いたって普通の友達です。
後日談となります。
一月下旬の日曜日。空は鉛色の雲に覆われ、道路には朝方に降り出した雪がうっすらと積もっていた。とても外出に適した日ではない。
にもかかわらず、並んで歩く俺と奈緒を先導するかのような奏お嬢様の足取りは軽く、時々踊るようにクルリと回りながら雪の上に無軌道な足跡を残していた。パステルピンクのコートの裾が翻り、奏お嬢様の周囲だけが早すぎる春を感じさせる。時々歩道の段差に躓き、そのたびに奈緒に注意されていた。
今日、俺達は諏訪部さんの家を訪問するために連れだって外出していた。
俺は無意識に寒さを少しでも和らげようと、身を縮こまらせて歩いていたようだ。隣を歩いている奈緒に、それを指摘されてしまう。
「ねえ、彰人。寒がりなのは知ってるけど、そんなに背中を丸めていたらみっともないわ」
「ああ、分かっちゃいるんだけど……どうしても、な」
「彰人は格好いいんだから、もったいないと思う」
「……奈緒」
「ケッ、そういうのは人が居ないところでやってもらえませんかね?」
見つめ合い、二人だけの世界に旅立とうとしていた俺達に浴びせかけられる奏お嬢様の悪態。とても家柄のよろしいお嬢様とは思えないやさぐれっぷりだった。
俺は咳払いをしながら奈緒から視線を外し、奈緒は顔を真っ赤にしながら俯いてしまう。
どう考えても俺達が無神経すぎるのだ。結果的には俺が奈緒と恋人同士になることで、奏お嬢様が振られてしまう形になった。そんな相手の目の前でイチャイチャするのは、本来慎むべきなのだろう。
しかし、俺と奈緒は話し合い、そういう遠慮をするような真似はやめようと決めたのだ。そのような気の遣われかたは奏お嬢様も望まないだろうと思ったからだ。
もちろん奏お嬢様は本気で恨み言を言っているわけではない。その証拠に、今日の奏お嬢様は誰の目から見ても、必要以上にご機嫌なのである。
ストレートに茶々を入れるのは、彼女も必要以上に気を遣わせないように俺達に配慮してのことなんだろうと思う。
恋人としての俺と奈緒、そして恋人同士としての俺達に向き合う奏お嬢様、俺達の新しい関係性は始まったばかりなのだ。徐々に慣れていくしかないのだろう。
奏お嬢様は数日前から諏訪部さんの家を訪問することを楽しみにしていた。
今までの彼女は学校で浮いた存在だったため、同級生の友達の家に招かれるということをほとんど経験していなかったからだ。
「いいですか、私が――諏訪部さんの親友であるこの私が招待されたんです。奈緒とアキちゃんはあくまでおまけ、主賓の同伴者であることを忘れないでくださいね」
奏お嬢様の言い分である。実際は俺達三人が一緒に居る場で招待されたのだから、諏訪部さんは友人である俺達も含めて招待したつもりなのだろう。しかし、奏お嬢様の浮かれっぷりが微笑ましかったので、俺と奈緒が異を唱えることはなかった。
諏訪部さんの家は武家屋敷のような立派な邸宅だった。広大な敷地が背の低い石垣で囲まれている。石垣の上部は生け垣になっており、よく手入れされた植木が通行者の目から屋敷を隠すように植えられていた。
門の柱にはシンプルな表札。それ以外には何もない。インターホンが見当たらず、俺達は何度か分厚い門扉越しに声をかけた。当然ながら中からの反応は返ってこない。声が屋敷の中に届いていないのだろう。
奏お嬢様が諏訪部さんの携帯に電話をかけてみるのだが出なかった。何か用事があって手が離せないのかもしれない。奏お嬢様が急かすので予定時間より少し早い来訪になってしまったのだ。
このまま通りで大声を出し続けるのはご近所迷惑になってしまうだろう。俺達は鍵がかかっていなかった潜り戸から声をかけながら敷地内に入った。
門から玄関先までは石畳が続いており、その距離は約三十メートル。屋敷の向かって左手には鯉がたくさん泳いでいそうな立派な池が見える。そして右手には、何かの道場らしき建物があり、中から気合いの入ったかけ声が聞こえてくる。
その道場の前に人影が見える。二人の道着姿の男性が竹箒を持って作業をしているようだった。掃除というよりも、石畳の上に薄く積もった雪を竹箒を使って退かせているのだろう。俺達は声をかけるために彼らに近づいていった。
彼らの様子を視認できるほどの距離まで来ると、俺の足がピタリと止まってしまう。
身長が低めの三十代くらいの男性と、背の高い二十代くらいの男性だった。二人ともガッチリとした体格で、一目で体を鍛えていることが窺える。確かに近寄りがたい屈強そうな猛者だったが、俺の足を止めさせた原因はそんなことではない。
どうして背の低い男性は大きなアイパッチをしているの? 明らかに医療用には見えないけど、ひょっとして夏侯惇なの?
