03:208号室
校舎の裏側にある、20階建ての大きな寮。そこでは私立アンブレラ学園―――通称傘学に通う生徒たちが暮らしている。
校舎以外の場所では私服姿の中学生や高校生が歩いていて、自由気ままな春休み最終日を過ごしていた。
「ここって本当に、寮……なんですよね。高級ホテルと言われても納得できるんですが」
「あー……無駄に洒落てるからな」
自動ドアが愛と契斗のために扉を開けると、寮とは思えぬ豪華な空間が広がっていた。シャンデリアが照らし、花が美しく飾られている。
画面タッチ式の自動販売機も何台が設置されていて、利便性にも長けていた。
愛は少年の斜め後ろを歩き、寮のエレベーターへ向かう。
「契斗さん。実際のところ、寮生活ってどんな感じなんですか?」
「……そうだなあ。オレらの部屋は愛さんが四人目の住人で、男2人女2人になるな。基本は自炊……つっても、オレは料理なんてできないから、任せちゃってるけど。あ、なんか母さん達に、オレに料理教えるように言われたらしいけど、そんなことしなくていいからな」
「へっ!? そういうわけにはいきません! 厚かましくも教えさせていただくことが学費代わりなので、どうかお願いします!」
所謂『パッツン』の前髪を振り乱し、必死に頼む少女の姿に、契斗は吹き出した。女性は苦手だったが、愛の裏表ない態度に拒否反応が薄くなっていたからだろう。普段ならガチガチに強張る身体が、柔らかい。
自然に笑えた自分に内心驚きつつ、エレベーターに乗り込んだ。他の生徒は不在で、本日2度目の2人きりの空間だ。
「「……あのっ」」
まったく同じ二文字が被った。
動揺半分、羞恥半分で、愛の頬がみるみる染まる。釣られるように、契斗までカッと熱が上がった。
「す、すみません。契斗さんからおっしゃってください」
「えっと、いや……大したことじゃ、ないんだけど。その、さん付けはいらない。呼び捨てでいい」
もごもごと歯切れの悪い少年は、痒くないにも関わらず、ぼりぼりと頭をかいた。
挨拶と同じ調子で「呼び捨てでいいよ」と軽く言える能力など、彼にはない。
このぶっきら棒な言葉が、ルームメイトとなる少女への、精一杯のコミュニケーションだった。
愛はぱちくり瞬いた後、はにかんだ。
「実は、私も呼び捨てで呼んでくださいって、言おうとしてたんです。でもまさか同じこと言ってくださるなんて……えへへ、嬉しいです」
〝ありがとうございます、契斗くん〝。
愛は照れたような笑顔を浮かべながら、最後にそう言った。
呼び捨てではないが、呼び名が変わるだけで友好度が高まったように感じるものだ。
「お、おう……」
途中でエレベーターに乗ってきた生徒がいたが、契斗はそれすら気付かず放心状態で突っ立っている。
ただただ、頬の熱を感じていた。
「―――あ、契斗くん。20階着きましたね。って、大丈夫ですか? なんだかまた具合悪そ……って、あっ、わわ私の所為ですよね! 女の子嫌いなのに、こんな近くに私がいるから体調が悪くなってしまって……あああ来世は男に産まれてくるのでどうかお許しを……!」
「や、悪い、平気だよ。だから愛さん……いや、ま、愛は気にしなくていい。っていうか、性別って選べるもんなのか?」
「えっ、違うんですか!? 性別って選択できるものかと思ってました……」
「正直真相は知らないけど、なんか愛って……アホっつうか天然だよな。あ、208はこっちだぞ」
エレベーターから1番遠い部屋。そこが愛の新しい家であり、契斗達の暮らしている所だ。
防音はしっかりとしているようで、207や206など同じ階の扉の前を通っても、物音はしない。
いざ208を前にすると、愛の心臓はばくばくと高鳴り、帰りたい衝動に駆られる。もっとも、此処がその〝帰る場所〝だが。
契斗がドア付近にある機械に学生カードを近づけると、ピッと音がして解錠される。鍵代わりのカードがあるため、鍵穴は存在しない。
「ほら、入りな」
不器用だが優しい声色に背中を押され、愛はゆっくりとドアノブに手をかける。
———お友達になれますように。
そう願いながら、ぐっと力を入れた。
期待と不安が最高潮になり、瞳が若干潤む。それでも下は向かずに前を向いた。
パーンッ。
少女が新しい世界の扉を開いて、まず耳にした音。
それは乾いたクラッカーの音だった。
煙たい空気を吸い込むと焦げた匂いに鼻腔が刺激される。
「「ようこそ208へ!」」
男女の明るい声が、待ってましたとばかりに響く。
愛は靴も脱がずに玄関で呆然する後ろで、契斗は扉を閉めた。
そんな少女を見て、初対面の私服の男女はへらへら笑う。
「あーごめんね? びっくりさせちゃったかな。俺達ずっと三人暮らしだったから、久しぶりの新人ちゃんについついテンション上がっちゃってねー」
