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母親達の願いです。(一)

後日談、前話の後の話です。

 日々平穏。

 三学期が始まってから、退屈なくらいに平和で穏やかな日々が続いている。俺は怪我で入院していたため、始業式には乗り遅れてしまったのだが、大きなニュースといえばそれくらいのものだった。

 最近変わったことと言えば、俺が諏訪部さんの家の道場に通い始めたことだった。諏訪部さんの実家は、諏訪部流という古武術をベースとした実戦的な武術の道場なのだ。国賓クラスの要人警護のスペシャリストを数多く排出しており、政府の高官からの信頼も厚い、由緒ある流派ということだった。

 そのことを聞いた俺は、要人警護という言葉に心を動かされたのだ。年末の事件があり、俺は奏お嬢様の側に仕える者として、主人や自分自身の身を守ることの重要性を思い知った。

 諏訪部さんのような武威を身につけることは不可能だろうが、せめて大切な人たちを自分の手で守れるようになりたいと思ったのだ。


 護身術として武術を習いたいという俺からの申し出を、諏訪部さんは喜んで受けてくれた。次の日には早速道場に誘われ、諏訪部流武術の稽古を見学することになった。

 基礎の稽古から組み手、さらにはより実戦的な稽古として、武器を持った相手との組み手というのも見せてもらった。十人もの武器を持った相手に対して、諏訪部さんが完勝。さすがは諏訪部流の師範である。

 ただ、相手が持っていた武器が本物の日本刀にしか見えなかったことと、それを諏訪部さんが素手でへし折っていたということは見なかったことにしようと思いました。

 今は体力作りを含めた基礎動作を体に叩き込んでいる最中だ。諏訪部さんは筋がいいと誉めてくれるが、正直自分の無力さを実感させられることが多い。

 何事にも最初の一歩はあるものだ。それにはやる気と忍耐力とが必要なことが多い。すぐには結果がでなくても、くさらず嘆かず、地道に積み重ねていく課程が重要なのだと思う。



 昼休みの教室。今日は柳原を始めとした、クラスの男子達と一緒に昼食を取っていた。彼女持ちとはいえ、いや、彼女持ちだからこそ、男同士の友情も大切にすることが必要なのである。

 バレンタインデーが近いため、そのことが話題の中心となった。焦燥感がにじみ出ている他の連中に比べて、俺の心には大きな余裕があった。なにしろ今年は確実に本命チョコが貰えるのだ。優越感で顔が緩んでしまう。

 男同士の会話に加わる一方で、俺の目線は側にいた女子グループに固定されていた。

 隣では小宮山達仲良しグループが机を合わせてお弁当を広げているのだが、とにかく騒がしい。特に小宮山は笑いながら椅子の上で足をバタつかせたり、行儀悪く片足を椅子の上に乗せて膝を抱えるような姿勢になりながら、食事よりも話しに夢中になっているようだった。

 無防備すぎるその様子は、下着が見えてしまわないか気が気ではない。俺は心配のあまり、その様子を注意深く観察していたのだ。

 誤解のないように、もう一度整理しておく。小宮山のスカートを観察しているのは、あくまで友達を心配するという友情に基づいた行為なのだ。


 ふと、俺と目があった小宮山が、椅子の上で飛び上がり、姿勢を正して座り直す。顔を真っ赤にして一瞬険しい表情になったが、思い直したように苦笑を漏らした。


「あんたさぁ、またあたしのパンツ見てたでしょ?」


 小宮山があきれたように話しかけてくる。俺をからかうような小悪魔めいた笑顔。


「何だか可愛く思えてきちゃったよ。ちっちゃい子供みたいでさぁ。怒らないから正直に言ってごらん?」


「お前は何を言っているんだ? 断言しよう。見ていない! 見えそうになっていたから、絶対に見逃さないようにしようと凝視していたのは事実だ。だが、結局は見えていないんだから責められる筋合いはない!」


「……正直なのはいいけど、何でそこまで堂々としてんのよ、あんた。ちょっと男らしいとか思っちゃったじゃん」


 小宮山が少し離れたところにいる奈緒に呼びかける。奈緒は奏お嬢様や諏訪部さんたちと昼食の席を共にしていた。


「奈緒ぉ。あんたさぁ、いろいろと考え直した方が良くない?」


「ちょっと黙ってて、茜。自分の中でもいろいろと葛藤があるんだから」


 奈緒と小宮山のお互いの呼び方も、平和な日常の中のわずかな変化の一つだった。

 俺の退院祝いに仲間内でささやかなパーティーが催されたのだが、ゲームに負けた二人が罰ゲームをすることになった。その罰ゲームというのがお互いの呼び方を名字ではなく、名前で呼ぶというものだった。負けず嫌いの二人は、先を争ってお互いの名前を呼んでいたのだが、それがパーティーが終了してからも続いているのだ。

 意地っ張りな二人であったが、このような意地の張り合いは大歓迎である。元々、きっぱりとした気性が似通った二人であるし、気は合うはずなのだ。


「あんたさぁ、そんなにパンツが好きなら、今度のバレンタインにチョコでできたパンツでも作ってもらったらいいじゃん。ねえ、奈緒。そうしてやんなよ」


「その男のことで私に話しかけないで、あなたの仲間でしょう?」


「あんたの彼氏だよっ!?」


「小宮山よ、俺はチョコレートもパンツも大好きだ。だがな、女の子が穿いていないパンツに何の価値があるんだ? そこで提案なんだが、パンツを見せながらチョコレートをくれるというのはどうだろう? 義理でいいから、期待してるぞ」


