サンドウィッチうまうま
パーシヴァル(本名は思い出したくもない)は、死霊術師の一人として生まれた。
死霊術師は、魔術師や呪術師といった職業を示す名ではない。連綿と繋がる“一族”としての血筋をもつものを、死霊術師と呼称する。
死霊術師の多くは、特殊な舌打ちで死者を操る。死霊の世界を覗き己の支配下に置くために、わざと肌を青白く塗りたくり、自身の外見を〝死〟へと近づかせる者もいる。
「え、えひ……」
その例に漏れず、パーシヴァルは『Ehi』という舌打ちを用いて、死んだ者たちを支配下に置いていた。
当然、そんな彼らは、普通の人間社会には属さないし属せない。
死霊術師は、排他される側であり排他する側でもある。自分たちを特別な存在だと信じ込み、殆どの術士たちは人間社会を蔑みきっている。
そんな傲倨たる彼らが、最も強い差別意識をもつのは――死贄と呼ばれる、たった一人の人身御供である。
一族の中で最も優秀な者が選ばれる死贄には、十三のルールが科せられる。
一、 死贄は死んだものと見做さなければいけない
二、 死贄は食べ残しのみを口にしなければいけない
三、 死贄は口を開いてはいけない
四、 死贄は家屋で暮らしてはいけない
五、 死贄は家族をもってはいけない
六、 死贄は喜怒哀楽を表してはいけない
七、 死贄は一日に三度、血を捧げなければいけない
八、 死贄の挨拶は相手の足に舌で行わなければいけない
九、 死贄は己を人間だとは思ってはいけない
十、 死贄は時間をもってはいけない
十一、死贄は逃げてはいけない
十二、死贄は救いを求めてはいけない
十三、死贄は希望をもってはいけない
死贄は、少数民族である彼らが、外圧によるストレスを紛らわすために設けられた、死体と見なされる贄である。
最優秀者が選ばれるのは、それはとても名誉なことだから。
幼い死霊術師が、死体を操る術を学ぶために小動物の死骸で遊ぶようにして。良い歳をした死霊術師たちは、死贄を相手にして感情を発散させるのだ。
死贄の受ける苦しみは――筆舌に尽くしがたい。
畜檻と呼ばれる、子供が屈まなければ入らないような、鉄柵を立てた穴蔵に閉じ込められるせいで背骨が変形する。その穴から出ようとして、必死に穴を掘った結果、彼らの大半は指先を失うことになる。
また、口を開いてはいけないという命令を守るため、死贄は呪術で口を縫い付ける“マスク”を着けることを強制される。一日に三度の血液を提出するために、常に血まみれの包帯を両腕に巻くことにもなる。
「…………」
死贄は、そんな異常に幼少の頃から耐えてきた。まともに人とコミュニケーションがとれるようになるわけがない。
「おっ、いたいたぁ! とんでもなく酷いことされてるのを発見~!! トリスタン隊員、アーサー君、大金星!!」
「黙って発見報告できないの、キミ……」
「遅ればせながら、儂も発見じゃあ!!」
「本当に遅いんだよジジイ!! アーサー君の手柄を横取りしようなんて、数分遅いんだよ!!」
「タッチの差じゃない」
そんな彼女が、円卓の血族と呼ばれる集団に助けられるのは、死贄として選ばれてから5年が経った後だった。
「せ・ん・の・う!! せ・ん・の・う!!」
助け出されたその夜。なかば、アーサーに煽られる形で、彼女は禁忌とされている『操魂咒』と呼ばれる魂縛術を一族全員にかけた。
「コレでお前を害する者はいない。力ってのはこう使うもんだぜ」
「…………」
「お前は、きっと、その力を振るわずに諦めたんだ。
俺たちと一緒に来い。助け出した分、手伝ってもらうことがあるからな」
解放された後、行き先を失くしたパーシヴァルは、アーサーたちに付き従った。
「トリスタン卿。真面目な話してもいいかな?」
「なに?」
「料理に野菜入れるのやめ――口内に野菜を転移させるのだけは勘弁して!! この感覚、トラウマになるから!!」
「ほれ。パーシヴァル。ほれ。儂の野菜をやろう。ほれ。儂の野菜をやろう。ほれ。ほれほれほれ。一段階、調子を上げて、ほれほれほれほれほれほれ!!」
「アグレッシブに押し付けるな。
