05:写真
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「やったああ!」
入学式の朝、1人の少女の叫び声が響いた。
その場にいた者が反射的に振り返ると、そこには白いパーカーを着た叫び声の主―――希野空姫と、彼女のルームメイト達がいた。
高等部の女子制服は本来、ヒダが灰色と桃色のスカート、そして金ボタンの灰色のブレザーを身に付けなければならない。胸元のリボンには、学園のマークである傘の刺繍がされている。アンブレラ学園の制服はフリルが多いのが特徴で、華やかな制服だ。
しかし空姫はブレザーの代わりにパーカーを着て、明らかな校則違反をしていた。
「やったよ! みんなクラス一緒だよ!」
校則など御構い無しの少女は、新しいクラスの紙が貼られている掲示板を指差しながら、先程よりも少し声のボリュームを下げ、さぞ嬉しそうに笑う。
ルームメイトの他の3人も掲示板を確認すると、確かに同じ欄に全員の名前が記されていた。
「ほんとだ。4人とも1年A組だね!」
由宇のテンションも一気に高まるが、契斗は若干不満げに息を吐いた。
「ソラと由宇と一緒にいると目立つんだよな。オレは空気でいたいのによ……。せめて高校は大人しくしろって言いたいとこだけど、お前らなんで初日から服装そんな自由なんだよ。……もうだめだ」
空姫の白いパーカーと、由宇の青いトレーナーは、自然と人の目が集まる。
中学生の頃から、契斗は何もせずとも、有名な2人のルームメイトというだけで名が広まっていた。
「だってブレザー動きにくいし、フリル多すぎだし……」
「うんうん。男子のブレザーにはさすがにレース付いてないけど、俺青が好きだしぃ」
悪びれもなくケロっと答える少女達に、契斗は頭を抱える。
「まぁ今更お前達が優等生になるなんて、学園の誰一人として思っちゃいねーだろうけどよ……」
ほとんどの生徒はエスカレーター式で中等部から高等部に上がるため、実際あまり環境は変わらない。
例年と大きく違うことといえば、今年度からは愛がいるということだ。
「……愛は、あんな風になっちゃだめだぞ」
「え? あ、はい……?」
少女は不思議そうに首を傾げているが、理解していないままコクンと頷いた。
刹那。
「コラー! ソラ、由宇、あんた達なんでブレザー着てないのよ!?」
突然、遠くから女性の怒鳴り声が響いた。
呼ばれた本人達はビクリと肩を跳ね上げ、契斗の後ろに隠れた。そして由宇が控えめにぼそりと呟く。
「カ、カオルちゃん……。さすが親子なだけあって、契斗と似たようなこと言うんだね」
声の主は、アンブレラ学園の理事長である九路瀬カオルだった。契斗の実の母親で、空姫や由宇とも付き合いが長い。
「登校時間中は理事長って呼びなさいって、いつも言ってるでしょう。あと契斗、あんたネクタイ曲がってるわよ、だらしない。それに比べて、愛。貴方は今日も可愛いわねえー」
空姫と由宇にチョップを落とし、息子の着衣を直してから、愛の頬を優しく突っついた。嫌な顔一つせずに、愛はほわほわと微笑んだ。
「んもう、なにこの可愛い生き物。契斗もこのくらいのプリティーさが欲しいわ」
「いや、オレがほっぺツンツンされてニコニコしてたら気持ち悪いだろ」
「うん。きもい」
「一人息子になんてこと言うんだよ! それでも母親か!」
喧嘩するほど仲の良い親子を見て、愛はまたふふっと笑った。彼女の親は既に他界し、これからの始まる式にも、1人も身内は来ない。
それでも、寂しさに溺れないのは、間違いなくルームメイトや気遣ってくれるカオルがいてくれるからだろう。
「さーってと、愛。式に遅れちゃうから、そろそろ行こ? んで、終わったら4人で約束してた写真を撮ろーう!」
空姫はるんるんと鼻歌を歌いながら、愛の背中を押していく。男子2人も、後ろに続いて会場に向かった。
楽しそうな後ろ姿を見送るカオルの眼差しは、誰よりも暖かく、そして安心したように顔の筋肉が緩んでいた。