どうして背の高い男性はスキンヘッドに大きな傷跡がいくつもついているの? どう見ても刀傷にしか見えないのは気のせいですよね?
このお二人のご職業は何なのですか?
是非とも予備知識が欲しかった。
作業に没頭しているようで、相手は俺達の存在に気付いていない。立ちすくむ俺を追い越して、奏お嬢様と奈緒が無造作に彼らに近づいていく。
おおいっ!? 少しは躊躇しろよっ!! 怖い物知らずというか世間知らずなのだ、この二人は。うかつに近づくのを避けるべき人間がこの世に存在することを理解できていない。
いや、俺の恋人の方は知っていてもあえて避けることはないんだろう。何も悪いことはしていないのに、何故自分が相手を避けなくてはならないのか、そんな風に考えてしまう強気な女の子なのだ。
相手がどんな人物だろうと、このまま二人を接触させるわけにはいかない。俺は慌てて二人に先んじてアイパッチさんとスキンヘッドさんに声をかけた。
「あ、あのー、ちょっとよろしいですか?」
我ながら声が固い。アイパッチさんとスキンヘッドさんがこちらに顔を向けるが、完全に『アア゛ンっ!?』という音声が付いてくるような動きと迫力だった。思わず絶句してしまった一瞬の隙をついて、奏お嬢様が俺を押しのけるようにして前に出てきてしまう。
「私っ、諏訪部さんの親友の若宮ですっ。今日は私が――諏訪部さんの親友であるこの私がお招きにあずかったんです。この二人はおまけです。お取り次ぎいただけますか?」
アイパッチさんとスキンヘッドさんが竹箒を投げ捨て、直立不動の姿勢をとる。いずれの顔にも笑顔らしきものが浮かんでいるのだが、とてもリラックスして向き合うことはできなかった。思わず財布を差し出してしまいそうになる。
「お嬢のご友人でしたか。これは、気付かずに失礼いたしました。ささっ、こちらへどうぞ、ご案内いたします」
代表してアイパッチさんが対応する。隣のスキンヘッドさんも笑顔のような表情を浮かべて何度も頭を下げていた。俺達のような若造に対して、丁寧すぎるほどの態度である。
人は見かけで判断してはいけないということを再認識させられた。道場の中から断末魔のような悲鳴が聞こえてきたことも、何か理由があるのだろう。そうに違いないな、うん。
アイパッチさんの案内で俺達は邸宅内のお座敷に通された。広い座敷の中央には重厚な座卓が置かれている。アイパッチさんが素早い身のこなしで座布団を並べ、俺達に座るように勧めてくれた。
座敷はヒーターで十分に暖められており、寒がりの俺にはありがたかった。来客に備えて常に準備してあるのだろう、気配りが行き届いている。
いったん座敷を離れたアイパッチさんが、お茶をお盆に載せて戻ってきた。茶托と和菓子の載った銘々皿を俺達の前に置いてくれるのだが、何故かその手が震えている。
気になってアイパッチさんの様子を窺うと、緊張したような面持ちで大量の汗をかいていた。部屋が外に比べて暖かいとはいえ、それほど暑いわけではない。
アイパッチさんは礼儀正しい所作で俺達に向かって座り直し、深々と頭を下げる。
「お嬢の祖母に当たる、諏訪部家当主が皆様に是非ご挨拶したいとのことですが、よろしいでしょうか?」
諏訪部さんのお祖母さん? まあ、友達のご家族に挨拶をするのはこちらとしても望むところなのだが、何故これほど緊張感に溢れているのだろう?
