「1」
二話目
床に寝そべった男はピクリとも動かない。それはそうだ。彼はもう二度と動くことはない。ベージュ色のジャケットの背中には大きな赤いシミができている。そのシミの広がりはすでにとまっていて、流れるものはもうないことを示していた。
「論理学の先生が、恨まれるようなことをしたのかねえ」
あたしはのんびりとした口調の彼に食って掛かった。
「なにのんきなことを言ってるんです。同僚が亡くなったんですよ」
「とは言ってもねえ。私が死んだわけじゃなし」
彼はその上、「同僚ったって、私は司書であの人は教授だし、つながりも薄いし……」なんてことをのたまっている。
あたしはいろんな角度から写真を撮られている藤崎教授の体を見下ろした。あたしはこの人のゼミ生ではない。本当なら学部が違うからこの人の授業は履修できないのだけれど、なんとか頼み込んで受けさせてもらえることになったのだ。藤崎教授はちょっとひねくれたところがある、ロマンスグレーの中年教授だった。ルックスの良さといい、紳士的な性格もあいまってちょくちょく女子学生との間にうわさが立ったりもしたが、本当のところは公になっていない。
「第一発見者ってのは、どういう気分だい?」
司書の先生がそもそもなんでこんなところにいるのかがわからなかったが、問われた内容には答えた。
「私は、藤崎教授の研究室に用事があったんです。そうしたら中で倒れてて……」
話を聞いているのかいないのか、彼はふうんと相槌を打って手をグーパーした。
「それで? 『あれ』はどういう意味なんだろうね」
アレ、というのはあたしにもわかる。死体の指が、一本だけ立っているのだ。
「人差し指ってことは、『1』でいいのかな。ダイイングメッセージにしてはお粗末だなあ」
彼はしばらく考え込んで、手をグー、パーとしていた。
「彼は論理学の先生なんだよね」
「ええ」
「命題とか、真とか偽とかの?」
その通りだと答える。彼はあたしをじっとみつめ、また質問を投げかけてきた。
「君、名前は?」
「飯塚です」
「下のは」
「マコト」
すると彼はびっくりした顔で、あたしを指差した。
「それじゃ、犯人は君じゃないか」
「何を……言うんです?」
冷や汗が背中を滑り落ちていった。
「何の証拠があって……」
「そりゃ、『1』だからさ」
わけがわからないあたしに、司書の彼はなんでもないかのように言った。
「論理学の真理表って知ってるかい。『0』は『偽』を、そして――」
グー、パー、としていた手が止まり、宙に大きく縦の棒を引く。
「『1』は、『真』を表すからさ」