも老いてしまった」
ガラハッドの手のひらのうちで、なにかがくしゃりと音を立てて握りつぶされる。たぶん、紙だ。古い虫食いだらけの、黄ばんでしまった古紙。
握りつぶされた紙は、ガラハッドの手からこぼれ落ちて、風に流されヴェルナの直ぐ横を転がっていく。
大量に書きつけられた女の子の名前……そのうちのひとつに『エカテリーナ』という名前が、丁寧な丸っこい字で書かれていた。
「お嬢さん」
今にも泣き出しそうな、とても哀しそうな顔で彼は言った。
「お前さんは、アーサーに“敵”として迎えられた。『円卓の一族から強い〝感情〟を抱かれているか』……その感情を“殺意”と呼ぶ」
老騎士は、剣を抜く。流水のように洗練されているその所作を視て、篭手の中にあるしわくちゃの手を想像できる者はいないだろう。
「引いては、くれぬか?」
「無理よ……無理なのよ……お爺さんと同じ……引くに引けない事情がある……あなたたちに終わらせはしない……守りたいものがあるのよ……」
この翁を退けてから、西塔を駆け上がる。それしかない。でも、それで間に合うのか。いや、間に合わせ――爆発音、驚愕、振り向く。
東塔。東塔が炎上し、ゆっくりと傾いていく。
感じる魔力の変異。空を埋め尽くす黒塊となった飛竜たちが、灯りに群がる蟲のように、王都を守護する防壁を食い破ろうとしていた。
ひ、東塔まで……だ、ダメだ……ココでガラハッドを撃破できたとしても、それから東塔では間に合わない……
「お嬢さん、ぼうっとするでない。ゆくぞ」
「あっ!?」
正気を取り戻した瞬間、ガラハッドが踏み込み――飛来した長剣が、老人の動作を縫い付ける。
民家、屋根の上。
笑う悪魔の仮面。
投擲の形で静止。
突如として現れた笑う悪魔は、真っ直ぐに東の尖塔を指差す。
「…………」
その動きだけで、ヴェルナは何者かを察し、感情を押し殺して東へと駆け出す。
追おうとしたガラハッドの前に、血染めの悪魔が下り立つ。
真っ赤に染まった痩身は激戦の後を思わせ、前線で幾体もの天災害獣を斬ってきたのだと容易に想像がついた。
「王裏の仮面は、神託の巫女の手でこの世から消された筈じゃが……はて、事情を知るか知らぬかは存ぜぬが、己が王の剣だとでも言いたいのかのう……」
地面から長剣を抜き放った彼/彼女は、静かに構える。
「悪いが」
翁は快活に笑うと同時、
「儂には勝てんよ」
剣閃が――迸った。