野菜くらい食べてよ、良い歳して」
「誰が老い先短いクソジジイじゃ!!」
「爺さん、耳が老いぼれて被害妄想繰り広げてんぞ」
「…………」
死贄は、常に利用されて生きてきた。
差別の渦中にいる一族のストレスのはけ口として、辛酸を嘗める日々を生き抜いた彼女は、利用されることが己の存在価値と信じなければ生きられなかった。
だから。
「え、えひ……」
「おっ!」
「笑った、よね?」
「案外、めんこい顔しとるのぉ」
パーシヴァルは、彼らの友人として、生きることを選んだ。
彼らが自分の力を利用していることがわかっていても、それを望んでいるだけだとしても、彼女はその生き方しか知らなかったから。
「よろしくな、パーシヴァル」
この契約を、友情と呼ぶことにしたのだ。
死霊術師であるパーシヴァルが操っているのは、砂ではなく“死骸”である。
土中に混じる腐植物や有孔虫といった生物の死骸を操作し、あたかも砂のように視えるそれらを繰っているに過ぎない。
数千、数万もの細かい死骸を同時に支配する彼女の手管は、並大抵の者では真似できぬ技巧であった。
「E,Ehi……」
死を踏んで歩こうは、パーシヴァルのみが扱える異常めいた死霊術だ。畜檻の中で狂いかけていた彼女を助けたのは、地面に潜む“死”という遊び相手だったから。
既に魔術を発動させている筈のユウリは、すばしっこく逃げ回るだけで、なんの変化もしていないように視える。
さ、さっきから、怪我した腕を庇ってない。もしかして、感覚を鈍化させてるのかな? 現実逃避の効果が感覚鈍化だとすると、長期戦を見込んで、ぼくの魔力切れを狙ってる?
「……現実逃避」
だ、だとしても、なんで、さっきから、何度も魔術を発動し直してるんだろう? ま、魔術の発動に失敗したら、大量の魔力が自分に流れ込んで、最悪、死んでしまうこともあるのに。
「ゆ、ユウリ……も、もう諦めて……き、きみが勝てる見込みは万にひとつもない……この“砂”の中から一粒を探し当てるようなものだよ……」
「……現実逃避」
パーシヴァルの操る砂が、ユウリの肉をえぐって赤色を帯びる。
その度、彼の黒い目が、その諦観を寄せ付けぬ目玉が、真っ直ぐに彼女を睨めつける。
「な、なんで諦めない……勝てるわけないだろ……ど、どうして……諦めてくれないの……せ、せめて、最後くらい、苦しまないで死んでよ……っ!」
「……現実逃避」
死贄の生涯は、“諦念”で埋め尽くされていた。
――お前に価値はない
死体として扱われる彼女は、毎日のように、そうささやかれる。
――お前は廃棄物だ
石や腐乱した卵を投げつけられ、嘲笑で朝を迎える。
――お前はなにもできない
地面に転げた椀、唯一の食事を“砂”と一緒に味わった。
だから、抱いていた反発心は、徐々に消え去って。心を失った人形と化した彼女は、諦観で曇り空を仰いだ。
彼女は生涯にただ一度も、誰かに意見したことがない。自分を認める円卓の血族のうちにいても、命令に逆らったことは一度もなかった。
だが、彼女は、ユウリと旅をした。
一緒に横に並んでサンドウィッチを頬張った。
一緒に横に並んで水切りをして遊んだ。
一緒に横に並んで眠りに落ちた。
一緒に横に並んで天災害獣と戦った。
一緒に横に並んで旅をした。
一緒に横に並んで――喧嘩をした。
はじめてだった。なにもかもが、はじめての経験。言葉少ない彼の前では、なぜか、彼女は己を偽らずに話すことができた。
なぜなら、彼は、一度足りとも契約を見せなかった。
どれだけ危機的状況でも、彼女のことを利用しようとはしなかった。
彼女の知らない、関係性がそこには存在していた。
パーシヴァルは、はじめて、人との関係を諦めなかった。友情を契約として違えることなく、対等な立場として彼を見つめていた。
だから、彼だけは救いたかった。
「し、死んでよユウリ……苦しまないで死んでよ……!」
傷が増える。血量が増える。悲しみが増えて、苦しみが増える。
「なんで……どうして……諦めないの……っ!」
畜檻の中で、届かない空を眺めていた日々。そんな日常を思い出し、パーシヴァルは強烈な吐き気をもよおす。
