謳われる英雄は、是非を語らない
赤色――城下町。
あちらこちらから火の手が上がり、跳梁跋扈する天災害獣たちが、逃げ惑う民や兵たちを追いかけていた。
悲鳴、悲鳴、悲鳴……赤々と燃え盛る。
男とも女とも似つかない断末魔が定期的に上がり、腕を失った兵士が喚き散らしながら運び込まれていく。疲れ果てた衛生兵は、魔力の殆どを枯渇しているのか、真っ青な顔で魔力中毒の症状を起こしかけていた。
閉ざされた城門の前には、普遍の民、獣人の民、猩猩緋の民が殺到していて、必死に「開けろっ!!」と喚き散らしている。精神的に疲弊した民たちは地面にへたれ込んでいて、民衆に押しつぶされた子供が横たわっていた。
あちこちから飛んでくる魔力の流れ弾で、生命を落としたらしい死体が転がっている。凶賊と化した冒険者が魔法で人民を焼き払い、女性を攫おうとして彼女の手から赤ん坊を引ったくろうとしていた。
その光景を視た瞬間、ヴェルナは駆け出し――城門前で槍を立てている門番の胸ぐらを掴み、思い切り壁に叩きつける。
「今直ぐ、城門を開けろっ!! 今直ぐだ!!」
「ゔぇ、ヴェルナ・ウェルシュタイン……お前、牢から……よ、よせ、やめろ……し、死ぬ……」
「ヴェルナさん、落ち着いて。本当に、窒息を起こしている。死にますよ」
顔面が青紫色に変色している彼を突き離し、咳き込んでいる彼に蹴りを入れてから、開門のために魔力を流し込む。
「よ、よせ……う、上の方からの御達しだ……お、王城に暴徒が入り込むと……貴族の方々に危険が及ぶ……せ、せめて、城内に入れるのは普遍の民だけに――」
「お前はっ!!」
雪崩込んできた民衆たちを先導するトマリを横目に、涙で瞳を濡らしながら、力なく門番に掴みかかる。
「お前は……この光景を視て、なにも感じないのか……なにも……なにも感じないの……どうして……なんで……」
「…………」
顔を伏せる彼を離したヴェルナは駆け出し、道の途中で倒れた少年の脈を図ってすぐさま心肺蘇生にとりかかる。
ありったけの魔力を流し込んだせいもあってか、正常な呼吸を取り戻した彼を抱えると――門番の青年が、脇に立っていた。
「は、運ばせてもらえないか……いや、くれませんか……?」
無言で彼に少年をたくすと、ぎこちない礼をして走っていく。戻ってきたトマリを目の端に捉えると同時、犯罪集団と化した冒険者に気弾をぶつけて昏倒させ、逃げてきた兵の腕を掴んで立ち止まらせる。
「指揮官は!? 指揮官はどこにいる!? シア騎士団長はどこだっ!?」
「あ……その……騎士団長殿は前線に……あまりにも天災害獣の数が多くて、まともに後方までは手が回らず……と聞いてます……」
「なら、ココの管轄は!?」
あまりの気迫に震え始めた彼は、大事そうに抱えていた新品の剣を取り落とす。
「あ、いや、わからな――」
「あの女性と赤ん坊を運べ!! 城内に!! その剣で、あのふたりを守れ!! いいか、正しいことをしろっ!! 返事っ!!」
「は、はいっ!!」
尻を蹴飛ばすと、彼は剣を鞘に戻しながら走り出した。
「ヴェルナさん」
この緊急時においても、のほほんとした表情のトマリが戻ってくる。焦燥感に囚われたヴェルナは、知れず早口で頭を整理し始める。
「指揮系統を見直さないともたない。あの短時間で城下町にまで、敵勢力が入り込んでる。前線はほぼ崩壊しているとみて間違いない。
あたしは、今から――」
強烈な爆発音――耳をつんざくような大音響、空気が震えて全身が粟立つ。悲鳴の声量が一段階大きくなって、開門した城門めがけてやって来た集団が、“尖塔”を指差して大声を張り上げていた。
東、西、南、北。王城を中心として、天高くそびえる四つの尖塔。
王都そのものを包み込む魔力膜を形成し、空からの驚異を取り除くための防壁を展開する大型術式。その要のひとつである西塔が炎を上げながら傾いて、塔の管理者を失ったのを示すかのように魔力の変異が生じる。
マズい――ヴェルナは、はっきりとした“絶望”を感じた。
四つの塔のいずれかが落ちれば、魔力膜が形成されず、王都は空からの攻撃に曝され被害は一気に拡大する。対空にまで手が伸ばせない現況、ものの数分で火の海になってもおかしくはない。
四つの尖塔は、城壁に面している。つまり、黒霞に近い外側。現状、最も死の傍にいる“前線”を意味していた。
あたしが、西塔に行く!!
ヴェルナは、そう言わなければならなかった。誰かが、死亡したと思われる管理者に成り変わらなければ、この王都に住む人々は死滅する。だから、ヴェルナ・ウェルシュタインは、そう言わなければならなかった。
だが――彼女の全身は震え、涙がこみ上げてきて、喉はくっついたかのように動いてはくれなかった。
言え! 言え、言え、言え、ヴェルナ!! 言うのよ、ヴェルナ・ウェルシュタインッ!! 言うことを聞け、このやくたたずっ!!
怖い。怖い怖い怖い。死にたくない。まだ、ユウリ先輩にちゃんとお礼を言ってない、好きな人に好きって言えてない、フィオとの約束を果たしてないし、逃してくれたイルとミルの無事を確かめてない。
「あ、あた、あたし……あ、あたしが……」
言え!! 言え、言え言えっ!! 怖い!! やだ!! 死にたくない!! 言えっ!! 言えっ!! 死にたくないっ!!
