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俺達の添い寝はこれからです。

 面会時間を迎えると、親父が病室に駆け込んできた。親父は俺の無事を確認すると、すでに病室にいた奏お嬢様や奈緒に、丁寧なを挨拶した。今は奏お嬢様のお詫びやお礼を受けながら、何度も何度も頭を下げている。お坊ちゃま育ちの親父だが、他人に対して異様に腰が低いのだ。


「お父様、彰人あきとさんの入院中のお世話は、ウチの弓月にお任せください。学校はお休みですし、つきっきりで面倒を見させますから」


 奏お嬢様の突然の宣言に奈緒は戸惑っている様子だった。奏お嬢様はキャサリンさんに、奈緒が仕事を休めるように、使用人のシフトを変更する指示を出した。

 奈緒は「どういうこと?」とでも言わんばかりの表情を向けてきたが、俺は苦笑を返すしかなかった。


 奈緒は俺の世話を徹底的に焼いた。彼女の面倒見の良さが遺憾なく発揮され、俺はほとんど息をしているだけで生活ができてしまうような有様だった。

 食事の時には、俺に箸を持つことすらさせなかった。雛鳥のように食事を口元に運んでもらっている状態だ。食後には丁寧に皮を剥かれた果物がデザートとして用意され、同じように口元に運ばれてくる。この生活に慣れてしまったら、駄目人間が出来上がってしまうだろう。

 看護師さん達が、奈緒のことを『奥さん』と呼んで、俺達をからかうのも無理はなかった。


 華ちゃんと諏訪部さんと小宮山が連れ立って見舞いに来た。皆、年末で忙しいだろうに、わざわざ時間を割いて来てくれたのだ。その上、お金を出し合って買ったというフルーツの盛り合わせや花束まで持参してきてくれた。