「もうあんなに仲良くなれたのね、愛。うん、やっぱり若者は元気が1番! 三年間、存分に謳歌しなさい」
そう独り言を溢してから、カオルも学園長である夫の元へと足を進めた。
ふわり、私立アンブレラ学園に、爽やかな春風が吹く。
***
「あー、学園長話長かったー。ねぇ契斗、自分の父親なんだから、挨拶長すぎだって注意してよ。このままじゃ、俺のお尻がいつかペチャンコになっちゃうじゃん」
「オレだって昔から言ってるけど、効果ないんだよ。てか由宇のケツ事情なんか知るか」
長い入学式と始業式が終わり、生徒達に本日の予定はもう無い。
それぞれ寮に戻ったり、式を見に来ていた保護者と過ごす中、208号室の四人は中庭で休憩していた。由宇はごろりと芝生に寝転がり、契斗に文句を投げる。
「あーもうお尻痛いよー。契斗のせいだ」
「なんでだよ! まったくこいつは……」
新品の制服だろうがお構いなく外で横になり、まるで子猫のように落ち着きがない由宇。
契斗と空姫は呆れた顔をしつつも、起こそうとはしなかった。
しかし、突如何者かによって由宇の腕が引っ張られ、身体が浮く。気づいた時には、しっかりと二本の足で立たされていた。
「おいコラ、由宇。村咲家の人間でもあろう奴が、何こんな所で寝そべってんだ」
「あれ、紫苑……。やっぱ来てたの?」
紫苑と呼ばれた長身の男は、掴んでいた由宇の腕を離し、「まあな」と短く答えた。
突然の来訪者だが、愛のルームメイト達は騒ぐどころか、その青年を歓迎しているようだった。
「紫苑! 中学の卒業式ぶりかな? 相変わらず、マメによく来るわねー」
「よぉソラ。由宇が全然家に帰ってこないから、こっちから行くしかないだろ」
和気藹々と話す空姫と紫苑。
契斗とも顔見知りのようで、友人に会った時のような挨拶を交わす。
由宇を見に来たということは、紫苑は7歳ほど上の兄だとも考えられるが、容姿に共通点が見当たらない。
どうにか1つに束ねられる程度の長さをした黒髪で、瞳はルビーのように赤く、由宇のそれとは違う。目の形もキリリとしていて、どちらかといえば契斗に似ていた。
「ん? なんか見ない顔がいるな」
紫苑はそう言って、初対面の愛をじっと見つめる。
彼女は反射的に一歩後ろに下がってしまったが、少なくとも友人の知人であることは間違いない。失礼がないように、深々とお辞儀をした。
「こここんにちは! 今年度から由宇くん達のルームメイトになりました、明橋と申します」
「へえ、208号室に新入りが入ったのか。どこのお嬢様か知らないけど、由宇が世話になってるな。―――俺は村咲家の使用人で、こいつの側近の咲屋紫苑。よろしくな」
ピアスが光り、一見怖そうにも見える紫苑だが、愛に対する物言いは優しい。
「い、いえ! 私は断じてお金持ちではないので、お嬢様だなんてとんでもない……。それよりも咲屋さんは、由宇くんの使用人さんだったのですか」
「ああ。由宇の両親は忙しいし、兄貴も跡取りだから多忙だしってことで、式とかイベントは俺が来ているんだよ。村咲家が代々受け継ぐ病院は、休みもまともに無いしな」
「わあ、ご実家は病院経営をしてらっしゃるんですね。それでは由宇くんもいつか、お医者さんに……」
「ならないよ」
由宇はぴしゃりと否定し、余計なことを話すなとばかりに使用人を睨む。紫苑は適当に謝罪をしてその場をおさめた。
その様子を見た愛は、深入りすることを止め、再び質問することはなかった。
なんとなく気まずい雰囲気が流れる中、空姫が思い出したかのように、紫苑に話題を振る。
「……あ、そうだ紫苑。あたし達の写真撮ってくれる?」
「写真? 自分の使用人じゃないのに、遠慮なく俺を使うなソラは……。いいぜ、一眼レフ持ってきたし」
おもむろに鞄からカメラを取り出し、四人を並ばせる。
先程は一瞬不機嫌そうだった由宇も元通りになっていて、いつもの笑顔で空姫に抱きついた。
「わ、くっつかないでよ、バカ由宇。癖毛がうつる」
