06:担任の先生は
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新学期二日目。本日から、本格的に高校生活が始まった。
しかし四月の恒例行事ともいえる自己紹介が、愛と契斗にとっては最初の難関だ。この人見知り組はだらだらと冷や汗をかきつつ、途中何度も逃げたくなったが、真っ青な顔でなんとか自己紹介を乗り越えた。
放課後になる頃にはすっかり疲れ切っていて、そのあまりの疲労困憊な様子に、少し教室で休んでから寮に戻ろうと、空姫が提案する。
「愛ちゃん、大丈夫?」
「はい……。なんかすみません」
由宇も空姫の案に賛成し、ぐったりする愛を覗き込む。
夕日と爽やかな風が気持ち良い教室は、208号室メンバーの貸し切り状態だ。精神的に疲労した身体を、ゆったりとした時間が癒していく。
「それにしても、契斗の自己紹介面白かったねー。初っ端から声裏返ってたし。ブフッ……今思い出しても笑える……っくく」
「やめろ蒸し返すな由宇。少し緊張してたんだよ!」
口元が緩みまくっている由宇に、契斗は照れを隠すように怒る。
机に肘をついてリラックスしていた空姫も、少年の自己紹介を思い出し、くすくす笑い出した。
「相変わらず人の前に出るの苦手よねー、契斗って。中等部からの顔見知りの方が多いんだから、そんな気張らなくていいのに」
「ソラは逆に緊張しなさすぎなんだよ。オレより男前だよな……」
見た目とは真逆で、男勝りな空姫は「まあねー」と自慢げに答えた。
そんな中、愛だけは契斗を笑わない。それどころか、うんうんと小さく同調している。
「私も自己紹介、苦手です……。契斗くんの気持ち、すごく分かります」
「あっはは。愛ちゃんは今にも倒れそうで、ちょっと心配するレベルだったよ」
由宇のその言葉に、空姫も頷く。
高等部から通うことになった愛の存在を、ルームメイト以外は知り得ない。そのため、新しい顔に興味津々なクラスメイトは、その内心が表情に出ていたのだろう。
わくわくする視線を一気に受けた愛は、勢いに負けて危うく意識を手放すところだった。
「あ、そういえば話変わるけど、愛。部活入らないの? あたしは中学の時からチアリーディング部だから、高校もチア部入る予定なんだけど……。愛も入らない?」
「わあ、チア部なんて素敵ですね。でも私、運動神経絶望的なんです……。あと、アルバイトをしたいので、部活は難しいかもしれません」
「そっかー。それは残念。でもほら、週に1回だけの部活もあるし、見学だけ回ってみたら? 契斗と二人で色んな部活見て、よかったら一緒に入っちゃいな」
突然名前を出された契斗は、飲んでいた紙パックの牛乳を吹き出す。
「オレは部活なんかやんねーよ!? 何が楽しくてそんな面倒なこと……」
「だってあんた、中学の時もやってなかったじゃない。心機一転やってみれば? ただでさえ引きこもりで社会性無いんだから」
言われたい放題だが、返す言葉が見つからない契斗は、黙って認めるしかなかった。
彼と同じく中学生の時に帰宅部だった愛は、部活には興味こそあるが、これといってやりたいことが見つからない。
「うーん、この学園にはどういう部活があるんでしょうか」
愛の問いを受け、由宇は思いつくものから挙げていく。
「んーとねえ。野球、サッカー、バスケ、フットサル、チア、美術、華道、映画研究……マイナーな部活も結構あるから、俺も全部は把握してないなあ。あ、ちなみに俺は、中学からやってる男子バレーボール部に入るよ」
「由宇くんも運動部なんですね。本当、運動神経が良いのって羨ましいです」
「わーい褒められちゃった。やっぱ男はスポーツできなきゃ。ね、契斗!」
「オレに振るな。どうせオレはお前と違って運動音痴だよ」