内容は全く大した事ではないのに、家族に患者の危篤を伝える看護師のような深刻そうな声色だった。
「はいっ、喜んで!」
「それでは、当主を呼んで参りますので、おくつろぎになってお待ちください」
俺が躊躇する間に奏お嬢様が脳天気に話を受けてしまう。まあ、深刻に考えないことにしよう。俺はアイパッチさんが去り際に俺達に向けた気の毒そうな表情を忘れることにした。
しばらくすると、和服姿の年配の女性が姿を見せる。総白髪であったが、老けているという印象はなかった。柔和な微笑み、物静かで控えめな人となりが分かる上品な雰囲気、間違いなくこの方が諏訪部さんのお祖母さんであろう。
「蓉子の祖母です。いつも孫と仲良くしてくださって、ありがとうね」
大層な前置きもなく、話しぶりにも仰々しさはない。
しばらくは諏訪部さんの話で盛り上がる。お祖母さんは、諏訪部さんがいつも家で俺達の話を楽しそうにしていることを教えてくれた。俺達が諏訪部さんの学校での様子を話すと、お祖母さんは楽しそうに聞いていた。いたって普通の孫思いのお祖母さんという印象を受ける。緊張していたのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「気付いているとは思うけど、あの子には人並み外れた力があります。あれは、諏訪部家の一族――何故か女だけに伝わる能力なの。何代かに一人、その力を授かって生まれてくる女児がいる。だからあの子が悪いわけじゃないのよ。それを理由にあの子を嫌わないであげてね」
「……お婆さまにも、その力が?」
「若い頃はね――今はできなくなってしまったわ。歳のせいかしらね」
寂しそうに笑うお祖母さん。人間離れした力があっても、やはり俺達と同じ人間なのだ。
突然、お祖母さんが持っていた湯飲み茶碗が俺の目の前で砕け散る。その破片が頬をかすめ、俺は凍り付いたように固まってしまった。冷や汗が頬を伝う。
「あらあら、ごめんなさいね。今も言ったけど、歳のせいか力を調節することができなくなっているのよ」
「……ああ、できなくなったのはそっちでしたか」
「割れにくいセラミック製の湯飲みを使っているのだけれど、もっと注意しないといけないわねえ」
「……」
のんびりとした口調で微笑むお祖母さん。
まあ、細かいことを気にしても仕方がないな、うん。湯飲みにお茶がほとんど入っていなくて良かったではないか。
お祖母さんが諏訪部さんが同席していない状態で俺達に会ったのは、この事を言いたかったがためだろう。彼女も若い頃には自分の力のことで悩んだことがあったに違いない。今の話から、それが原因で親しい人との間に何かがあったのだろうと推測できた。同じ思いを孫娘にさせたくないのだ。
「あのう、今のお話よく分からないんですけど、どういうことなんでしょうか?」
奏お嬢様がおずおずとお祖母さんに問いかけた。奈緒もピンときていないような表情で俺に目で問いかけてくる。俺には奏お嬢様の質問の意図も奈緒の問いかけも理解できない。小さく首を振ってその意を伝えた。
「諏訪部さん――いえ、蓉子さんに何か人と違った所がありましたっけ?」
「……は?」
俺の口から間抜けな声がもれた。奏お嬢様が冗談を言っている様子はない。
奈緒が奏お嬢様の意見に同調する。
「人に嫌われるようなおかしな所ってあったかしら? もう少し自分の意見を言ったらいいんじゃないかと思うときはあるけど、控えめなのも彼女の美点だし……」
俺と同じように、この二人は諏訪部さんがその力の片鱗を見せる場面に何度も立ち会っている。以前から彼女達の反応の薄さが気になっていたのだ。俺のように、諏訪部さんの力に驚いたり慌てたりする様子がなかった。
その理由が今になってようやく分かった。この二人は諏訪部さんの力に気付いていないわけじゃない。ただ異常なものとして認識していないだけなのだ。この二人の妙な価値観は、諏訪部さんに関しては良い方向に働いているようだった。
「人と違うって言ったら、このアキちゃんの方がよっぽど変です。女の子のお尻の――」
「うわぁあっ!?」
「そうね、昨夜もお風呂で――」
「どぅわぁっ!?」
奇声を発して二人の発言を封じる。
おいおい、この子たちは友達のご家族の前で何を言い出してるの? 俺の性格のほんの一部でしかない秘めた部分を誇張して吹聴するとは何事ですかっ!?
