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梅雨の晴れ間です。

 『喫茶店いるか』はかもめ通り商店街にある喫茶店で、柴田華子の実家だった。六人がけのテーブルが二つと、四人がけのテーブルが四つ、そしてカウンター席。さして広くない店内だったが、木の暖かみを活かした粗い板張りの床が、味のある空間を作り上げている。常連グループがお互いのテーブルを越えて会話を交わすような、そんな親しみやすい雰囲気の店だった。


「今日お店の手伝いしなきゃいけないからさ、遊びにきてよー」


 そんな華ちゃんのお誘いを受けて俺と弓月そして柳原は、この喫茶店を訪れていた。俺と弓月が連れ立って下校するところを柳原に捕まったのだ。


 プロレスラーみたいにガタイのいいマスターは華ちゃんのお父さんで、俺たちの来店を大歓迎してくれた。そして俺と柳原の肩をがっしりと掴んでの忠告。華ちゃんに手を出す場合は、この店を継ぐ覚悟が必要とのこと。華ちゃんに聞かれて、こっぴどく怒られたのは気の毒だった。

 ……でもさ、それで手を出していいなら考えちゃうよね。いや、ホントにね。


 華ちゃんはウェイトレスとして店内で働いていた。いるかのロゴが入ったエプロンがよく似合っている。仕事の手際が良く、働いている姿を見ているだけで小気味いい。くるくると動き回るたびに、ミニスカートの裾やポニーテールが軽やかに揺れていた。

 まさに看板娘を絵に描いたような存在だった。素直にそう褒めると華ちゃんは照れたように俺の肩を叩いた。

 そして仕事が一段落した今は、エプロン姿のまま弓月の隣の席に腰を落ち着けて、完全に談笑モードだ。


「アッキーは無頓着だから気付いてないだろうけど、女子の世界にはいろいろあるわけさ」


 華ちゃんが口上とともに語り始めたのは、今回の小宮山事変に関するしょーもない裏情報だった。

 概要は次のようなものだった。

 小宮山はバスケ部のイケメン、隣のクラスの田代たしろ君に恋しちゃってるらしい。しかし、田代君は奏お嬢様のことが気になっている様子で小宮山はそれが面白くない。

 つまり、小宮山の悪意の根柢には表と裏が存在していたのだ。表はお嬢様が周囲に見せていた拒絶への反感。そして裏は色恋に絡む嫉妬ということなのだろう。


 今回の件を派手にやってしまうと田代君に自分がしていることが伝わってしまう可能性がある。自分の醜い面は見せたくないのが乙女心。だったら見られて困るような行動をとらなければいいと思うんだけどね。

 そんな理由で、小宮山の嫌がらせはクラス内で収まるような、わりと姑息なやり方でとどまっていたのだ。ずいぶん古典的な手段で仕掛けてくるもんだと思っていたのだが、そういう事情があったということだ。


 小宮山みたいなタイプは色恋が絡むと執念深くなるんだろうな。そして逆に恋愛が上手くいくと気持ちが穏やかになってくれるのかもしれない。田代君、小宮山と付き合ってくれねーかな?


「だからさ、奈緒にも伝えたんだよ? アッキーと若宮ちゃんがデキてるってことにしておけば、小宮山は絶対手を引くってね。てっきり奈緒から聞いてるんだと思ってた」


「弓月は何でそんな耳寄りな情報を教えてくれないワケ?」


「それは……あなた、自分が毎晩何をしてるか忘れてるの? 冗談にならないでしょう?」


 弓月がテーブルに身を乗り出し、俺に顔を近づけて至近距離で睨みながら注意する。

 でも、まぁそうだな。いくら緊急回避とはいえ、奏お嬢様の悪評に繋がるような噂を無責任に流すわけにはいかない。華ちゃんの策を知ったとしても、俺は実行しなかっただろう。


