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お仕事の時間です。

 与えられた自室で独りになると今夜の仕事のことで頭がいっぱいになってしまう。年頃の女の子との添い寝。俺にとっては未知の領域だった。

 とりあえず荷物の整理をしようと運び込まれていた段ボールを開けるのだが、なかなか手が動かない。意味もなく立ったり座ったりを繰り返したり、腕立て伏せを始めてみたりと落ち着かない。


 今朝出会ったばかりの奏お嬢様の姿を思い浮かべる。可憐とも言えるような、少し暗い表情をした美少女。人付き合いが苦手だという少女が初対面の男とベッドを共にするという。男狂いとかそういうイメージではなかったが、人は見かけによらないということなのだろうか?


「一緒に寝るだけとは言われたが、いろいろ準備した方がいいのか?」


 とは言うものの、具体的には何を準備したらいいのか分からない。とりあえずベッドの下に足を固定して腹筋運動をしてみた。何かあったときに、だらしない腹部を晒したくはないからな。少しでもバンプアップを試みるのだ。



 そんな無駄な努力をしているうちに夜も更けていった。心構えもそこそこにその時が訪れてしまう。奏お嬢様の寝室の前で行ったり来たりを繰り返した後、何度か大きな深呼吸をして奏お嬢様の部屋のドアをノックした。


「あの、奏お嬢様……会沢です」


 声をかけるとドアが半開きになり、部屋の中から奏お嬢様が恐る恐るといった様子で顔を覗かせた。俺の姿を確認するとさっとドアを開け、自らは部屋の中へ引き返していく。

 俺を部屋に迎え入れた奏お嬢様はノースリーブのトップスと七分丈パンツのセパレートタイプのパジャマ姿だった。やっぱり可愛い人だよなー。髪をお団子のように頭の両サイドで結んでいるため、今朝会ったときよりも幼い印象だ。


 俺を部屋に呼んだのはいいが、明らかに奏お嬢様は戸惑っている様子だった。床に座った俺の周りをぐるぐると歩き回り、時々立ち止まって何かを考え込むという謎の行動を繰り返している。朝のことがあるからか少々機嫌が悪いように見えた。


 何の儀式なんだろう、これ?


 俺が何か話しかけようとするたびに、「黙って」と制止の声が飛んだ。仕方がないので俺は彼女のくるぶしを目で追っていた。美人はくるぶしの形まで綺麗なんだな。

 奏お嬢様が何かを決断したかのようにベッドを指さす。


 「そこに寝て」


 「はい」


 もぞもぞとベッドに潜り込んだ俺を追うように、奏お嬢様が素早く隣に横になる。俺たちの間にはもうひとり人が横になることができるくらいのスペースがあったが、大きなベッドはそれでも余裕があった。


 これから何が起こるんです? 一応風呂に入ったときにいつもよりも念入りに体を洗ってきた。そう、いちおうだ。何もなくとも臭っていたりしたらまずいでしょうが。


 何か話をした方がいいのだろうか? 聞きたいことはいくらでもあった。会ったばかりの俺の雇い主。俺は彼女のことを何も知らない。彼女の事を知りたかった。俺の恩人のことを。

 どんなことがお好きなんですか? 何か得意なことはありますか? どんなパンツはいてるんですか? この仕事は何なんですか? どうして俺の家を助けてくれたんですか?


 ……途中に何かおかしいのが混じってなかった?


