キーポイントは、ライトノベル
王城内に複数存在する評議室。そのうちの一室に足を踏み入れたヴェルナは、思わず鼻をつまんでいた。
「うっ……なにこの臭い……」
ヴェルナは、唐突にも思える、聯盟騎士団を統べる騎士団長からの謝罪を受け入れた。
顔を合わせて話したい――相手の要求を呑んだ彼女は、あまりに事が自然に進みすぎていることもあり警戒を怠らなかった。
だが、この臭いは。
トマリに視線を向けると、彼女は首を振る。
「いや、毒ガスの類ではないと思いますよ。そもそも、有事に王城内でガスなんてばらまいたら、聯盟騎士団の名はドン底に堕ちます。そこまで、奴らは馬鹿ではないかと」
「なら、なんなのよ、この臭いは……」
どうやら、まだ、聯盟騎士団の騎士団長は来ていないらしい。どこにも、姿が視えない。
評議室を埋め尽くす長机と椅子、その下や間に散らばる大量の瓶に疑問を覚えながらも、ヴェルナは歩を進め――柔らかい、なにかを踏んだ。
「え?」
下を視る。
「う、うぅ~ん……」
そこには、白銀の鎧を身につけた女性が寝込んでいた。なぜか、酒瓶を抱き込んで、すやすやと寝息を立てている。
子供にしても、かなり、身体が小さい。白っぽい金色の髪の毛が毛先でくるくるとカールしていて、手入れを怠っているのか枝毛が四方に伸びている。天使が寝転んでいるようにも視えるが、口元に生えた“牙”からは刺激的な“アルコール臭”が香っていた。
「に、臭いの元はこの子か……なんで、子供がお酒なんて……ココに転がってる酒瓶、空にしたの……?」
「あ、それが、騎士団長ですよ」
「はぁ!?」
思わず、三度見する。
「こんなちっこいのが!? この緊急事態に大酒飲んで、酒瓶を抱きまくらに、いびきかいてるコレが!?」
「いやぁ、世も末ですねぇ」
ニヤニヤと笑うトマリの前で呆けていると、人の気配を察したのか、小さな彼女がぱちくりと目を開いた。
「ふぁあ……よく寝たぁ……やっぱり、こういう危機的状況には、アルコール度数90度以上に限――ひっ!!」
仁王立ちしているヴェルナを視るやいなや、腰を下ろした状態の騎士団長は、両腕を使って器用に後退りをした。
「あ、あの、どちら様かしら?」
「ヴェルナ・ウェルシュタイン」
「ヴェルナ・ウェルシュタイン……ひぃ!! ご、ごめんなさい!! ま、待ってる間に、血中アルコールが分解されちゃって!! わたしの肝臓が働きすぎちゃって、ごめんなさいぃ!!」
コレが世に名高い、王の剣とも呼ばわれる聯盟騎士団の団長……この小さな女の子みたいなのが?
「飲まなきゃ!! 飲まなきゃ、頭がスッキリしないわ!! 良い年こいて、一度も彼氏が出来たことがないんだもの!! アルコールを摂取して、世の中を曇らせないと!! まともに視たら潰れるのが社会!!」
酒瓶をラッパ飲みした騎士団長は、ぼんやりとした目でこちらを視る。
「うぇへへへ……しゅごいわぁ……天使しゃまがおみゅかえにきちぇるじゃない……白馬の王子様、一丁!! なんつてー!? ギャハハハハハハ!!」
「……終わった」
「ヴェルナさん、諦めないで! ファイト!!」
ある意味、御しやすいと考えればいいか。
ヴェルナはポジティブなので、諸々の面倒事をアルコール臭でぼやけさせ、目の前の騎士団長に向き直る。
「聯盟騎士団の騎士団長にお願いがあるの」
「やだー! 騎士団長じゃなくて、シアって呼んでーっ!! 呼んでくれなきゃ、おはなししないんだからーっ!!」
「ヴェルナさん、殴ったら負けですよ。パーでもアウトです」
チョキでこめかみを突くと、シアは正気に戻って――
「うっ」
「気精!!」
ものの見事に嘔吐し、吐瀉物が床を汚す前に、気精によって運ばれていく。
「うー……わ、わたしは、一体何を……5歳年下の新米騎士の子に言い寄ったら……ひきつり笑顔で、フラれたところまでは憶えてるんだけど……」
「いい加減、本題に入らせて。王都の今後の話よ」
半ば無理やり水を飲ませると、ようやく正気づいたのか、シア騎士団長は胡乱げな瞳でヴェルナを捉える。
「あー……昨日のアルコールが、頭を地獄に誘ってる……で、王都の今後の話と言いますけど……冒険者に牛耳られるのはちょっと……あたた……困るのよ……」
「王都を牛耳るつもりはないわ。飽くまでも、あたしを中心とした冒険者たちの管轄は、王都を覆っている黒い霞の正体の解明と対策。
王都が外部と遮断されたことで、領主たちがどんな動きを起こすかとか、食糧問題はどうなるんだとかは、大臣やら外務卿やらのお仕事でしょう? そっちはそっちで、侃々諤々の論議を起こしてるわよ隣で」
隣の評議室から聞こえてくる怒鳴り声が頭に響いたのか、小さな手を頭に当てて、シアは顔を歪めた。
「じゃあ、王都防衛と危機に対する対処は、聯盟騎士団と冒険者集団で行うにしても……下が納得しないのよぉ! わたし、頑張って説得してはみたけど、皆、アホの代名詞の冒険者どもの下につくのは絶対嫌だって言ってぇ!! ネチネチネチネチ嫌味も言われちゃったしぃ!! 胃が痛くなっちゃって、アルコールに頼る他なくなっちゃったんだもん!!」
「行き遅れの童顔は、男に縋れないから酒に縋る他ないんですね。かわいそ」
「うわーん!! ころすーっ!!」
当たり前のように抜剣して、ブンブンと振り回しながらトマリを追いかける騎士団長。その光景に目眩を覚えながら、彼女を羽交い締めにする。
「そもそもぉ!! なーんで、あなたのことを王様は信頼したわけぇ!? どういう経緯なのかくらい教えてよぉ!!」
「とある組織が」
その組織の名前も、構成員の顔も忘れていることに気づき、ヴェルナは無意識に舌打ちしている。恐らく、認識齟齬の魔法だ。
「とある組織が、王都を狙っているの。
今までは『ユウリ・アルシフォン』っていう無敵の防護壁が王都にはあったけれど、その壁は私たちのせいで壊されてしまった。人質にされたのよ。一緒に捕まった双子の獣人の民が私を逃してくれて、その危機を知らせるために、ココまで命懸けでやって来た。
でも――」
「間に合わなかったんですよ。王都の中心にある精霊の坩堝の解放を狙った組織が、あの黒霞を用いて邪魔が入らないように仕向けたんです。
先日のあの大地震。ヴェルナさんによれば、アレは彼らが引き起こした、人為的な災害らしいですからね」
語りを引き継いだトマリの説明が終わると、シアは可愛らしく小首を傾げる。
「事情はわかったけどね……でも、どうして、あなたは、あの大地震がその組織が起こしたものだってわかるの?」
「そう。それが、王都防衛の重要事項」
ヴェルナは、長机の端から、一冊の本を滑らせる。
「あたしたちの最優先事項は――」
ぴたりと止まったソレは、なにかを暗示するかのように、机の中心に留まっていた。
「そのライトノベルの“新刊”を手に入れることよ」
『Sランク冒険者に求婚されてみた』の鮮やかな表紙が、三人の集った評議室で色彩を放っていた。