こうして、彼は英雄になった
首元で揺れる、赤い宝石が嵌め込まれた首飾り。
寂れた村、屋外の椅子に座り、彼女は愛おしそうに子供たちを見つめていた。外面はまるで違うのに、彼女が彼女だとわかる。そこに籠もっている意思は、内面を通り越して外面に表れていた。
「……リーナ」
悠里少年の呼びかけに、驚いたかのように目を見開き――寂しげに微笑む。
「キミの夢を視たよ。神託の巫女としてではなく、日本の女学生として、平和な国の平和な日常の平和な瞬間を」
「リーナ、帰るぞ」
「帰ろ、リーナ? また、王城で楽しく遊ぼ?」
アーサーとトリスタンの震える声音に、まるで別人のような“ただのお姫様”に戻った彼女はゆるゆると首を振った。
「帰れない。帰れば、わたしは、父上を殺してしまう。いつもみたいに。血で己の手を汚すことでしか、解決できないんだ」
「……あの手記を読んだ」
「参ったね」
低く響く声で、椅子に深く腰掛けている彼女は苦笑する。
「燃やしたつもりだったんだが……爺の仕業かな? この場所を教えたのも爺だろうね。あの人は、唯一、魔力追跡術で元の魔力を追える人だから」
「……お前をたすけてやる」
悠里は、顔を歪ませて必死を装う。
「……お前をたすけるために、ココに来た」
「やめろ」
立ち上がったリーナの双眸は、人間の心中に潜む感情という名の“闇”に染まっていた。
「わたしは、キミにだけは、英雄になって欲しくない。誰もたすけずに己のみを救う、利己的な救世主であって欲しい。他者を救済するという、得のひとつもない感情論に突き動かされて欲しくない」
「……僕がたすけてやりたいのはお前だけだ」
悠里は、その小さな手のひらで、懸命に彼女を掴んで揺さぶる。
「……この世界のすべてを呪った僕は、お前だけをたすけてやりたいんだ。なにもかもを投げ売ってでも、僕を含めたすべてを祈ったお前は救われるべきだと想うんだ。だから、コレは利己的な救世であって、お前の望む僕である筈だ」
「だが、感情論だ。論理性がない」
「感情論でなにが悪ぃんだよっ!!」
アーサーの怒声が響き渡り、川の近くで遊んでいた子どもたちが、怖がってどこかへと逃げていく。
「感情論でなにが悪ぃんだよ……俺たちは家族だろ……血の繋がりはないかもしれねぇけどさ……“感情”で繋がった家族だろうが……一緒に飯食って一緒に遊んで一緒に雑魚寝もした……家族が家族を感情論でたすけようとしてなにが悪ぃ……」
「リーナは、私たちを巻き込みたくないんでしょ!? もうすぐ、自分が死ぬと思ってるから!! ソレに巻き込みたくないから、遠ざけようとしてるんでしょ!?」
リーナは、両手でそっと顔を覆う。
「頼むからもう帰れ……わたしの英雄としての時間は終わった……なにも成し遂げられなかった……だから、キミたちはもう無関係だ……だから、帰れ……帰ってよ……お願いだから……」
「……ふざけるな」
悠里は、震える手で、リーナの胸ぐらを乱暴に掴む。
「だとしたら、ココにいる僕はなんだブス!! お前がなにも成し遂げられなかっただと!? 僕はお前のせいで、クラスメイト共を皆殺しにする気が失せた!! お前みたいに背負いたくないからな!! そこにいるアホ面ふたり組はどうだ!? こんなバカども、お前がいなかったらとっくの昔に野垂れ死にだ!! 道端に落ちてるパン屑拾い集めて、パン一斤として売りそうな脳みそ不足どもだぞ!? お前の手記を読んでると胸くそ悪くなるんだよバーカッ!! 勝手に悲しんで勝手に苦しんで、勝手に悲劇のヒロインぶるのはやめろブス!! たすけて欲しいならたすけて欲しいって素直に言え!! なんだかんだ言って、お前のクソみたいなジョークは僕のお気に入りなんだよっ!! 勝手に死ぬのはやめろっ!!」
顔を真っ赤にして、ぜいぜいと息を荒げる悠里。そんな彼を見つめて、リーナは驚愕の表情を浮かべていた。
「驚いたな……キミ、新しい声帯でも買ったのか?