 隣から規則正しい寝息が聞こえる。まさかと思って奏お嬢様の様子をうかがうと、幸せそうな顔で眠っていた。

 はやっ? 俺は何だか拍子抜けして、思わず小さく笑ってしまった。強ばっていた体から力が抜ける。

 ――その一瞬の隙を突かれた。


「ぅん」


 奏お嬢様が俺の首っ玉にしがみついてくる。熱を持った肌と肌が触れあった。薄く湿った肌が吸い付いてくる艶めかしい感触。甘い匂いの中に潜むほんの微かな汗の臭い。俺は驚いて、媚薬のようなその香りを頭がクラクラするくらいに吸い込んでしまった。


 目の前が真っ赤に染まり、ぞわりと首筋に何かが這い上がってくるような感覚に襲われる。それは興奮した脳がおこした錯覚だったのだろうが、俺には欲望が塊となって皮膚の下で暴れ回っているように感じられた。


 俺は歯を食いしばって喉元をかきむしりたくなる衝動に耐えた。その甲斐あって次第に発作のような波は穏やかになり、やがて霧散した。

 大きく息をついて奏お嬢様の様子を窺うと、穏やかな寝顔を目の端で確認することができた。


「……寝てる、んだよな?」


 首筋に吹きかけられる奏お嬢様の寝息の感触がくすぐったい。彼女が自分の鼻先を俺の鎖骨の辺りに埋めるような体勢になると真っ白なうなじが目に飛び込んできて、俺は思わず視線をさまよわせた。


 ほっそりしているように見えた奏お嬢様だったが、こうやって密着してみるとやはり血肉を持つ人間であることを実感させられる。ってか柔らけぇ、何だこれ? 何なんだコレ?

 この状態が朝まで続くのか? ある意味地獄だった。


 俺は奏お嬢様の体から自分の体をできるだけ離そうと試みた。首に腕を回されてる以上、上半身はもう動かしようがない。だが、そちらは動かす必要がないのだ。問題なのは……つまりそういうことだ。


 奏お嬢様の様子を見ていて思ったことがあった。彼女自身も俺との添い寝に戸惑っているのだ。意味もなく男と接触したがるような女の子ではないと思う。彼女がこうして俺とベッドを共にするのには、何か理由があるのだろう。

 全く信用できない人間を側に置いて眠ることができるとは思えない。側で仕える人間として、俺は奏お嬢様に信用できる男――とはいかないまでも、無害な男だと思われているのだろう。それならば、俺としては自分を律して求められている仕事をこなすのみだ。


 人並みに、いや、それ以上に女の子には興味がある。しかし、その欲望を主人である奏お嬢様に向けるわけにはいかないのだ。

 俺はこの仕事に必要な能力を把握した。何事にも動じない、巌のような精神力。この美少女との同衾がもたらす刺激をやり過ごして、何とか休息をとらないといけない。

 俺の脚を挟み込む奏お嬢様の太股の感触に思わず唾を飲み込む。


 夜は始まったばかりだ。俺は決死の覚悟でこの困難な仕事に挑んだ。



 カーテンが朝日で明るく透かされ、外からは鳥のさえずりが聞こえてくる。朝チュンってやつですよね、これ。

 途中で何度かうとうとすることはあったが、基本的に眠れていない。だって、柔らかくて、温かくって、良い匂いなんだもの。何度も説明するようだが、女の子には人一倍の興味がある。そんな俺にとって煩悩は難敵なのだ。


 ぼおっとした頭で室内を見渡してみるとドアの前にゴブリンがいた。俺は危うく口から出かけた叫び声を飲み込む。ビクリと身じろぎした俺に抗議するように、奏お嬢様が小さな寝声をもらした。


「眠れなかったようじゃな」


 ゴブリンさんはしわしわの顔を歪めてニヤリと笑ったが、奏お嬢様の寝顔を覗き込むと急に真顔になった。


「お嬢様はずっとこの様子じゃったか?」


「誤解のないように言っておきますけど、俺は何度も離れようとしたんですよ」


 俺は軽く両手を挙げて無罪をアピールする。つり革があったら両手で握ってるところだ。


「ベッドに入ってから何かなかったのか?」


「別に何も?お嬢様はあっという間にお眠りになったので」


 ゴブリンさんは何かに納得したように頷いているが、俺の方は一向に落ち着かない。ベッドの中で熟睡している美少女に抱きつかれながら、その様子をゴブリンに似たゴブリンさんに見られてるのだ。