契斗は悔しそうに顔を背ける。専ら頭脳に長けている少年は、運動はあまり得意ではない。
いじけだした少年にかける言葉に迷っていると、閉まっていた教室のドアがガララッと開いた。
四人は一斉に、音のした方を見る。
「……んあ? なんだ、お前らまだ残ってたのか。もう教室に鍵かけるから、さっさと寮に帰って明日の予習でもしとけ」
現れたのはこのクラスの担任、葉井島寿康だった。
彼は化学と生物の教師をしていて、常に白衣を着ている。まだ二十代後半で、教師の中では若手の男だ。
「はーい。……そういえば灰島先生、ついにクラスもつことになったんですね。服装とか厳しくないし、先生が担任でよかったー」
空姫が帰る支度をしながらそう言うと、扉にもたれかかっている寿康が怠そうに頷く。
「ああ、そろそろ担任になってくれと、学長に言われてな。面倒くせえし、本当はやりたくなかったんだけど。給料上がるらしいから引き受けた」
「き、汚い大人……」
中等部の頃から寿康は空姫達に理系の授業を教えていたため、面識がある。
教師としての威厳はない代わりに、 生徒達からすれば親しみやすい先生として人気だ。
「ちなみに、先生ってどこの部活の顧問だっけ?」
先程の話題を思い出した由宇が、なんとなく気になり尋ねた。
面倒なことが嫌いな男のため、大会がしょっちゅうある運動部ではないことは予想できる。しかし、だからといって文化部のイメージもない。
「チア部とバスケ部のお前らには無縁の部活だろうけど、料理部だよ。部員少ねえから、いつか廃部になりそうな気はしてる」
料理のイメージなど塵ほどもないため、由宇達は言葉を失う。
一段と目を真ん丸にした空姫から、鞄がバサリと落ちた。
「なんだその意外すぎるって顔は。いいか? 料理は化学なんだ。色々な原子が様々な分子を作るように、料理の組み合わせでまったく違うものになる。しかも自分でつくった食い物は、着色料など一切なく安心だ。つまり―――お前達の担任の先生は、女子力と化学の塊なんだぜ、よかったな」
珍しく熱弁する担任を前に、生徒達は驚愕よりも恐怖がもやもやと込み上げ、由宇を先頭に扉へ向かった。
「あー……うん。じゃあ俺等は帰るね。さよなら先生」
「失礼しまーす。あっ、あたし杏仁豆腐食べたいなぁ。ねぇねぇ寮に戻る前にお買い物しようよ」
由雨、空姫、契斗と続き、あたふたする愛は深すぎるお辞儀を寿康にしてから、後に続こうとした。
しかし、廊下に一歩足を踏み出したところで担任から苗字を呼ばれ、少女は瞬きをパチパチしながら振り返った。
「よかったら今度、料理部へ見学に来い。活動日は毎週水曜、1人で来るのが緊張するなら、暇な奴を連れて来ればいい。歓迎するぞ」
見透かしたようなその言葉に、愛はドキリと心臓がはねる。
何故なら、本当は料理部に惹かれつつあったからだ。
寿康は正直すぎる発言や気怠そうな態度から、教師に向いていない男だとよく思われるが、生徒の心の内を読むことは得意だった。
そのため、子供の気持ちをうまく引き出すことが出来るのは、大きな長所だ。
「あ、ありがとうございます! 今度……伺います」
ほっこりとした笑顔を咲かせ、愛は軽い足取りでルームメイトの元へ急いだ。
「料理部、かあ……」
くすぐったいような、飛び跳ねたくなる気持ちで、愛の口元が緩まる。
部活の見学に誘ってもらえたことが嬉しいのか、自分を見抜いてくれた大人がいたことが嬉しいのか―――否、両方だろう。
そして前を歩く契斗に近付き、少し勇気を出して、声にした。
「契斗くん。次の水曜日は……空いていますか?」
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-continue-