ところで、今から、ブスと言った回数だけ、助走をつけて全力でぶん殴るから覚悟しろよクソガキ」
「……調子出てき――そこまで、距離をとるのは法律違反だろ」
1kmくらい距離をとったリーナは、最初から全力疾走で、腹筋に力を入れる悠里少年へと駆けていき――抱きついた。
「ありがとうな悠里……そのライトノベル、なくすなよ……笑ってろ……お前だけは……最期まで笑ってろ……」
「……リ――アーサー、止めろっ!!」
急激に反転したリーナへと、掴みかかったアーサーがいなされる。魔力を外部に放出しての疾走、トリスタンによる空間魔法すらも躱して、彼女は森の中へと突っ込んでいく。
「追うぞ、悠里ッ!!」
「……待て! 行き場所を突き止めたほうが早い」
「音……近くで戦闘してる! リーナは、救いに行ったんだ!! 力はもう失ってるのに!! どうしよう!?」
「慌てんな、相棒! リーナは、元々、血反吐で床汚すような努力一徹野郎だ! そう簡単にやられはしねぇだろ!」
「……丸腰でも」
底冷えする空気に、悠里のささやき声が染み入る。
「……丸腰でも、そう簡単にはやられないか?」
アーサーは――駆け出した。
藪の中へ。
木々の間を駆け抜けて、枝を腕で打ち払い、頬に傷をつけながら、必死の形相で三人は森を駆け下る。剣戟の音と呻くような死者の断末魔が聞こえてきて、開けた場所に出るとすべてが俯瞰できた。
「……酷い」
血で血を洗うような、陰惨な戦場。
なにが契機で始まったのかわからない、獣人の民と猩々緋の民、そして普遍の民による骨肉の争い。赤黒い血液が大地を染めて、溢れた臓物が世界を汚している。
「やめろ」
その中心。よろよろと歩きながら、涙を流し、呼びかけている少女の姿があった。
「やめろ……もうやめてくれ……やめて……なんで……なんで、殺し合う……もうやめよう……話を……話をすればわかり合える……やめ――」
彼女の顔面に刃が叩き込まれた瞬間、トリスタンの顔の横からその剣先が突き出る。
「アーサー、悠里ッ!! 長くはもたないっ!! 私は防御に専念するからっ!! リーナをっ!! リーナをおねがいっ!!」
重なるようにしてふたりは駆け、剣と斧と槍、魔法と魔術の隙間をかい潜って、血みどろの戦場に下り立つ。
「リーナ……リーナッ!! 行くぞっ!! コイツらを救う必要なんかねぇんだ!! 勝手に殺し合わせとけ!!」
「英雄はっ!! 英雄は、誰も!! 誰も、見捨てないっ!! 見捨てないんだっ!!」
「もうやめたんだろ!? 英雄はオシマイだ!! 帰るぞ!! もうこんなもん視なくていい!!」
「いやだっ!!」
泣きわめきながら、リーナはアーサーの胸元を掴んだ。
「誰かが!! 誰かがやらなければいけないんだ!! 誰かがっ!! 誰かが視なければ、誰も視たりしない!! 救ってやれるのは、英雄だけだっ!!」
その言葉を聞いて――悠里は走り出す。
「悠里ッ!! よせっ!!」
止まらない。迅走する。投げ出された手斧が彼の頬をかすって、死を意識した彼の目つきが変わる。だが、それでもなお、その歩みは止まらない。
僕は――彼の視点に重なる。
あぁ、そうか。僕は、この時から。
「……悠里、しゃがめ」
僕は、過去にささやく。
一瞬、彼は僕の方を視て――たぶん、ただの勘違いだが――声に従って、素早くその場にしゃがんだ。
魔力弾が彼の頭上を飛び越えていき、転がるようにしてまた走り始める。
走って、走って、走って、走って、走って。
悠里は、その小柄な体躯を活かして、獣人の民と猩々緋の民、普遍の民の山を超えていき……到達する。
戦場を俯瞰している最後列、唯一、騎馬に乗る普遍の民にまで接近し――少年の姿が掻き消える。彼へと突き出された槍先はどこかへと収納されて、遥か彼方で、空間展開された先端が放たれる。
階段状になった死体。戦場に紛れ込んでいた死霊術師が、取り憑かれたかのように、虚ろな瞳で死者の道を提示する。
臆することなく、悠里は駆け上がり。
騎馬の男は、天を仰ぐ。
日の光に照らされた少年は、ただ硬く拳を握りしめていて。
「……リーナじゃなくて」
全体重をのせた右拳が――
「……お前が死ねっ!!」
兜の間、顔面を粉砕する。
勢いのまま、悠里は騎馬の男と一緒に地面を転がった。男が体勢を整えようとした時、最早、既に勝負は決していた。
「……フッ」
悠里は微笑み、彼の喉に拾った剣を突きつける。
「……拾い物だが、勝ちは勝ちだ」
そして、声を張り上げる。
「勝ったのだ~れだ!? はい、ココにいる悠里くんでしたー!! 戦うのやめないと殺しちゃうぞぉおおおおおおおおおおおお!!」
殺し合いが――止まった。




