どこからが嘘
遥か彼方に、王城が視える。
貧民窟から出て大通りへ。露店の喧騒へと埋没したふたりは、前後に並んで歩いていた。
「……早く僕を強くしろ」
「そう、せっつかないで欲しいね。そもそも、君が思うよりも、強くなるというのは簡単じゃないんだ。右足と左足を交互に出すのとはわけが違う」
リーナと名乗る少女は、人目を引いた。
完璧な外面をもっているせいかと思ってたけど、遠巻きに眺めている人たちの視線には“崇敬”が入り混じっている。手には触れられない聖域を、ただじっと黙って、見つめ続けるみたいに。
「……言い訳す――」
唐突に、過去の僕の腹が鳴る。
「なんだ、お腹ぺこぺこりんじゃないか。かわいらしい、お腹の鳴らし方して。腹を泣かせて懇願するヤツは始めてだよ。クソっ、負けないぞ!!」
「……なんで急にひとりで盛り上がってるんだコイツ気持ち悪い死ね」
「店主」
リーナに話しかけられた店主は、ぎょっとして串焼きを取り落とす。
「見た目上は、かわいくてすまない。絶世の美貌で驚かせたね。申し訳ないが、コイツに、世界で一番美味い串焼きを食わせてやってくれないかな?」
「む、無理です」
「だろうね。では、そこの如何にも塩分過多なのを一本」
過剰に震える手。店主はちらちらと何度もリーナを見つめ、幾度か失敗しながらも、わざわざ焼き直した串焼きを手渡す。
「ど、どうぞ。お受け取りください」
まるで、捧げ物をするみたいにして、頭を下げて両手で掲げる始末だ。
「そこのなんか干からびたっぽいのでよかったのに……わたしじゃなくて、このクソ生意気なガキに食わせるから形さえ伴ってればいいのに……極論、ただの固形石鹸を串に挿したヤツでも問題ないのに……」
「……問題しかないだろクソ女」
金袋から代金を取り出そうとすると、店の主は必死な声音を出して止める。
「け、結構です!! まさか、受け取れません!!」
「ふむ。わたしの好意を無碍にするのか。いい度胸だな。毎晩、貴方の毛根が死滅するよう星に祈るぞ?」
「祈らなくても、半ば、不毛の地と化してるよねぇ? 頭の上に冬きてるよねぇ? 防寒服着せてあげたいよねぇ? ねぇ、ゆうりぃ?」
「…………(将来ハゲる可能性もあるのでなにも言わない)」
少々、お毛毛が心もとないおじさんは、結局代金を受け取って、神様を前にしたみたいに最敬礼していた。
そんなやり取りを視ていた悠里は、歩き始めたリーナに問いを投げかける。
「……お前、何者な――それ、お前が食うのか」
「いや、わたしが買ったし……誰もあげるなんて言ってないし……どうしても欲しいなら、殺し合ってもいいけど……」
ありとあらゆる可能性、突き詰めてないよねこの人。傍若無人ぶりに磨きがかかって、美人と相反して残念と化してる。
「華麗なジョークだよ、ほら」
食べかけの串焼きを渡され、じっとその食い口を見つめていた悠里少年は、躊躇いがちにかぶりつく。
「ふはは、間接キス」
「……し、死ね」
「や~ん! 顔、赤くなってるかわいい~!!」
目の前でぶっきらぼうに照れてる自分を目の当たりにすると、とんでもなく恥ずかしくなってくる。よくもまぁ、こんなことできたもんだよ。今の僕だったら、絶対に視られないタイミングで間接キスるね。
「……お前、なんで、あんなに尊敬されてる?」
「さてね。前世、君と一緒に世界を救ったんじゃないか? ヒロインっぽい性格してるしな、悠里は」
「…………」
どんどん、前に迫る王城。
ココまで来ると露店の規制が入って、衛兵や騎士の姿が多く見受けられるようになる。彼らはリーナが目線に入ると、歩みを止めて道の端により、綺麗な姿勢で起立してから一礼をした。
「……どこに向かってる?」
「わたしの家だ」
「…………」
この先には、王城しかない。理解している悠里少年は、緊張で表情筋を強張らせ正門へと続く橋を渡った。
当然のように開く正門。そして、隊列を組んで整列している騎士団。
綺羅びやかに艶めく白銀の鎧、背ではためく白マント。胸の前で掲げる長剣には汚れひとつなく、聖水で洗い流したかのように清らかだった。
手を繋いだ右手と右手――王と王地を守る、聯盟騎士団の徽章。
「この出迎えは、やめてくれと言ったろ」
兜と鎧を身に着けた長身の男性が、一歩前に踏み出して、見事な所作振る舞いで頭を下げてみせた。
「お帰りなさいませ、エ――」
「あぁ、君らの騎士団長が今帰ったよ」
遮って、リーナは飄々と片手を挙げる。
数秒の沈黙。長身の男性は、重ねた齢を思わせる、しわがれた声でもう一度やり直す。
「……お帰りなさいませ、騎士団長」
「はい、ただいま」
「……き、騎士団長?」
悠里が信じられないかのような驚愕を顔に浮かべ、ニヤニヤと笑っている彼女のことを見上げる。
「あぁ、騎士団長。聯盟騎士団を指揮している。少しは見直して、好感度が上がったかな」
「……だ、だから、あんなに強いのか」
「困ったな、もう正解を見つけられてしまった。
さて、悠里。我々、聯盟騎士団は君を歓迎するよ。歓迎のために着替えてくるから、彼に客間へ案内してもらいなさい」
「では、こちらに」
リーナは反対方向へ歩き出し、長身の騎士は悠里を導き始める。
二方向に分かれた。どちらに付いていくべきか。迷うわけもない。当然、僕は、着替えを行うというリーナの後ろについてい――
「ゆうりぃ? 方向、間違えてるよぉ? アミィが誤っちゃった首を、反対方向に捻じ曲げてあげよっか?」
「……首が方向音痴だ」
クソがぁ!!