 小宮山達とは休戦状態となっていた。俺の方からは攻撃した覚えはないから、一方的なものではあるのだが。すでにクラスメイトのほとんどが俺と普通に接してくれているし、それによって小宮山達との関係がこじれているわけでもない。一度こういう流れができてしまうと小宮山達がクラスの中心的グループであっても、それを変える事はなかなかできない。

 たまに思い出したように上履きが消える事はあるのだが、何だか意地になっているようで妙な微笑ましさすら感じる。とりあえずは満足できる状態と言えた。


「んで? 若宮ちゃんはクラス内でどうなってるの?」


「少しずつ馴染んでるんじゃないかな、仲のいい子もできたみたいだし」


 奏お嬢様はクラス委員長の諏訪部すわべさんとよく話をしている。諏訪部さんは礼儀正しくて物静かな女の子だった。彼女なら奏お嬢様のいい友達になってくれるかもしれない。


「奏お嬢様も昔からあんな感じじゃなかったのよ。会ったばかりの頃は、どちらかというと天真爛漫で明るい人だった。あの人の……お父様が亡くなって、会長職を継いでからかしらね。他所の人と距離を置くようになったのは」


 以前の奏お嬢様に戻ることができたら、クラスメイトとも打ち解けることができるだろうというのが弓月の判断だった。

 しかし小宮山達の悪意や反感は隠れただけで、消えたわけではないのだ。


「奏お嬢様と仲良くなってくれるのは嬉しいけど、小宮山が諏訪部さんに対してどういう反応するか少し気がかりかな」


「大丈夫なんじゃない? 彼女、中学生の時、空手の全国大会で優勝してるから」


 柳原が何でもないことのように言った。


「はい?」


 話しかけると恥ずかしそうにうつむいて応える諏訪部さんの小柄な姿を思い浮かべた。どう見ても読書大好きな文学少女ってタイプだろ? 彼女を本気で怒らせないようにした方がいいのかもしれない。


「若宮ちゃんもここに連れてきたらいいのに。あたしさ、若宮ちゃんと仲良くなりたかったんだよねー」


「うーん、まあ、そのうちにな」


 奏お嬢様は人付き合いが苦手なことを克服したというわけではないのだ。今は泳げない人間が泳ぎ方を練習しているような状態だ。半分溺れながら水を飲みつつ、浅瀬でバシャバシャとやっている状態なのだ。いきなり華ちゃんのノリに接したら戸惑ってしまうかもしれない。

 諏訪部さんも一緒に誘ってみようかな。それはとてもいい考えに思えた。


 店に客が多くなってくると、華ちゃんは接客のために席を離れた。俺が夏休みに妹をこちらに呼んでやりたいという話題を振ると、柳原が異常な食いつきを見せた。


「だからさ、妹っていうのは神が人類に与え賜った至高の存在なんだよ! いち属性として考えると、あらゆる属性の中でも飛び抜けて価値があるものだと思う」


 柳原が立ち上がらんばかりに謎の熱弁を始めている。

 察して! 弓月さんの視線がどんどん冷たくなっていくよー。完全に汚物を見る目だよ?

 柳原の妹論には全く興味はなかったのだが、一応確認してみる。


「それで、お前実際に妹いるの?」


「弟が七人いる」


「……なんか宿命さだめって言葉が浮かんだよ」


 神様が柳原家の平和を守ってくれたのかもしれない。


「だから妹さんが来たらぜひ会わせてほしいんだ」


 何がだからだ。こいつには絶対に会わせない。


 弓月は興味なさそうにストローでアイスコーヒーを飲んでいた。そういえば弓月の家族の話って聞いた事がなかったな。


「弓月はどうなんだ? 兄弟とか」


「私は……姉さんがいるわ」


「妹、来たあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 店内が震えるような絶叫で他のお客さん達までが、何事かとこちらのテーブルに注目する。

 華ちゃんがアルミ製のトレイで柳原の頭をはたいた。そして店内のお客さんに気にしないようにと、ぺこりと頭を下げたり愛想良く手を振ったりしている。

 柳原は少し冷静になったらしく、頭頂部をさすりながらずれた眼鏡を直した。

 

「でも、よく考えてみると弓月さんって妹要素がなさすぎるよね? はっきり言ってハズレ妹だと思う。もっとやる気出さないと」


 目に狂気が宿っている。柳原君って可愛い顔してるのに、結構言うよね?


