スラムのやんやんゼミ
王都の裏の裏。
華やかな光の裏には、汚らしい闇の表がある。
聳える、王城の裏に存在する貧民窟。都市に流入した貧困者たちが、正当な雇用機会を得られず“ゴミ”に塗れる場所。どれだけ裕福な国であろうと、大小関わらず必ず存在する荒廃。
「……気安く触るな」
瓦礫と木材を組み合わせたあばら家の中で、昔の僕と彼を救った少女は、“傷の手当て”という名目で同じ時を過ごしていた。
「おいおい、クソガキ。人の好意を、思春期特有の照れ隠しで不意にするのはおやめなさい。歯周組織の再生から歯の組成を把握しての構成……イカした側切歯を作るのだって、簡単じゃないんだ」
「……誰が頼んだんだよクソ女お前みたいな善意で人を助けるような偽善野郎がはびこるからアイツらみたいなバカがつけあがんだそんなこともわからねぇバカのくせにしゃしゃり出やがって自分の善行で気持ちよくなるためだけに人助けしてんのが透けて見えてんだよクレイジーサイコクソ」
「や~ん! ユウリの口、わるい~!」
横でアーミラが身悶えしている。どこに萌えポイントを見出したか知らないが、はぁはぁ息を荒げる姿は犯罪者のソレだ。
「はい、イー……うん、歯ぎしりして。まぁ、良いんじゃないか。前歯全抜したほうが、良い男だぞ君」
「…………」
「れいをいえ」
ニッコリと笑った少女が、彼の頬を左右に引っ張る。バタバタと暴れて抵抗するものの、万力で締められたが如くびくともしない。
「あはは。ちぎり取ったほっぺたに、礼儀を教え込んでやろうか?」
「……あ、ありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございます」
解放される。若きユウリくんは、ほっぺたを真っ赤にして、涙目でこすこすと何度も頬をこすっていた。
「で、だ。クレイジーサイコガキ。視たところ、君は異界の民のようだが。どこから来た? なんで、こんな生活をしてる?」
「……お前に関係ないだろブス」
とか言いながらも、過去の僕は、ちらちらと美しい彼女を盗み見ている。
先程の奇行のせいで気が付かなかったが、少女は異常めいた美をもっている。腰まで伸びた黒髪は幻影のように儚げで、星屑を敷き詰めたような瞳は人を惹きつけ、整った顔立ちには誹りの一句も浮かばない。
完璧だ。完璧な外面。
そう、まるで――
「ユウリ・アルシフォン?」
思考を読まれ、身を寄せてくるアーミラから芳香が漂う。
「それはもちろんそうだよぉ。だって、あの子は、アミィが入った神託の巫女だもん。ユウリとおんなじ“特別製”」
やっぱり、そうか。この人も、僕と同じ被害者。神託の巫女の力を得たせいで、筋書き通りに動かざるを得なかった人。完璧だった僕の記憶から、消えてなくなってしまった女性。
「……綺麗か?」
寂しそうな顔で、少女は問いかける。びくりと反応したユウリくんは、慌てて顔を背けて口走った。
「……調子のんなブサイク」
「外面に対する、誹謗中傷は無意味だ。なにせ、コレは本来のわたしが、もつものではないからね。
で、質問に答えてくれるのかな? もしくは、夜な夜な枕が、こんがり焼けた油まみれのフライドチキンに変わるかだ」
「……日本」
やりかねないと考えたのか、観念したかのように彼はぼそりとつぶやく。
「ふむ。日本人か。なぜか、異界の民には日本人が多いな。彼らの適応力には、目を見張るものがあると聞いたが」
「……僕は媚びない」
「はは~ん」
したり顔で、彼女はユウリの頭を撫でる。
「仕事の斡旋を断ったんだな? 異界の民の保護法が十年前に制定されてから、王都での“見た目上”の野垂れ死にはなくなった筈だ。代わりに、異界の民を装った愚か者が出たりした。
でも、君は」
指先で胸を突かれたユウリ少年は――なにも起きず、首を傾げる。
「魔力が殆ど存在しない。判別は簡単。体内外に魔力が一定以上存在していれば、わたしの放出した魔力に反応して碧光が出る」
「……お前、魔法が使えるのか?」
彼の目が、爛々と輝く。なにかを期待する視線。それにいち早く気づいた少女は、いたずらっぽく微笑んだ。
「ふむ。どうした、少年。唐突に元気になって。かわいいお姉さんの奴隷となって、半生を姉中毒者として生きたいのかい?」
「……僕に魔法を教えろ」
「やんや~ん! ユウリ、えらそぉ~! こんなにちっちゃくてかわいい顔してるのに、えらそうでやんや~ん!」
隣の騒音少女、誰かどうにかしてくれないかな……『やんやん』うるさくて、話に集中できないよ。新種のセミかよ。
「や~だ~」
あっかんべーをして、ゲラゲラと笑い出す少女。それに対して、ぶつぶつと怨嗟を吐き出すだけの彼。やっぱり、純度100%のコミュ障。
「残念ながら、名前も知らない子に、手取り足取り教えてやろうという気はないね。まぁ、かわいらしくもじもじしながら『お、教えてくれよ……』って言うなら、三回のルーレットチャンスを与えてやってもいいがね」
そこまでさせといて、ルーレットなんだ……えぐ……
「お、教えてくれよ……」
躊躇いもなくやるのか僕……チョロ過ぎないか……しかも、君が回そうとしてるルーレット、間違いなく仕組まれててハズレしかでないぞ……
「うわぁ、ざんねん、はずれだ(棒)」
「…………」
涙目になる過去の僕。ザコい。
「なんてことだ! 君は実に運がいい! 今なら、顔を赤らめてそっぽ向きながら『お、お前に、教わりたいんだよ……』と言えば、ルーレットチャンス五回をプレゼント!」
どんどん、詐欺みたいになってく! もうやめとけ僕! あのニヤケ面は、ありとあらゆる辱めを受けさせるまで搾り取る面だ!!
「お、お前に、教わりたいんだよ……」
「…………(絶望)」
「やんや~ん!! やんやんや~ん!! や~ん!! や~ん!!」
「おしい、ざんねん、はずれだ(棒)。
さて、次は――」
唐突に、少女は素早く目線を巡らせた。
「……君、名前は?」
「……悠里。悠里だよ。
もういいだろ、魔法教え――」
「悠里、ココにいろ。動くな。一歩でも動いたら、脊髄の代わりにフライドチキンをねじ込む」
そう言った少女は、扉を開け放って外に駆け出し――
「…………」
ユウリ少年は、その後を追っていった。