「初めまして、待ってたよ! さぁて、主役が来たところで早速歓迎会しよ、歓迎会!」
長い睫毛に、くっきりとした二重。そして整った顔。まさに———美男美女。
その顔面のクオリティーと、ナチュラルにスキンシップをとってくる気軽な態度に、少女はとにかく圧倒されていた。
契斗は時間が停止したような愛を庇うように、楽しげな2人に呆れた声を掛ける。
「おいお前ら、うるせーよ。怯えさせてどうすんだ」
「んー? ああ、契斗おかえり。女嫌いのくせに、なんかその子と一緒にいても普通だね! もしかして一目惚れしちゃったとか?」
「なっ……。そうやってすぐ人をからかうな! ったく、そんなんだからお前は残念系男子って言われるんだよ」
「あっはは。失礼しちゃうねえ」
ぴょんぴょんと跳ねたハニーベージュの髪の少年は、にやっと口角をあげる。
誰とでも話すことができ、更に外見も良い彼は、どこの学校にも必ず1人はいる『人気者』なのだろう。
そんな男のトレーナーを引っ張り、「少し黙ってなさい」と言ったのは、漫画のヒロインのような少女だった。
「男共うっさい。ほら、新人ちゃん、お菓子もあるから早くあがっておいで。―――あ、その大きなキャリーは契斗が持って来なさいよね」
ハニーベージュ色の少年よりも若干色素の濃い髪はふわりと揺れ、垂れ目が飴玉のように輝いていた。
女性でも見とれてしまう容姿をしているが、同部屋の男達に放つ言葉は冷たい。
それでも従う男子2人を見て、末っ子気質な妹のようなものかと、愛は爆発しそうな頭で考えた。
「愛。荷物はオレが持ってくから、貸して」
「あっ、すみません。契斗くん、ありがとうございます。……みなさんも、わざわざお出迎えまでしてくださって……。紹介が遅れましたが、明橋愛です。お世話になります」
愛は精一杯お礼を言い、挨拶をする。
口下手で、つい堅苦しくなってしまうが、染み付いた敬語はそう簡単に壊れない。
「ふふっ、友達であり家族になるんだから、そんなに気張らなくていいんだよ。ちなみに、あたしの名前は〝希野空姫。姫なんて柄じゃないから、ソラって呼んでねっ」
「俺は村咲由宇。こーんな可愛らしい新人ちゃんが来るなんて、ほんと嬉しいよ! ……なんで睨むのソラ。あ、何もしかしてヤキモチ? 大丈夫だよ、空姫のことは昔も今もこれからも大好きだから」
「きもい、うざい、ハゲろ残念系ハネッ毛男。てゆーか、空姫って呼ぶなってあんたは何回言えば分かるわけ? ちょー不愉快なんですけどぉー。窓から出てってくんない?」
「せめて玄関から出して。ここ20階」
容赦ない空姫にたじろぐ愛だが、どうやら女子には優しいようで、ぎゅっと手を取ると愛をリビングに連れて行った。
先程まで空姫を妹的存在だと感じていた愛だが、姉のように頼れる一面もこの短時間で発見した。
「―――ここがみんなの共同スペースだよ。個室は2つあって男子と女子で分かれてるの。まぁ基本みんなリビングにいるけどねー」
「わぁ……お綺麗なお家ですね!」
クッションに囲まれた低いテーブルには、沢山のお菓子や飲み物が並べられていた。大きめのテレビも目の前にあり、食事をしつつニュースやドラマを見て、寛いでいるのだろう。
ふと様々な雑誌が敷き詰められている本棚の上を見ると、中学の入学式だと思われる3人の写真が飾られていた。
まだ制服に着せられているような違和感があり、実に子供らしい。
「あぁ、それは、12歳のあたしと由宇と契斗だよー。この日から寮生活が始まったんだよねえ。あ、せっかくだし高等部の入学式の日、今度は4人で撮りたいね!」
「……っはい! 写真、撮りたいですっ……」
愛はパッと明るくなり、普段から小さい声を少しだけ大きくした。その反応が嬉しかったのか、空姫も微笑む。
そんな可愛らしい花達を眺めながら、男達は新しいカメラを購入しようと決めた。
「女の子2人いると和むね、俺もまぜてほしい———って、あれ、雨降ってきた?」
由宇のその言葉に、少女達は一斉に窓を見る。
彼が言った通り、ガラスには雨粒が付いていて、目を凝らすと雨の線が見える。
「あれ、ほんとだ。今日天気悪いんだったっけ? 湿気のせいで髪ぺたってするから、あたしあんま雨好きじゃないのにー」
「うんうん、やっぱり晴れがいいよ。俺の場合、髪ぺしゃんこになると思いきや、濡れると更に跳ねるからやだ!」
髪を触りながら文句を垂れる、由宇と空姫。
確かに湿気はなかなか厄介で、忙しい朝の貴重な準備時間を圧迫する。特に猫っ毛の少年には、水気は大敵だった。
「契斗も、たしか雨嫌いだったよね。でもそんだけ直毛なら、湿気なんか関係なくない?」
自重気味に由宇が話を振ると、契斗は「まあな」と短く言い放った。
「でも、オレも雨は嫌いだよ。なんとなく気が滅入るし、もやっとする」