「ハズレ妹ってどういうことかしら?」

 

 弓月はニコリと微笑を浮かべているのだが、俺には背後に蒼い燐光が揺れているように見えた。弓月さんってば怒りの表現力上がってませんか?



 その日の深夜、俺はいつものように奏お嬢様の寝室を訪れた。口数こそ多くないものの最近の奏お嬢様はベッドの中でいろんな事を話してくれる。今日の話題は諏訪部さんのことが多かった。


「諏訪部さん歴史の事に凄く詳しいんです。そういう人のこと『レキジョ』って言うらしいですね」


 今日の奏お嬢様は特に機嫌が良さそうだ。枕を抱きながらうつ伏せになり、足を前後にフリフリしている。少女っぽい仕草だった。


「それでね、特に好きな戦国武将が柿崎景家?と立花道雪?なんですって」


 猛将!! やはり諏訪部さんの本質は武闘派なのかもしれない。

 奏お嬢様がクスクスと笑いながらコロリと俺の方に反転し、見上げるように俺を見てくる。


「明日は一緒にお弁当食べようって約束したんです。晴れるかしら、明日?」


「ええ、晴れるといいですね」


 奏お嬢様はそのまま目を閉じて黙り込んだ。すぐに安らかな寝息が聞こえてくる。今夜の奏お嬢様のお嬢様ホールド(命名:俺)は手強かった。俺くらいの添い寝熟練者になると拘束の強さで相手の体調がわかってしまうのだ。お元気そうで何よりです、はい。

 この頃はお嬢様と一緒でも、何とか翌日に支障がでない程度には眠ることができていた。学校生活も仕事の方も順調にやっていけてる気がする。



 翠ケ浜(みどりがはま)高校の体育祭は六月にある。わざわざ蒸し暑い中、梅雨の合間を縫ってやることもないだろうに。


 クラス内では体育祭の競技に出るメンバーの割り振りを行っていた。動きの少ないものや、娯楽性が高くチームの勝敗に影響が出にくい競技が人気で、そういうものから定員が埋まっていく。

 

 弓月は運動ができるらしく、いろんな競技に引っ張り出されていた。

 俺の方はといえば転校してきたばかりなのと、ああいうことがあった後なので重要な競技に駆り出されるようなことはなかった。


 最後まで残ったのはクラス対抗リレーのメンバーだった。リレーは体育祭で最も注目が集まる競技で、勝敗の責任も重大なものになる。他薦はしにくいし、立候補はもっとしにくい。それでも最後の一人までは他薦で決まったのだが、そこでピタリと声が途絶えてしまった。


 「誰か出てくれる人、いませんかね?」


 教壇の上で諏訪部さんが遠慮がちに呼びかける。クラスメイト達が顔を見合わせる中、小宮山が手を挙げて提案する。

 

「はぁい、会沢君なんてどうかなぁ? 足早そうじゃん?」

 

 クラス内に何となくシラっとした空気が流れた。

 いやー、俺そう見えるんですかねえ? 少し前は違うものが早いって言われてたじゃないですか? 俺、あれだけは根に持ってるからね。……早くない、はず。

 隣の席からため息が聞こえてくる。弓月がうんざりしたような顔で小宮山を睨んでいた。この子は間違いなく武闘派です。


「あの……」

 

「いいよー、諏訪部さん、俺出るから」


 諏訪部さんが困ったように何かを言いかけていたが、俺は軽い感じでそれを遮った。奏お嬢様が不安そうにこちらを見ているのが分かったし、なるべく変な空気にしたくなかった。

 

「でも……」

 

「俺、出る競技少ないしさ。俺でいいなら出るよ」

 

「そうですか、ありがとうございます、会沢君」

 

 諏訪部さんは安心したようにペコリと頭を下げた。やっぱり大人しくて優しい女の子……だよね?



