こうして、彼女は消えた
「参ったね」
大量の死骸。天災害獣の死で塗れた真ん中。臓物をかぶったリーナは、真っ赤に染まった顔で空を見上げる。
「理想とはかくも遠い」
「……おいブス」
歓声を上げる民衆に手を振りながら、リーナはブスと呼んだ張本人。悠里少年へと振り返って、笑いかける。
「なんだいガキ」
「……なんのメリットがある」
王都の傍に出現した、特異建造物。冒険者ギルドによる攻略は失敗して、そこから溢れ出した天災害獣たちは、数千もの体躯を波のように浮き沈みさせながら王都を襲った。
そして。
その数秒後、すべて肉塊と化した。
「……アイツらは、お前に感謝してないぞ。歓声を上げてるのは暇つぶしで、実際にはなんの危機感も覚えてない。どこかの誰かが助けてくれて、自分はソレを受け入れる手筈になってると勘違いしてる」
「ふむ。よく視えるお目々だ。愛くるしいね。らゔを感じる」
血まみれの顔を拭きながら、リーナは民衆を見つめた。
「人はね、寄り集まると愚かになる。脳みその数が増えれば増えるほどに、演算能力は低くなって阿呆面になるようになってるんだよ。自分ではなくて、誰かが引き受けてくれるから。だから、人は簡単に蒙昧へと陥る」
「……それで、お前に殺しを押し付けるのか。汚らしい手になって、毎度、吐きそうな面してるお前に」
驚いたように、リーナが目を瞠る。
「あれ? 顔に出てた?」
「……物語ってる」
「あはは。英雄失格だね」
毎日のように、ひょいっと悠里を抱え上げて東奔西走。それから、ひたすらに、彼女は天災害獣を殺す。そういう宿命を背負わされたのが目に見えるように、無表情で殺しに殺しまくっていた。
「……殺戮を英雄なんて呼ぶのか」
「あぁ」
満面の笑みを浮かべて、リーナは彼の頭に手を置く。
「背負える人間を、英雄と呼ぶ。誰も見捨てないことを選んだ瞬間、地獄を辿ることになるんだよ」
「……バカげてるな」
「損な役回りだからね。誰もやりたがらない。見栄だけで成し遂げられるほど、簡単なお仕事じゃないんだ。
だからね、悠里」
真剣な表情。彼女の底知れぬ“苦痛”が深淵から這い出たみたいに、ぞっとするような黒い輝きを纏っていた。
「絶対に英雄になんてなるな。絶対にだ。
人を見捨てろ。必要なら、誰かを殺せ。自分自身が生き残るために、それだけのためだけに生きろ。感情的に行動せず、合理性を貫き通せ」
リーナの懐から、音を立てて古びたノートが落ちる。何年もの間使用に耐えてきたのか、表紙がよれていて黒ずんでいる。
悠里が拾おうとして――手を押さえつけられる。
「こら、えっち」
笑いながら、リーナは表紙についた土を払った。
「頼むから、好奇心で読もうとしないでおくれよ。呪われるぞ」
「……フッ」
冗談に対して悠里少年が吹き出し、リーナは目を丸くする。
「なんてことだ、笑えたのか。表情筋が千切れていて、笑顔を母親の腹に忘れてきたと思ってたのに」
「……ふざけてるのか死ね」
「そう、むくれるなよ」
じゃれつくようにして、リーナは悠里少年に後ろから抱きつく。
「悠里、笑って生きろよ。どんなに辛い時でも、ユーモアを忘れるな。笑う門には福来る、笑顔の人間は幸福に生きるものだからね」
「……命を懸けるような戦いの中でもか」
「もちろん。緊張したら死ぬような場面は、バカげたことをやり通すくらいがいいんだ。相手にふざけてると思わせるくらいが最適だな。真剣な場面で真剣にならない相手ほど、やりにくいものはない」
「……僕にできると思うか?」
「そんな君に、ルーレットチャーンスッ!!」
また出たよ、あのイカサマルーレット。どうやったところで、ハズレにしかならない仕組みになって――あれ、当たった!?
「……当たった」
「なんで、意外そうなんだ。こんなにも、公明正大なルーレットはないのに。自作するのに何年かけたと思ってるんだ。泣きわめきながら謝れ」
あんな薄っぺらいゴミみたいなのに、何年もかけられるなんてすごい才能だ……皮肉としてじゃなくて、本気でそう思える。
「ほら、景品だよ。受け取りたまえ、紳士」
投げ渡されたのは、ライトノベル。
タイトルは、『Sランク冒険者に求婚されてみた』。僕が愛読している、最も好きなシリーズ。
そして、アーミラが描いた僕の理想。
「……なんだ、このゴミ捨て場のヘドみたいな外面」
「外面で、判断するのはやめなさい。君みたいな根暗な少年が、立派なヒモになって独り立ちする、生きながらにして号泣爆笑必死の一大小話だ」
「……一文にどれだけ矛盾詰め込む気だお前」
「だがね、悠里。わたしは思うよ。開かない箱に中身はない。道化を視て笑うのは健康的だが、醜い誰かを視て嘲笑するのは愚かな行いだ。その外面から判断できないような、思いもよらない内面に出会えるかもしれない」
優しげに微笑んだ英雄は、そっと彼に一冊のライトノベルを押し付ける。
「君には、箱を開く側の人間でいて欲しい」
「…………」
悠里は、その本を受け取った。
「このライトノベルで、ユーモアを学べ。笑顔は強さだ。最後に勝つのは、笑ってるヤツだからな。笑えないような勝ち方だけはするな。誰もが笑みを浮かべて終われるような、そんなエピローグを目指すんだ」
リーナと悠里の小指が、ぎこちなく絡み合う。
「約束だ、悠里。笑って終われよ」
「…………」
彼はなにも言わず、小指を強く絡み合わせた。
そして、その三日後。
エカテリーナ・フォン・シュヴェルツウェインは。
シュヴェルツウェイン王家の第一皇女、神託の巫女としての宿命を背負わされた彼女は――消えた。