「……義理で見せるようなパンツはねえよ」



 夕方のかもめ通り商店街は夕飯の買い物客で盛況だった。今日は奏お嬢様がお仕事へ向かったため、俺は奈緒と二人で『喫茶店いるか』に顔を出した。


「最近さあ、ウチのクラス、塾に通いだした子が増えてきてるみたいでさあ。何だかちょっと置いて行かれた感じがするんだよねえ」


 華ちゃんが隣のテーブルの片づけながら独り言のように嘆いている。俺もこのまま若宮家の執事として働くという明確な目的がなかったら、少し複雑な気分になったかもしれない。


「お父さんはさ、この店のことなんて考えずに、自分の好きな進路を選べって言うんだよ。けどさ、だったらお店を娘に任せて雀荘に行くのは止めて欲しいよね」


 マスターの駄目親父っぷりを暴露する華ちゃん。とはいえ、彼女自身お店の手伝いをすること事態は嫌いじゃないらしい。


 奈緒は華ちゃんの愚痴を聞くとはなしに聞いている。卒業後の進路について、最近の俺達は何かと考える機会が多くなっている。高校二年の三学期。文系、理系によるクラス分けのこともある。そういう時期が来ているのだ。だが、何年か後に自分が歩んでいるであろう道を想像できる生徒がどのくらいいるのだろう?


 奈緒は高校を卒業した後、どのような進路を選ぶのだろう? 以前の彼女であれば、若宮家を出て行き、独りで生活すると即答していたに違いない。奈緒の徹底ぶりを考えると、若宮家どころか、この町からも離れることになるだろう。今、彼女は自分の――いや、俺達の未来のことをどう考えているのだろうか?



 『喫茶店いるか』を出ると、商店街の人出は来たときよりもさらに多くなっていた。買い物客の流れを縫うようにして商店街を抜ける。俺は奈緒とはぐれてしまわないように、彼女に手を差し出した。そっと俺の手に触れてきた奈緒の手を指と指を絡めるように握り直し、力を入れて側に引き寄せる。

 奈緒はつんのめるように、俺に体をぶつける格好になった。奈緒の口から小さな吐息がこぼれる。

 奈緒ははにかんだように俯くのだが、緩む口元を隠し切れていない。付き合ってみて分かった奈緒の傾向。多少強引に引っ張っていくような態度に弱いのだ。

 そのまま指と指、腕と腕を絡めるようにして商店街を歩いていると、魚屋のおじさんからの冷やかしの声が飛んでくる。


「よっ、お二人さん。今日も仲がいいねえ!」


 奈緒は唇を噛んでおじさんを睨むのだが、迫力というものが全くない。春先に俺との関係をからかわれた時とは全く違った反応だった。おじさんはそれが楽しくて、調子に乗って囃すのだが、正直少し抑えてもらいたい。あまりやりすぎて奈緒がすねてしまうと、ご機嫌を取ることになるのは俺なのだ。

 おじさんはそんな俺の気も知らず、いい笑顔で親指を立ててくる。俺は振り返りながら愛想笑いを返した。



 屋敷へ戻ると、俺は夕飯前にお屋敷周辺の掃除をしておくことにした。掃除道具を持ってお屋敷の門へ向かうと、潜り戸を通って敷地内に入ってくる人物に出くわした。インターホンが鳴った様子もなく、勝手に入ってきたようだ。俺は慌ててその人物の元へと駆けつけた。


「お客様、勝手に敷地内に入られては困ります。当家に何かご用でしょうか?」


「……」


 少々派手ではあるが、身なりの良い女性だった。高価そうなコートを身に纏い、旅行帰りのような大きなキャリーケースを引きずっている。濃いサングラスの奥から俺を見据えているようだが、その表情は窺えない。年の頃は四十歳前後といったところだろうか。

 初対面の人物だった。そう、確かに会ったことがないはずだった。しかし、何かが記憶に引っかかる。俺はこの人物に既視感を覚えていた。


「ふうん、あなたが……」


 その人物はしばらく俺の顔を見つめていたが、皮肉げに唇をゆがめて呟いた。


「そこを退いてちょうだい。……この屋敷の主人に用があるのだから」


「素性の分からない方を主人に会わせるわけにはいきません。改めて事前にご連絡いただいてから――」


 謎の女性は俺の言葉を聞かずに屋敷に向かおうとする。


「お客様っ!? お待ちください」


 制止の呼びかけにも応じない。こうなったら少し強引にでも止めるしかないかと思い始めたとき、女性の肩越しに、早足でこちらに向かう三好さんの姿が見えた。使用人控え室で防犯カメラの映像をチェックしていたのかもしれない。年末の事件以降、使用人一同の防犯に対する意識はより高くなった。応援に駆けつけてくれたのだろう。

 三好さんはその女性の前に立ちはだかると、愕然とした表情を見せた。そして、わずかに震える声で問いかける。


「……お、奥様?」


「お久しぶりね、三好さん。なあに、その髪型? 日本で流行っているのかしら」


 その女性は、キャリーケースを三好さんに手渡し、屋敷の玄関へと向かった。当然のように荷物を受け取った三好さんは、その隣に着き従う。

 俺は事態についていけずに、その場に立ち尽くした。

 俺はその女性を見たときに感じた既視感の原因にようやく気がついた。色素の薄い栗色の髪。特徴的な奏お嬢様の髪の色によく似ていた。

 二人が屋敷の中に姿を消した後、俺はその女性が十年以上前に若宮家を出奔した奏お嬢様のお母様だということに思い至った。

続きます。

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