 静かに雨が降っていた。

 下校するために靴を履き替えた俺は、傘を持っていないことに気付いた。玄関先で雨の様子を確かめたが、雨粒はそれほど大きなものではない。俺は雨に濡れながら帰る事にした。


 通学路の坂道を駆け足で下り、大通りに出る。信号待ちをしていると雨脚が強くなってきた。

 ブレザーのポケットからハンカチを出そうと苦労している俺に誰かが近づき、持っていた傘を差し出した。少し息の上がった弓月だった。

 坂道で気付かずに追い抜いてしまったようだった。弓月はそのまま俺の横に立つと、ことさらに俺の方を見ないように話しかけてくる。


「あんなに声をかけたのに気付かないなんて」


「悪かったな、急いでたから」


「あれだけ足が早いならリレーも大丈夫かもしれないわね」


 弓月は苦笑しながら言った。


「実は俺は運動は苦手じゃないんだ。それより……」


 俺は声を潜めて真剣な声を作って、思わせぶりに辺りを見回した。弓月は何事かと慌てて顔を近づけてくる。


「これ、相合い傘ってやつだけど、いいのか?」


 弓月はきょとんとした顔をしていたが、からかわれた事に気付くと真っ赤になり、唇を震わせた。

 俺はいつものように弓月の怒りに備えて身構える。だが、その様子を見た弓月が思わず吹き出してしまい、彼女の怒りは不発に終わったようだった。


「バーカ……」


 その声は雨音にかき消されるほど小さかった。弓月は俺を傘に入れたまま若宮家まで一緒に歩いてくれた。


 屋敷に到着すると、弓月は真っすぐ浴室に向かい湯船にお湯を張った。そして、濡れている俺に風呂に入るように命令しながら、タオルを渡してくれる。面倒見のいい奴なんだよな、こいつ。


 夜が更け、俺は颯爽と寝室という名の仕事現場……いや、戦場に向かう。仕事着のパジャマは皺ひとつない下ろしたてだったが、長年生死を共にしてきた相棒のように体にフィットしている。できる男は道具を選ばないものだ。


「何をニヤついているのよ?」


 弓月の冷たい声で現実に引き戻された。まぁ、これから寝るだけなんですけどね。弓月は湯上がりのようで、ピッタリとしたティーシャツとショートパンツという軽装だった。目の毒です。これ、目の猛毒です。

 弓月は目の前の部屋に入ろうとしていたようだったが、思い直したように俺と向き合った。いつもは超警戒している俺の視線にも気付かず、弓月は少し遠慮がちに問いかけてくる。

 

「……ねえ、あなた奏お嬢様の部屋で毎晩何をしてるの?」


「へ?」


「あなた達の様子を見ると、その……そういうことじゃないと思うんだけど」


 グヘヘ、そういうことってどういう事かな? ん? はっきり言わないと分からないだろ? んん?

 言葉攻めは脳内だけに止めておく。その方が身のためだろうな、うん。


「何って、本当にただ寝てるだけなんだよなあ」


「何のために?」


「さあ」


「大した意味がないなら、続ける必要あるのかしら?」


「何が言いたいんだよ?」


「若い男女――クラスメイトが毎晩一緒に寝てるなんて変。不健全だと思う」


「うーん、仕事として必要とされてるしな」


「仕事なら何だってやる?」


「どうしたんだ? やけにつっかかるな」


「……もういい」


 弓月は何だかしょんぼりとした様子で自分の部屋に入っていった。何が言いたかったんだろう? 一般論としては正しいが、今さらだ。俺はしばらく彼女が閉めたドアを見つめていた。

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