「あ、あた、あたし……あた、あた、あたしが――」
「私が行きましょう」
ぽつりと、横にいるトマリはそう言った。
驚愕をもってトマリの顔を見つめると、ニコニコとしている彼女は、ピースをして白衣をはためかせる。
「いや~、献体もいっぱいとれそうですしね。なかなか、良いスポットですよ。それに、私がココに残っても、上手く指揮がとれる気がしないので。塔に上って魔力を流し込むだけの簡単なお仕事は、このトマリ・アダント三等兵に任せてもらいましょうか」
――……フッ
人を安心させるための“笑顔”。ヴェルナは、彼女にとっての“騎士様”を思い出す。
――……助けに来た
夢物語に浸った哀れな女の子を助けに来た英雄は、もう大丈夫だよと言わんばかりに微笑んでいて、その不器用な“作り笑い”は、安心すると同時に不安を引き起こすものでもあった。
英雄……あの人は、いつも、どこか無理をしていた。きっと、わかってたんだ。こういう時にするべきことを。目の前の誰かを救うためには、それに相応しい“外面”が必要であることを。
いつの間にか、視線がヴェルナに集まっていた。
死の渦中から逃げてきた人たちが、血だらけで突っ立っていた兵たちが、自分が尻を蹴飛ばした彼らが。
なにかを“待ち望む”ようにして、彼女を見つめていた。正しいことをしてきた彼女が、答えを出すことを待っていた。
その視線に、息苦しさを覚える。
酷い。なんて、酷い。こんな、酷いことがあるの。あの人は、いつも、こんなに苦しい思いをしてきたの。
だが、そのまなざしは、祈りによく似ていて――かつて、自分が、ユウリ・アルシフォンに向けたものだった。
――……ヴェルナ
彼の優しいささやき声、そして親友の言葉を思い出す
――普通の女の子だ
そうだ。あたしが“普通の女の子”だったように、あの人だって、最初から英雄だったわけじゃない。
なら! それならっ! 彼がいない今! 誰かが……違う、あたしがっ!
英雄に――
「あたしが、西塔に行く」
なるんだっ!!
「ヴェルナさ――」
「待ってくれ」
民衆の中から、髭面で尻尾の生えた男性がぬっと姿を現す。
「俺が行こう。お嬢さんが行くことはない。
なあに、大丈夫だ。悪ガキだった頃に、あの塔のてっぺんにまで行って怒られたことがあってな。怒鳴られ方なら心得てる」
「い、いや、私が行こう!!」
門番の青年が叫んだ瞬間、人々は彼に怒りの籠もった目線を向けたが、それだけで済ませて清聴の姿勢に入る。
「こ、こう見えても、私は足が速い!! こ、婚約者に想いを告げに行った時は、あまりにも速すぎて、待ち合わせの時間まで一時間も余っていた!!」
「それは、お前さんの気が早いだけだろ!!」
どっと、笑い声が上がる。
「で、でしたら、僕が行きますよ!! 実は測量士をやっていまして、最新版の王都図を作ったのは僕です!! ありとあらゆる裏道を知っていて、最短距離で西塔まで行ける!!」
「いいや、おれが行くね! 魔力量にだけは自信があるから、この戦争が終わるまで、西塔をもたせられる!!」
「まてまて。老い先短い老人に譲らんか。儂にだってまだできることがあると、神からのお告げじゃよ」
「お姉ちゃん」
手を握られる。驚いて下を見ると、先程、心肺蘇生をした少年がこちらを見上げていた。
「ぼくがいくよ。だから、こわがんなくていいよ」
涙が――にじむ。
次々と、手が挙がる。
誰もが本気で、自分が行くと言い張っていた。その光景を視たヴェルナは、震える声を張り上げる。
「ありがとう……でも、あたしに行かせて……行きたいの……行くべきなのよ、あたしが……!」
「だが――」
「皆は、ココをお願い……混乱している人たちを落ち着かせて、この王城を死守して欲しいの……救護所にも人が足りない……救いを求める人は、ココにもたくさんいるわ……だから……」
理解が押し広がって、彼らは黙り込む。
「トマリ。ココの指揮は、貴女に任せる」
「それはもちろん構いませんがね、ヴェルナさん。本当に残念なことに、たぶん、あなたが戻ってくるまで私は生き残っていません」
今にも、口笛を吹き始めそうな。そんな、能天気な面構えで、トマリはヴェルナにそう告げた。
「残念ながら、戦闘のほうはからきしでしてね。生き残れる気がしないんですわ。だから、今のうちに、お別れのあいさ――」
思い切りトマリを抱きしめる。
数秒間の硬直の後、壊れ物を取り扱うみたいにしてこわごわと抱き返してきた。
「お願い……生きて……生きてて……お願いだから……死なないで……」
「……今まで生きてきた中で、誰かに抱きしめられるのは二度目ですが、二度ともあなたとはおかしな話ですね」
あやすようにぽんぽんと背を叩かれ、ヴェルナは泣きながらしゃっくりをする。
「よござんす。尽力いたしましょう。そそる泣き顔を鑑賞できましたし、まだ龍種の鱗を数え終わってませんからね」
「……ほ、ホントにそんなことしてたの? どれだけ、龍に思い入れがあるのよ?」
涙をぬぐいながら離れて、ヴェルナは彼女を見つめる。
「それじゃあ、いってきます」
「はいはい、いってらっしゃい」
ヴェルナは、進む。その先に、なにが“書かれていた”としても。
彼女の筋書きを――彼女自身が、書き込もうとしていた。