それにしても、俺が変とはどういうことなのだろう? 年頃の女の子にとっては、ごく一般的な思春期男子の思考と嗜好は理解できないものなのかもしれない。
さすがのお祖母さんも驚いたような表情を見せていた。そして、俺達の馬鹿馬鹿しいやり取りを見てクスクスと笑う。
「余計な心配だったかしらね。あの子は幸せね、こんなに楽しいお友達がいるんですもの。皆さん、これからもあの子のこと、よろしくね」
砕けた湯飲みの後片付けをしていると、諏訪部さんが座敷に姿を現した。白黒のモノトーンチェックのロングスカートに白のブラウス、その上にグレーのカーディガンを合わせている。彼女の私服は同系色でまとめることが多いのが特徴だった。
大人っぽく見えるのは、いつもは一本に束ねて編み込んでいる髪を下ろしているからだろうか。
諏訪部さんは慌てて駆けつけたようで、少し息が上がっていた。
「お待たせしてすみません。道場で門下生に稽古をつけていたもので」
俺は改めて道場から聞こえてきた断末魔のことは忘れようと思った。カラスか何かの鳴き声を聞き間違えたのかもしれないしね、うんうん。
さっそく奏お嬢様が諏訪部さんの手を取って、招待してくれたお礼を大げさに述べている。お祖母さんはその様子を自分のことのように嬉しそうに見守っていた。
お祖母さんが挨拶を残して退席すると、諏訪部さんが自分の部屋に俺達を案内してくれることになった。
「諏訪部さんの部屋ってきちんと片づいていそうだね」
「いえ、結構物が多くて散らかっているんですよ。今日はさすがにある程度は整理しましたけどね」
諏訪部さんが恥ずかしそうに答える。そして、人形を部屋に飾ったり、男の子が好きそうなおもちゃを集めたりするのが好きなのだという話をしてくれた。諏訪部さんの意外な一面である。
真面目な委員長にもそんな子供っぽいところもあるんだなと、親近感を覚えた。案内されるがままに諏訪部さんの部屋に足を踏み入れようとして、俺の足がピタリと止まる。
部屋の壁際に、三体の鎧武者が畳床机に座るような形で飾られているのが目に入ってしまったからだ。赤備えの大将らしい武者を真ん中に、黒鎧の武者が両側から大将を守るように鎮座している。
……人型である以上、人形と言われたら頷くしかないのかもしれない。確かに等身大の人形だよな、うん。それはよしとしよう。
壁に無数の武器がフックに掛けるような形で並んでいるのはどうなんだろう?
刀、剣、槍、薙刀……ああ、鎖鎌まであるんですか――刃物に分類されないのであれば、おもちゃと言うのも間違いじゃないのかもしれませんね、ええ。
ただ、ほんの少し気になるのは、柱に付いている傷跡ですかねえ。明らかに何かを使用した跡ですよね、あれ。
部屋の入り口で固まっている俺の脇をすり抜けて、奏お嬢様と奈緒が室内に足を踏み入れる。二人とも興味深そうに諏訪部さんの部屋を見回していた。
「お人形と言うから西洋風のドールだと思っていたけど、和風なのね」
奈緒の感想に全力でツッコミを入れたかった。そりゃ洋風か和風かで言ったら和風だろうけど、要点はそこじゃないだろ! このパターンで西洋風だったらアンティークドールなどではなく、騎士鎧が並ぶことになるんだぞ!?