「失礼な! どうせなら仲睦まじい写真残したいじゃーん? ほらほら、契斗と愛ちゃんももっとくっついて」
左から契斗、愛、空姫、由宇と並んだ。写真が苦手な契斗は照れながらも、それを悟られないように平然を装うのに必死だ。
慣れた手つきで一眼レフを操作し、紫苑がレンズ越しに四人を眺める。
———でっかくなったなあ。
呑気に主の成長に関心しながら、紫苑はふっと口角を上げる。
同時に幼いころの由宇を思い出すが、怒られる前に再び記憶にしまう。
「……おーい契斗、お前もうちょっとナチュラルな微笑みしてくれや。ロボットみたいだぞ」
「これが限界なんだよ!」
うまく表情をつくれず、毎回ぎこちない顔になる少年は、今回も仏頂面な仕上がりになるだろう。
自覚はしていても解決法は浮かばず、とりあえずピースサインだけしておこうと思った時だった。
「ドーン!」
「きゃっ」
不意に由宇が隣にいた空姫を思い切り押し、ドミノ倒しの要領で愛もよろける。当然最終的には契斗の方向に流れるわけで、咄嗟に愛を庇うように腕を広げた。
パシャリ。紫苑の持つカメラから音が鳴ると、3人分の体重が契斗にかかり、彼を下敷きにして皆崩れた。
「くくっ、いい写真が撮れたぜ。契斗のこの顔、最高」
自分の主が空姫に殴られているが無視し、画像を確認した紫苑が、不敵ににやけた。
その画像データには、小さな子供のような顔をした由宇に押され、なんとかバランスを立て直そうと必死な空姫。そして、更に押された愛と契斗の目が、丁度合った場面が保存されていた。契斗はこれから起こる雪崩を一瞬で察知したようで、口を大きく開けている。
「じゃ、俺は用済んだし帰るから。写真は現像して、後日送っとく。明日から授業も始まるんだろ? ちゃんとみんな、服の汚れとっとけよー。寮には使用人なんかいないんだから、勿論自分達でな」
「ちょ、紫苑! せめてこの状況どうにかしてから帰ってよ。……ブッ、重さと愛ちゃんの近さにやられて、契斗がしんでる。あっははは」
「馬鹿言ってる暇あったら退きなさい、由宇! セクハラで訴えるわよ。……愛、ごめん大丈夫?」
「ふ、ふぁい……私は大丈夫です。それよりも契斗く……契斗くん!? わあ、大変です! 顔が青くなったり赤くなったりしてます!」
既に紫苑は帰り、やっとのことで由宇と空姫は立ち上がる。
混乱した愛は起き上がることも忘れ、契斗の上に倒れこんだまま、彼をゆさゆさゆさぶる。
「契斗くん、しっかりしてください……!」
「うーん……。って顔近! ぐはっ……」
ただでさえ身体が触れているというのに、少女の顔の近さがとどめとなって、少年は気絶した。女性に免疫のない彼にとっては、あまりに刺激が強かったのだろう。
頬がタコのように赤くなったまま、ぴくりとも動かない。
「ははは、ほんっと最高に面白いなあ。まぁそのうち目覚めるっしょ。あと愛ちゃん、あんまり男にくっついちゃだめだよー? 契斗はヘタレだから気絶しちゃったけど、他の野郎だったら食べられちゃうかもよっ」
爽快に注意する由宇の足を、空姫が力一杯踏みつける。そのまま、きょとんとする愛の手を引いて、寮のある方向へ足を進めた。
「え、待ってソラ帰るの!?」
「あたしは愛とご飯食べてるから、由宇は契斗が起きるまでそこで待機ね。付いてきたらぶっ飛ばす」
「えー! そんなあ。俺もご飯食べたいー」
愛が喚く由宇を心配して振り返ると、ふと視界に校舎や澄んだ青空、制服姿の生徒達が談笑する光景などが視界に入る。
本来ならば、自分はいるはずのない世界だった。
———本当に、私高校生になれたんだ。
この時間を噛み締めれば噛みしめるほど、きゅんと溢れる幸せ。
当たり前のように友人がいる現実が、どうしようもないくらい幸福に思え、愛は泣きたい程嬉しくなった。
———こんな日々が永遠に続きますように。
そう願わずにはいられなかった。
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