「なんで……!」
「……僕が死んだら」
血まみれのユウリ・アルシフォンは、いつもどおりの無表情のままで、当然のような口調で言った。
「……君が泣く」
言葉に詰まる――ユウリ・アルシフォンは、ふらつきながら、己の血で満たされた円内に片足を入れた。
「そ、それ以上、魔術を発動しても無駄だ……し、死ぬだけだよ……た、大量の魔力が体内に流れ込んで……は、破裂する……!」
「……死なない」
「え……?」
ユウリは、いつものように口端を歪める。
「……まだ、お前に水切りで勝ってない」
「ば、バカなことを言わないで……も、もう終わりだ……き、きみとはもう話したくもない……お願いだから……お願いだから……もう、死んでよ……っ!」
思い出を断ち切るようにして、パーシヴァルは地面を揺らし始める。
死が、波立つ。
まるで、かつて、ユウリと共に“水切り”で遊んだ川のようだった。あそこでパーシヴァルは六回も石を跳ねさせ、彼の機嫌を損ねてしまったのだ。
「……諦めるな」
ユウリの言葉に――以前の諦念を思い返す。
「……お前が諦めなければ」
ユウリはゆっくりと腰後ろに手を伸ばし、パーシヴァルは目の前の“檻”を幻視する。
「……僕はその現実を」
その手に握られた“平たい石”を見て、背筋に痺れを感じながら目を見張る。
「……現実逃避」
腰の後ろから――光が迸った。
光ではない。ただの石だ。あまりの疾さに石ころが閃光のように視えて、魔力膜で守られたソレが砂川を跳ねる。
一、 死贄は死んだものと見做さなければいけない
その小石が跳ねる度に。
二、 死贄は食べ残しのみを口にしなければいけない
彼女の抱いていた悪夢が。
三、 死贄は口を開いてはいけない
音を立てて泡沫と化すように。
四、 死贄は家屋で暮らしてはいけない
ゆったりとゆったりと。
五、 死贄は家族をもってはいけない
やさしく消えていくような。
六、 死贄は喜怒哀楽を表してはいけない
子守唄めいた。
七、 死贄は一日に三度、血を捧げなければいけない
たゆたいをもって。
八、 死贄の挨拶は相手の足に舌で行わなければいけない
慈しみの行先へと。
九、 死贄は己を人間だとは思ってはいけない
到達していきながら。
十、 死贄は時間をもってはいけない
幽かな希望ごと。
十一、死贄は逃げてはいけない
彼女の琴線を揺らし。
十二、死贄は救いを求めてはいけない
その檻を壊して。
十三、死贄は希望をもってはいけない
諦観が――砕け散った。
十三の死贄に科せられた罪業が、溢れかえった光とともに消え失せ、パーシヴァルは仰向けで空を眺めていた。
いつも、檻の隙間から眺めていた曇り空が、その日は綺麗な星空となって夢見心地で。
奇跡めいた美しさに、涙が零れ落ちる。
「……十三回」
満天の星の下で、ユウリ・アルシフォンが彼女を見下げる。
「……十三回も跳ねた」
真っ黒焦げになった彼の右腕。最早、使い物にはならないだろう。
魔術は既に切れていて、気を失ってもおかしくない激痛を味わっている筈なのに、彼はいつものように『フッ』と笑った。
「……僕の勝ちだ」
思わず、パーシヴァルは笑う。
「え、えひ……ま、魔術をわざと失敗させて……あ、溢れかえった魔力を手元で“爆発”させたんだね……神託の巫女の力で慣れてたから……ば、バカげた魔力を“数秒”は制御できたんだ……」
「……必殺技だ」
自慢気に、彼は言う。
「……頑張って練習した」
急所に当たった小石。下手をすれば生命を奪っていても、おかしくはなかった。だが、“なにか”が絶妙にその軌道をずらしたのだ。
「え、えひ……」
パーシヴァルは、そのなにか――“サンドウィッチ”を取り出した。
彼女は震える手で、それを口元に運ぶ。
「さ、サンドウィッチ……」
かたかたと小刻みに揺れる口元。涙が後から後から流れ出して、パンに染み込んでは塩辛くなる。
「う、うま……うま……さ、サンドウィッ……チ……う、うま……う……ま……ぁ……うぇえ……うぇえええん……ぇえええええん……!」
だが、そのサンドウィッチは、なによりも美味しく感じた。