奏お嬢様が壁に飾ってある武器を指先で突いている。
「おもちゃって割には子供っぽくないですね。これなら大人が持っていてもおかしくないですね」
思わず奏お嬢様の横顔を凝視してしまった。この姉妹、ストライクゾーンの判定が独特すぎるだろ。子供っぽいか大人っぽいかで言ったら大人っぽいけど、そもそも大人だろうが子供だろうが持っていちゃいけない物かもしれないってことを気にしろよ!
「ええと……会沢君、どうかしましたか?」
諏訪部さんが不安そうな表情で俺の様子をうかがっている。
「いや、何でもないんだ。少し予想外だったから戸惑っただけ」
「……そうですか」
諏訪部さんの態度がぎこちない。何か気になることでもあるのだろうか? そう質問すると、諏訪部さんが寂しそうな表情を見せた。
「昔、初めて仲良くなった子を家に招待したんです。家に来てくれたその子は、何度も今の会沢君のように驚いた様子を見せて……。私が気になって声をかけると同じように『何でもない』って言うんです。でも、次の日から彼女はよそよそしくなって、結局疎遠になってしまいました。その事を思い出したんです」
「諏訪部さん……」
友達をこんな風に不安にさせてしまうとは。俺は自分の配慮のなさを恥じた。ここは友達として、ハッキリと言っておかなくてはならない。
「諏訪部さん、聞いてほしいんだ。気付いていないかもしれないけど、俺は女の子が大好きなんだ。大きさに関係なく胸が……おっぱいが大好きだし、特にお尻や脚に対する執着が凄い。もちろん、身につけている小さな布きれ――そう、パンツだって大好きだ。だからミニスカートが翻るところなんて、常に見続けていても飽きないだろうな。あれは素晴らしいものだ。……驚いただろう? 全くそんな風には見えなかったと思うけどね」
「……」
「こっ、この男はキメ顔で何を言い出しているんですか?」
諏訪部さんが俺の告白に絶句している。当然だろうな、友達の意外な一面を聞かされて戸惑っているのだ。今まで俺の内に、そのような秘められた嗜好があったことなんて、想像すらできなかっただろうと思う。俺は奏お嬢様の横やりを無視して更に続ける。
「今の俺の話、諏訪部さんには全く理解できないことだっただろう? それは当然なんだよ。俺と諏訪部さんは性別が違うんだから。女の子から見れば普通の健全男子のリビドーは異様な物に見えると思う」
「この男を『普通の健全男子』とやらにカテゴライズしていいのかしら?」
「ははっ、奈緒――今はそんな冗談いらないから。いい話してる最中だから」
「……」
「何より、この世に同じ人間は存在しない。だから、自分が誰かと違うなんて当然のことなんだ。時にはその違いに戸惑ったりする。中にはその違いを受け止めきれずによそよそしくなってしまう人だっているだろう」
「……」
「今、俺は諏訪部さんとの間に――何て言うか……感性の違いを見いだして少し驚いただけなんだ。でも、安心して欲しい。その違いのせいで俺が諏訪部さんと疎遠になることは絶対にないから」
「どうして言い切れるんですか?」
「だって、俺は知っているから。諏訪部さんが気配り上手な、とても穏やかで優しい素敵な女の子だってことを。どんな変な所があっても、それだけは俺にとって変わらない事実なんだから」
「会沢くん……」
「……話し始めた時はどうやって黙らせてやろうかと思いましたけど」
「彰人はやっぱり、頭がおかしいわね」
奏お嬢様と奈緒が顔を見合わせて笑った。諏訪部さんも俺が言いたいことを理解してくれたのか、安心したような様子だったが、すぐに何かを考え込むように俯いてしまった。そして、次に顔を上げたときには決然とした表情を浮かべていた。
「会沢君にお願いがあるんです」
「何? 俺にできることなら何でもやるよ!」
安請け合いするような物言いだが、俺は完全に本気だった。
「私にエッチなことをしてみて欲しいんです」
「……んん?」