怠そうに、契斗は菓子に手を伸ばした。
ベランダに落ちる雫の音は、バリバリという咀嚼音で消える。
数回噛めば甘ったるい味が口内を満たし、契斗は緑茶を一気に飲み干した。
「甘! 誰だよ、この砂糖の塊みたいなやつ買ってきた奴」
「あーそれ新発売の『じゃがりんりんこ』よ。元々しょっぱい系のお菓子だったけど、今回発売された苺味は、激甘になってるの」
「ソラお前、それを早く言えよ。オレはほのかな甘味が好きなんだよ……」
ぶつぶつと呟きつつ、契斗は自分に合いそうなスナック菓子を探し始めた。
中学生の頃から共に住んでいる空姫には、契斗の女嫌いは発動しないようで、いたって普通に話している。
「ん、これうまい」
「どれどれ、あたしも食べたい」
愛を除いた3人は裕福な家の子供だが、ワンコインで買えるチョコレートやビスケットも案外気に入ってきた。
『高価だから良い。安価だから悪い』など、一概には言えないのだ。
「私は……好きです」
しばらく無口だった愛が、僅かに唇を動かした。
きょとんとした顔で、空姫は『じゃがりんりんこ』を1本拾って突き出す。
「これが? うんうん、やっぱ分かる人には分かるんだね。この激甘の良さが!」
「ご、ごめんなさい。お菓子のことでは、ないんですっ。や、でも、甘い物は私も好きですよ!」
フォローを忘れない少女。
他人の心ばかり気遣う彼女が、契斗は少し心配になる。いつか誰かのために、自分のことなど切り捨てるのではないか、と。
「じゃ、何が好きなの?」
由宇のネイビー色の瞳と視線が合い、愛はつい逸らした。
空姫にも共通することだが、彼等は目力が強い。吸い込まれそうになり、反射で目線を変えてしまうのだ。
「えっと……め、です」
「目?」
「雨の日、私は好きです……」
菓子でもなければ、目でもない。
少女ははっきりと、雨と言った。
「たしかに雨は寒くて、冷たくて、たまにとっても怖いです。だけど、そんな日にだけ咲く花があるんですよ」
「花……?」
愛は遠慮がちに窓を開けると、ベランダに出る。屋根が付いているため濡れることはないが、春とはいえまだ肌寒い。
契斗達は顔を見合わせ、彼女について行った。
「下、見てみてください」
三人は言われるがまま、ベランダの柵から下を眺める。
最上階なだけあり、地上のものは小さくしか見えないが、確かに色とりどりの〝花〝が咲いていた。
赤、青、白―――様々だ。
「あれは、傘? たしかに、なんでかな。こんな天気の日なら当たり前の光景なのに……改めて見ると綺麗なんだね、こんなに」
〝花〝の正体は、下で歩行している者たちが差している傘だった。
植物は水がなければ生きられない。雨を浴び、傘という花は幸せそうに開いていた。
「はは、なるほどねぇ。今まで俺たちの中にはこんな純粋なこと考える子なんていなかったから、これからも面白いこと言ってくれそうで楽しみだな」
空姫と由宇は、愛の見てる清らかな世界に、感動に似た感情を抱いた。
しかし契斗の無反応な態度に、はっとした愛が声をあげる。
「ごめんなさい! わたし、平和ボケしてるというか、脳内お花畑というか、つまらないことばっか言ってしまって……」
愛はそう言って謝るが、空姫が割り込むように彼女の肩を軽く叩く。
「大丈夫だよ、愛。契斗はちっちゃい時から、凄いなーって思うと声が出なくなる男だから。ほっときな」
「ええ、で、でも……。というか、今ソラちゃん、わたしのこと名前で……?」
「ん? ごめん名前間違ってた?」
「いいえ、あってます! その、あの……嬉しかったです、ありがとうございます……」
「もーいちいちお礼なんて言わなくていいんだよー?」
「あ、ありが……」
「って、言ってるそばから! にしても、やっぱ寒いね―――っくしゅん」
少女達のやりとりを愉快そうに見守っていた由宇は、空姫のくしゃみを合図に動く。
「はーい、風邪引く前に中に入ろう。契斗も立ち尽くしてないで、入ればー?」
立ち尽くしている契斗をチラリと見てから、少年は少女2人の背中を押した。家は暖かく、冷えた身体はすぐに体温を上げる。
「うお!? さむ!!」
我を取り戻した契斗が、外で悲鳴をあげる。このメンバーは、騒がしいことこの上ない。
そんな日常。そんな風景。それが愛には、泣きたいくらい愛おしい。
———ありがとう。
心でそれを誰に言ったのかは、愛自身わからない。
それでもそう思わずにはいられなかった。
「てことで、歓迎会再開しよー!」
空姫の癒される笑顔。
由宇のさりげない優しさ。
契斗の安心する声。
彼等のそれぞれの色を見つけ、愛はただただ、頬を緩ませた。
新学期。彼女の世界は鮮やかに色付く。
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