あんまり興味ない子供の後ろに粛々と付いていき、僕らは彼と一緒に、豪華絢爛たる客間に通される。
赤と金を貴重とした色合いの調度品。魔力灯に刻まれた術式の豊富さひとつとっても、うんざりとして首を振りたくなるくらいだ。室内にある逸品のひとつでも売れば、一生、安泰に暮らせるのではないかと邪な考えが浮かぶ。
柔らかそうな長椅子に座った悠里少年は、退出した騎士に取り残され、不安そうに周囲をキョロキョロと見回していた。
十数分ほど経って、コンコンとノックの音が聞こえる。
「失礼いたします」
入ってきたのは――“美”だった。
夜空をかける流麗線を思わせる黒髪、満天に輝く星空のような瞳、朱の差した頬は世界を彩る夕焼けみたいだ。
淡い蒼色のドレス。幾重にも重ねられた布地が、蒼のグラデーションを描いて、色彩の階段を登っているかのようだった。窓から差し込む日の光に反応して、精霊が微笑むように、彼女の纏う衣装が燦然を語る。
美しい。
息を呑むと同時、頭を“美”でぶん殴られたみたいな、完璧で現世を上書きしたみたいな美しさだった。
「…………」
硬直する悠里。当然だ。僕も固まってるよ、マイフレンド。
「悠里様、ですね?」
愛らしく微笑んだ少女は、なにを思ったのか、悠里の直ぐ傍に腰掛けて身体を寄せた。それから、両手でぎゅっと彼の片手を握る。
「お初にお目にかかります。私は、シュヴェルツウェイン王家の長女。エカテリーナ・フォン・シュヴェルツウェイン」
つまり、彼女は――
「皆は、私をエカテリーナ姫と呼びます」
この城のお姫様だ。
そんな大物が急に現れて、好意的に全身をくっつけてくるのだから、悠里少年は気が気ではないだろう。僕も気が気じゃない。ふざけてないで、早く、場所を代わって欲しい。
「うふふ、驚きましたでしょう? 顔が同じだから」
顔?
首を傾げる。悠里少年と同じタイミングで気づく。彼女の顔がリーナと瓜二つであることに。あまりに立ち振舞いや言葉遣い、纏っている雰囲気が違うものだから、顔貌が同じであると気が付きもしなかったのだ。
「実は彼女は、私の影武者なのです」
「……えっ」
「そんな話はともかく」
そんな話はともかく!? 気にならない!? 今の重要じゃない!?
大事そうに握り込んだ悠里少年の手を、自分の胸の前にもってきて、瞳を潤ませたお姫様はささやいた。
「好きです」
「「……えっ」」
「ユウリ、シンクロしてるよ? 仰け反る動作までおんなじ」
「ひ、一目惚れなんです、実は。先程、ちらりと廊下で見かけた時から、前世で結ばれてた気がしてました」
「「…………」」
「ユウリ、シンクロしてるよ? 『なんだ、その口説き文句』って顔してる」
「悠里様」
濡れる唇が、ゆっくりと割り開く。
「愛して、頂けますか?」
「…………」
「……はい、喜んで」
「あ、わかれた。昔と今で、欲望ゲージの溜まり方が違うんだぁ」
とん、と優しく肩を押される。
「………ッ!」
「必死になって、動きまで完璧にシンクロさせなくても……なんなの、ライトノベルの主人公になった気分なの……かわいぃ……」
来い! 来い来い来い!!
「悠里様、目を閉じて……」
耳に粘つくような声音。
悠里少年と一緒に目を閉じ、僕は期待を胸いっぱいに膨らませ――
「アハハハハハハ!! こうも綺麗に騙されるとは!! おいおい、瞼の裏では、キスシーンは上映されてないぞ!!」
大爆笑を聞いて、すべてを理解する。
「「……リーナ」」
イタズラが大成功を収めたらしいリーナは、腹を抱えてバタ足しながら大笑いし、涙をにじませながら僕を指差す。
「かわいかったよ、悠里君。君はファーストキスの時、あんなに愛らしい顔で、目を閉じるんだな。しかとこの脳に刻み込んで、死に際に笑わせてもらうよ」
「……ま、馬子にも衣装だなクソ女!!」
ドレスを着込んでお姫様を騙った彼女は、ようやく笑い収めて椅子に座り直した。
「すまないね、騙して。
実は――」
「どうやら、ネタバラシは済んだようですな」
いつの間にか、開いていた扉。ずっと外で待機していたらしい騎士は、しわがれた声でささやく。
「では、儂からもネタバラシをひとつ。
お前さんの隣で冗句に親しんで、下品極まりない笑い声を上げ、なにかと長剣で儂のことを叩きのめすその御仁は――」
兜の奥底で、口が開く。
「エカテリーナ・フォン・シュヴェルツウェイン。シュヴェルツウェイン王家、第一皇女であらせられる。
つまり――」
「そっちは、嘘じゃないってことだ」
この国のお姫様……エカテ“リーナ”姫を前にして、過去はあんぐりと口を開けた。