どうしたどうした? 俺の耳がおかしくなっちゃったのかな? 奏お嬢様と奈緒の驚いた表情を確認すると、そんな訳でもなさそうだ。
「どういうことかな?」
「うらやましかったんです、いつも会沢君に変態行為をされている小宮山さんが。なんだかんだ言っていても小宮山さんも楽しそうでした。私の方が先に会沢君と友達になったはずなのに、どうして私にはよそよそしいんだろうって」
「それは、まあ……」
本人同士の親密感の他に、ノリとか空気感とかそれに適した個性というものが必要なのだ。小宮山や雛子にはある程度のことは許されるノリと良い意味での緩さがある。自分で言うのも何なのだが、俺はそういう空気を見分ける力が優れていると思う。諏訪部さんは……まあ、普通に考えて難しい。
「俺には――ほら、恋人がいるから……」
「彰人の彼女として、特例で認めます」
「私も雇い主として認めます」
……何かいろんな所から許可が出た。
「やっぱり私が変だから、普通に接してもらえないんでしょうか?」
寂しそうな諏訪部さんの声。退路が完全に塞がれてしまった。
こうなったらやるしかないだろう。やらないと男じゃない。俺のピンクの波動が諏訪部さんの武威を上回ることを証明するのだ。腹の底に溜まっていた空気を低い呼吸音と共に吐き出しながら、変態衝動を練り上げる。
「見て、彰人の顔面がどんどん卑猥になっていくわ」
「うわあ、ちょっと人には見せられない表情ですね」
「外野は黙ってろっ!」
だが、下唇を噛みながら羞恥の表情を浮かべる諏訪部さんの前に立つと、なかなか手を動かすことができない。請われて変態行為をする。これは俺にとっても初めての経験だった。
「くそっ――恥ずかしい話だが、どうしたらいいのか分からないっ!」
「まず、普段からやってる自分の行為を恥じたらどうなんですかね?」
「完全に恥じるべきポイントを間違っているわよね」
「だから、うるさいんだよっ! こっちは真面目にやってるんだぞ!」
とりあえずスカートか? そう、パンツだ、パンツを見てしまおう。それで一旦いつもの調子に持ち込めるはずだ。
諏訪部さんのロングスカートの裾を掴んで、そろりそろりと持ち上げる。諏訪部さんは羞恥のあまり、顔を背けてしまった。諏訪部さんの脚の白さが艶めかしい。
今さらなのだが、これは一体どんな状況なのだろう? 恋人と幼なじみに見守られながら、恥じらう友達のスカートをめくり上げようとしている。友情に基づいた行為とはいえシュールすぎる光景なんじゃないだろうか?
閃光のような兆しが俺の脳裏に閃く。俺がその攻撃を避けることができたのは全くの偶然だった。諏訪部さんのスカートを太股までめくり上げたとき、「嫌っ!?」という声と共にその衝撃が撃ち出された。
俺は奇跡的に、感じた予兆を行動に移すことができた。何が起きるか判断することもないまま、素早く頭を傾けたのだ。俺の横顔を見えない衝撃がかすめ、真後ろにあった赤備えの兜が粉々に砕け散った。年末の事件によって俺の生存本能が研ぎ澄まされていたのかもしれない。
正拳突きの構えのまま、諏訪部さんが驚いたように俺を見ていた。頭では理解していても、体が変態行為を拒んでしまったのだろう。
「ごっ、ごめんなさいっ! つい……」
「いっ、いやあ……無理もないよね」
俺は唾を飲み込みながら無理矢理声を出す。上出来だ、友達が殺人者になってしまうことを阻止したのだから。振り返って頭部が無くなった鎧武者を確認する。避けなかったら、粉々になっていたのは俺の頭だったはずだった。
「それにしても凄いですね、会沢君。門下生でも私の突きを躱せる人間はいませんよ。こんなに至近距離で攻撃を避けられたのは初めてです」
「……」
今後もこのような依頼が続くことになれば、命がけの変態行為となりそうだ。残念なのは結局諏訪部さんのパンツを見損ねたことだった。次こそはパンツが見られるように少し体を鍛えておこうと俺は決意した。