 見舞いの品を受け取ると、奈緒がテキパキと動いた。

 看護師さんに花瓶を用意してもらい、花を生け、病室に飾る。フルーツを仕分けて、痛みやすい果物はその場で皮を剥いてお皿に盛り、お茶とともに皆の前に出した。

 一連の動作に迷いがなかった。


「……あんたさぁ、夫の入院生活に慣れたベテラン主婦か何かなの?」


 小宮山が半ば呆れたように言った。

 奈緒が果物をフォークで刺し、俺に向かって「アーン」のコマンドを実行する。

 華ちゃんがその動作を目ざとく見つけて俺達をからかった。


「ちょっとちょっと、明るいうちは人目を気にしてくれないかなあ?」


「何か言った?ごめんなさい、華子。私、彰人の世話があるから、あまり相手ができないのよ。でも、ゆっくりして行ってね、彰人も喜ぶから」


 奈緒は俺の面倒を見るのが楽しくて仕方がないらしい。趣味にのめり込んでいるような状態で、人目が気にならなくなっているのだろう。


「……ごちそうさまです」


 華ちゃんが負けを認めたようにそうつぶやいた。

 俺の怪我の具合を確認して安心したのか、華ちゃんや小宮山はいつも通りの様子だった。

 例外は諏訪部さんだ。病室に入ってきた時から、ずっと暗い表情をしていることが気になった。


「どうしたの?諏訪部さん。元気がないみたいだけど、何かあった?」


「いえ、若宮さんのピンチに何もできなかったのが悔しくて。会沢君にも、若宮さんの身の安全は守ると約束したのに、怪我までさせてしまって……」


「諏訪部さんが気にすることはないよ。そもそも、その場にいなかったんだから」


「いいえ、親友の一大事だったんですよ?離れていても危機を察知して、瞬間移動で駆けつけるくらいのことはできるようにならないと。私もまだまだですね」


「……」


 それができちゃうと人としての域を越えてしまうからね。

 できれば諏訪部さんには人間の女の子のままでいてもらいたい。


 柳原と田代という意外な組み合わせが見舞いに来てくれた。

 田代は先日のプレゼント交換会で、贈り物選びの自信を完全に失ってしまったようだ。そのため、今回は柳原の考えに従って見舞いの品を選んだらしい。

 奈緒が席を外すのを見計らって、柳原が紙袋を差し出してくる。


「僕達からの気持ちだから、遠慮なく受け取ってよ」


「へえ、どんな気持ちなのかしら?」


 いつの間にか病室に引き返してきた奈緒が、柳原の手から紙袋を取り上げた。田代が頭を抱えてしゃがみ込む。

 奈緒が紙袋の中身を取り出すと、いろんな意味で元気が出る本が現れた。いわゆる大人の実用書である。

 こういう時の奈緒の勘は恐ろしく鋭いのだ。タイミングが悪いぞ、柳原。

 ここは、全く興味のない素振りを通さなくてはならない。少しでも残念そうな表情を見せたら、俺の方にまで飛び火しかねないからだ。


「妹系が四冊……傾向がはっきりしてるわね。それと、清楚なお嬢様系とスポーツ少女系……」


 冷静に分析する奈緒の声が怖い。

 自分を全開に出し切っている変態はともかく、イケメンの嗜好が白日の下に晒されてしまった。何という恥辱。

 田代があまりに気の毒で、思わず頬が緩んでしまう。イケメンは少し評判を落とした方が親しみやすさが出るだろう。

 奈緒がぱらぱらと本の中身を確認している。さながら検閲のようだった。


「彰人のコレクションの傾向だと、妹モノは必要ないわね。胸が小さすぎるわ。他は露出度が低すぎるわね。彰人はもっと肌色が多い方が好きだから」


「……あの、弓月サン?どうしてそんなに色んなことをご存じなんですかね?」


 俺は恐る恐る奈緒に聞いた。

 何て言うか、俺の嗜好に詳しすぎやしませんかね?そんなアンケートに答えた憶えはないのだが。


「あなたの着替えを取りに行ったときに、お宝を発掘したのよ。下着の入ったタンスって普通の隠し場所なのかしら?」


 頭を抱える俺を見て、田代がとてもいい笑顔を向けてくる。人の不幸を喜ぶとは、何て心のねじ曲がった奴だ。

 当然、見舞い品は全て贈り主に突き返された。


 翠ケ浜(みどりがはま)のクラスメイト達、若宮邸の使用人の皆さん、俺の方から会いに行くと約束したはずの雛子達や、受験を控えた宮子まで、様々な人達がひっきりなしに見舞いに来てくれた。

 誰が病室にいても、奈緒の俺に対する献身的な態度は変わらなかった。訪れる見舞客は、皆一様にニヤニヤしながら何かを言いたそうに俺を見た。



 十二月三十一日。

 大晦日でも病院の閑かな雰囲気は変わらない。せわしない外の世界とは別の時間が流れているようだった。

 俺も、去年までは人並みの、それなりに忙しい年末を過ごしてきた。大掃除やお正月に向けての買い出しなど、やるべきことはたくさんある。

 このように何もすることがない、いや、何もさせてもらえない大晦日を過ごすのは初めての経験だった。


 病室には俺と奈緒だけがいた。昼下がりの病室は静かで、廊下を通りかかる人の気配すらない。見舞客は一段落したようで、今日は毎日顔を出している奏お嬢様の他には、病室を訪ねてくる人もいなかった。


 俺はベッドに身を起こして、漫画雑誌を読んでいた。目当ての漫画が休載なのを確認すると、雑誌をサイドボードの上に置く。

 奈緒も昼食の食器を片付け終わると、することがなくなったのか、ベッド横の倚子に座って文庫本を読んでいた。


 長い睫毛を伏せ、文字を目で追っている奈緒。薄手の白いセーターとスリムジーンズ。飾り気のないシンプルな服装が、彼女のスタイルの良さを際立たせている。読書に没頭する奈緒の姿を見ていると、妙に甘えたような感情がわき上がってきた。