 うーん、頭がぼおっとしてる。

 とにかく奏お嬢様は今でも俺の首筋に鼻先をすりすりしているような状態だ。これを人目に晒しておくのは殺生というものだろう。


 キャサリンさんが何度か声をかけると、奏お嬢様が目を覚ます。超至近距離で俺と目が合うと、口元をわなわなと震わせながら顔を真っ赤にした。俺はなるべく何事もなかったかのように挨拶をする。


「おはようございます、お嬢様……」


「ひぅっ!!!!」


 奏お嬢様が声にならない音をどこからか洩らしながら飛び退った。その弾みでベッドから転がり落ちてしまったが、さらに床を転がり続け俺から一気に距離をとる。部屋の隅まで転がった奏お嬢様は、自分の体を抱きかかえるようにしながら涙で潤む瞳をこちらに向けていた。その様子は誰の目にも獣のような男に襲われそうな被害者そのもの。何だか知らないが、生まれてきてごめんなさいという気分になった。

 この状況を誰かに見られたらまずいんじゃないだろうか? 見る人が見たら、仕えたばかりの主人に狼藉をはたらいたとんでもない男だと思われてしまうだろう。そう、例えば弓月にこんな場面を見られたら……。

 周囲を窺うように首を巡らせると、いつの間にか寝室の入り口に立っていた弓月と目が合った。こめかみをヒクヒクと動かしながら、にこやかな笑みを浮かべている。俺はその笑顔に総毛立った。その下には感情の奔流が隠れていることが明らかだったからだ。


「最低……」


 弓月は冷たい声と侮蔑を含んだ一瞥を残すと、寝室のドアを荒々しく閉じて去って行った。呼び止めて誤解を解く暇もない。その音によって奏お嬢様が現実に引き戻されたようだ。何かに気づいたような表情をすると、取り繕うように咳払いをして、何事もなかったかのように立ち上がった。眉根をキリリと寄せ、どこか遠いところを見るような半眼でキメ顔を作る。本人にとっては優雅な表情のつもりなのだろう。


「おはようございます。とてもいい朝ですね」


 腰に手を当て背筋がピンと伸びている堂々とした見事なモデル立ちだったが、お団子髪の片方がほどけてゆらゆらと揺れていた。



 キャサリンさんに寝室から叩き出されると、俺は大きなあくびをしながら自室へと向かった。午後までは休みをもらったので一眠りしておきたい。今日はそれでいいが、明後日からは学校が始まってしまう。早くこの生活に慣れておかなくてはいけない。

 自室へ向かう途中、中庭で洗濯物を干している弓月と顔を合わせてしまった。まさかこの状況で無視などできるはずがない。俺は先ほどの気まずさを出さないように心がけながら、なるべく朗らかな声で彼女に声をかける。


「おはようさん、朝からご苦労サンだな」


「ゆうべはおたのしみでしたね」


 弓月は平坦な口調でそう言った。その間も洗濯物を広げる手を休めることはない。

 彼女にはお堅いところがあるらしく、俺の仕事が気に入らないのだろう。まあ、当然の反応と言えた。


 お楽しみか……地獄だったような天国だったような、とにかく凄い体験だった。辛く苦しい事が多かったが、楽しいことが何一つなかったのかと問われれば否定するしかない。

 こういう言い回しをしてると何だかとても偉大な事をやり遂げた気持ちになるから不思議だ。自分の思考に浸って、その場を動かない俺に、弓月がしびれを切らしたように声をかけてくる。


「ねえ、顔が卑猥すぎるから、早く洗面所で洗ってきたらどう?」


「いや、洗ったくらいで俺の顔の卑猥さは消えないだろう」


「一刻も早く目の前から消えてって言っているのよ」


 弓月は例の怖い美人顔でつぶやいた。

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