過去の幻は、失せていて
思わず、避けた。
「ユウリ、だから、避けなくていいの~!」
躱してから思い出す。そう言えば、今の僕は過去にいて、肉体は存在していないんだった。
過去の僕、悠里の住処から飛び出した少女は、スラムの住居をなぎ倒しながら進む土中芋虫の群れの前に立っていた。
「ふむ。王都の質の悪い土で、ここまで、土中芋虫が育つわけがない。誰かが“手引き”しているらしい」
もうもうと湧き上がる砂埃。ガラクタが積まれてできた家々は、破砕音を響かせながら見事にひしゃげる。あまりに凄まじい勢いで進むせいか、最早、彼らの障害となるものは存在しないようだった。
「ココまで大規模なテロリズムを誘致するとは、何者の仕業なのかさて」
団子状となって、迫り来る芋虫たち。身をくねらせながら体液を垂れ流し、気色の悪い口を開けて、左右の目をぱかぱかと開いている。
そんなグロテスクを前にして、彼女は悲しそうに微笑む。
「……使わざるを得ないな」
ただ、立っていた。
ただ、立っていただけなのに――彼女へと突っ込んでいった芋虫たちは、青白い紐となって解け落ちた。
「…………」
“使った”。見えなかったが、使ったんだ。神託の巫女の力を使って、芋虫を“紐状”に分解した。
「くふっ。あの子、すごいでしょ? ユウリとは違って力の使い方を心得てるから、最小限の力で相手を壊せるのよ。たぶん、その気になれば、粒子状にして消し飛ばすこともできるんじゃないかなぁ」
確かに、脳筋ユウリくんとは違う。なんというか、力の使い方が繊細だ。真正面から突っ込んでくる芋虫に対して、力の流れを利用して“縦に割いた”んだ。筋に沿って、果物の皮を剥くみたいに。
「さて、残りは」
キョロキョロと、周囲を見回していた彼女の顔が――凍りつく。
土中から、新しく発生していた群れ。青白い身体をもった芋虫の群集が、まるで川のようになった只中、斜めった屋根の上に必死で掴まる過去の僕がいた。
「あのクレイジーサイコガキ……!」
彼女は飛び出すが、その眼が捉えてしまう。
声も出せず、同じように屋根上で佇む女の子。耳がとれて綿がはみ出た、黒ずんだ汚らしいうさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱えている。
あの屋根の角度。恐らく、数秒もしないうちに崩れ落ちる。そして、あの女の子は、芋虫の川に呑まれるだろう。
「……正反対だ」
助けを求める少年と少女、双方に距離が空きすぎている。その中心にいる彼女が、両方を助けるのは不可能としか思えない。
だが、彼女は、一瞬だけ瞠目して――笑った。
「悠里。今度こそ、言うことを聞きなさい」
しがみついている悠里少年ごと、彼女は屋根を引き掴み――
「ココにいろ。動くな」
回転させながら、水平に投擲した。
屋根の端に捕まっていた少年は、遠心力でぶんぶんと自身を回転させながら、絶妙な力加減によって中心に捉え続けられている。
「悠里!! 捕まえろっ!!」
悠里少年と屋根の行く先は、ぬいぐるみを抱えた女の子の元。少年と少女はぶつかり合い、わけのわからないまま、彼は初対面の彼女を守るように抱きしめる。
「ふむ、上出来」
いつの間にか、少年少女の間に立つ彼女。
ゆるやかに回転を続けながら宙を飛ぶ屋根の中心で、神託の巫女は指揮棒を振るうかのように腕を振るった。
その度、芋虫たちが裂けて解ける。
回転力。そこに最小限の魔力をのせて、芋虫の全身を切り裂いているのだ。恐らく、余分な力は一切使っていない。
「……すごい」
感嘆する悠里少年の横で、なぜか、彼女は苦しそうに顔を歪めていた。
「喰らえ」
「…………!」
背中に揚げ物を突っ込まれた悠里少年は、背中を押さえつけながらバタバタと暴れ回る。そんな彼の口に無理矢理、揚げ鶏を突っ込みながら、微笑んでいる少女はささやく。
「いいかな、命令違反の二階級特進希望くん。君に目の前で死なれると目覚めが悪くて、わたしのお肌が艶めかなくなるんだよ。つまり、世界の損失だ。巨額の損失補填してくれるのかい? ん? ん?」
「……死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
「逆ギレするなよ、喰らえ」
またも揚げ鶏を背中に突っ込まれ、彼は油まみれの気持ち悪さに身悶えしていた。
そんな二人の様子をじっと見つめる、助けられた女の子。
小躯。銀色の巻き髪からは、悪魔のように捻れた二本の角を突き出ている。金色と銀色の左右異なる色合いの瞳が、不思議そうに瞬いていた。
あれ? どこかで視たことがあるような?
「こら」
そんな女の子の頭を、彼女は親しげにぽかりと叩く。
「なぜ、こんなところにいるんだ『トリスタン』?」
「……私のせいじゃないわ、『アーサー』が悪い」
どくんと、心臓が跳ねる。
芋虫たちの死骸を乗り越えて走ってくる影。その姿に見覚えがあって、隣のアーミラが実に嬉しそうに笑んだ。
「うわぁあああああああああああ!! 俺のウサちゃぁああああああああん!!」
金と黒が混じった髪の毛、好少年を思わせる爽やかな顔立ち、腰には“聖剣”をぶら下げている。
「ありがたいぜ、相棒!! 俺のウサちゃんを守ったその心、しっかりと抱きながら生きてい――ぁあああああああああああああ!!」
背中に揚げ鶏を入れられた“過去の”アーサーは、僕の目の前で、地面を転げ回っていた。