 奈緒に俺の方を見て欲しい、もっと構って欲しい。


 俺はおもむろに奈緒の手を掴んだ。奈緒は文庫本を置き、俺を安心させるように柔らかく微笑んでくれる。

 輝くアメジストのような瞳。読書を中断させられても嫌な顔ひとつしない。むしろ、俺に何か言いつけられるのを心待ちにしているようにも見えた。


「どうしたの?何をしたらいいの?」


「なあ、奈緒。俺、お前のことが好きなんだ。ずっと俺の側にいて欲しい」


 緊張することもなく、すんなりと自分の想いを口にすることができた。

 奈緒は言葉を詰まらせ、不安そうな表情で俺を見た。


「私、自分でも嫌になるくらい面倒くさい女よ?それでもいいの?」


「うん、知ってる。でも、そんな所も好きなんだ」


「他には?私のどんな所が好きなの?」


 思わず苦笑いをしてしまう。本当に面倒くさい女だな、最高に可愛いと思う。


「怒ると怖いところ、嫉妬深いところ、負けず嫌いなところ、意地っ張りなところ、それから……」


「ねえ、真面目に聞いているのよ?」


「本気で好きな部分だよ。お前らしくて活き活きしてる。そういういろんな顔を見せて欲しいんだ。側でずっと見ていたいんだ」


「全部の顔を見ちゃったら、飽きちゃうの?それで終わり?」


「人が変わっていくってのはお前だって知ってるだろ?立場だって、関係性だって、感情だって変わっていく。昨日見てたお前の顔は今日のお前の顔とは違う、飽きるなんてことねえよ」


 更に何かを言い募ろうとする奈緒を強く抱きしめた。続く言葉は吐息となって空気中に消えた。

 腰の辺りに引きつるような痛み。生きている証。奈緒を放すつもりはなかった。


「そもそも、俺がお前に飽きるなんてこと、ありえないだろ」


 奈緒は俺の腕の中で、しばらく身を震わせていた。


「……好き……もう我慢しなくていいのよね?好き、好き、好きっ、あなたのことが大好きっ」


 堰を切ったような感情の奔流。


「俺も奈緒のことが大好きだ。きっと、俺の方が好きだって気持ちは強いだろうな」


「いいえ、私の方が絶対に好きだわ。そんなの勝負にもならないわね」


 このままでは、いつまで経っても好き好き合戦が終わりそうもない。この場は勝ちを譲ろう。俺が好きになった人は筋金入りの負けず嫌いなのだ。


 奈緒の肩に手を置き、顔を覗き込むように、いったん体を離す。

 奈緒は俺の意図を察して、長い睫毛をそっと閉じた。目に浮かんでいた涙の雫が頬を伝った。

 俺はその涙をすくい取るように、奈緒の滑らかな頬に口をつける。

 そして、そのまま花のような唇にキスをした。


 

 二週間後、俺は予定通り退院し、執事の仕事に復帰することになった。怪我は順調に回復しているが、まだ無理はできない。しかも、甘やかされすぎた入院生活で、すっかり体がなまってしまっている。少しずつ体を慣らしていくつもりだった。

 

 ただ一つの懸念は俺の仕事内容についてだ。

 俺は奈緒と恋人同士になったことで、添い寝の仕事をやめさせてもらうつもりだった。もちろん、奏お嬢様も同じように考えていたはずだ。奈緒の気持ちを考えたら当然のことだろう。

 しかし、その考えに反対したのは奈緒本人だった。


「本当にいいんですか?恋人が他の女と添い寝をするなんて……」


 奏お嬢様の戸惑いはもっともなことだった。

 

「ええ、週三回という制限は決めたわけだし、奏お嬢様の不眠症が完全に治るまでは続けるべきだと思います」


 奈緒はそう言うが、不安ではないのだろうか?

 もちろん俺は奈緒を裏切るような真似をするつもりなどない。それは奏お嬢様への裏切りにもなってしまうのだから。

 というか、少しは嫉妬してくれないと俺が物足りないんだ。面倒くさい女にどっぷりとはまってしまったようだった。


「奏お嬢様のお体が何より大事ですから。宗次郎様も奏お嬢様の負担は早いうちに取り除くとおっしゃっていますし」


 若宮グループの事業再編成と親族経営陣に対する改革が完遂されれば、奏お嬢様を苛むストレスは激減するだろう。

 宗次郎さんも積極的に改革に着手してくれるそうだし、その日も近いと思われる。


「うーん、奈緒がそう言ってくれるなら、私としては有り難いんですけどね……」


 奏お嬢様は納得いかないように首を傾げている。

 奈緒が俺の袖を引き寄せ、顔を寄せてきた。ささやく声が吐息と共に俺の耳朶をくすぐる。


「ねえ、添い寝をする夜は、必ず私の部屋に来るのよ」


「へっ?」


「変な気が起きなくなるような、おまじないをしてあげるわ」


 奈緒は消え入りそうな声でそう言った。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

ブクマ、感想、評価くださった方、おかげさまで完結することができました。

不定期で後日談などを追加していきたいと思います。

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