突然の再会です。
受け取ったメール内容を確認して、俺は驚いた。文化祭で賑わう校内の人混みを縫いながら校舎の外に出る。
校外には各部活の出し物である模擬店などが軒を連ねていた。十一月に入り、肌寒く感じる日が多くなってきたが、今日だけはそれを感じさせない熱気に溢れていた。各部活が張り合うようにして客を呼び込んでいる。俺は寄ってくる客引きを軽くあしらいながら、校門へと急いだ。
校門付近には文化祭用に飾り付けられたアーチがあり、『第五十七回翠ケ浜祭』と書かれた看板が掲げられている。そのアーチの下に、俺にとって馴染み深い顔ぶれが揃っていた。
懐かしさ、嬉しさ、切なさ、様々な感情が交じり合い、あふれそうになる。一言では言い表せない複雑な感情は、俺達の関係と、共に過ごした日々の密度の濃さを物語っていた。
俺は万感の思いを抑えながら彼らに近づいて行った。
「よう、久しぶりだな」
眼鏡を掛けた、いかにも頭が切れそうなイケメンが俺に声をかけてくる。少し長めの髪型は、俺達がクラスメイトであった時と変わりがなかった。
前の学校の友人の一人、藤島芳弘だった。聞いた情報によると、最近生徒会長になったらしい。まあ、こいつほど優秀な男なら驚くようなことではない。学校内でも目立つスター的な存在で、翠ケ浜の田代といい、俺は何故かそんな奴らと縁がある。
「ああ、久しぶり、お前ら元気だったか?」
「俺が病気になるわけないだろ?鍛え方が違うんだよ」
答えたのは、同じく旧友の波多野竜平。柔道部に所属していて、俺や芳弘よりも背が頭一つ分高く、ガタイがいい。それでも、人に威圧感を与えるような感じはなく、温和な雰囲気は以前と変わらない。
馬鹿力も相変わらずで、俺の肩をバシバシと叩いてくるのだが、力加減を完全に間違っている。
最後の一人は背の低い女の子だった。
「私達のことなんて、忘れたのかと思ってたわ。連絡もなかなかくれなかったし」
高見雛子は中学生にも見える童顔を皮肉っぽく歪めながら、憎まれ口を叩いた。
相変わらず癖毛を気にしているのだろうか、長い髪を一つにまとめている。こんな髪質だから短くできないのだと、いつもぼやいていた。年下に見られる事を不満に思い、自分は四月生まれだからお姉さんなんだと主張していたのが思い出される。
そういえば、こいつの誕生日に俺が転校することを告げたのだ。せっかく楽しいパーティーだったのに悪いことをした。
「それは悪かったよ。言い訳になるけど、忙しかったし、ケータイ持ったのつい最近なんだよ」
「こいつ、お前のこと一番心配してたからさ。しっかり謝っておけよ」
「竜平、余計なこと言わないで!」
あの頃と少しも変わらない空気。一人一人と電話で話すのと、こうして顔を合わせて皆で話すのは全く違う感覚だった。俺はあっという間に半年前の時間に引き戻された。
「それにしても、どうしたんだ?突然……」
「この間のメールで、ここの文化祭のことが書かれてたからな。驚かせてやろうと思ったんだ。リュウが手首を痛めてて部活に出られないから、ちょうど良かったよ」
「まあ、こんな話聞いたら、部活を休んででも来ただろうけどな」
「私だって忙しいのに……芳弘の奴、強引だから」
「誘わなかったら、絶対、激怒だよなあ」
「マジで絶交まであるかもな」
「……あんたらねぇ」
約半年のブランクなどなかったような、居心地の良い、くだけた雰囲気だった。
三人のやり取りも何も変わりない。それは当然か、俺一人が抜けたところで、こいつらの関係が変わるはずがないのだ。
二年になっても同じクラスになれて、これからまた楽しい一年が始まるんだと喜び合っていた今年の春先。
こいつらといると、ついこの間のように感じる。
感慨にとらわれていると、雛子が馬鹿にしたような目で俺を見ていた。
「何だよ?」
「制服、全然似合わない」
そうか、馴染んだつもりになっていた翠ケ浜の制服。この三人には初めて見せる姿なのだ。
「そうかな、結構いけてると思うけどな」
「彰人にはやっぱり学ランが似合ってるよ」
「そうかな?」
「……絶対、そうだよ」
俺はとにかく三人を連れて校内に入った。少し落ち着ける場所で話がしたかった。
「お前、俺達に構っていていいのか?自分のクラスの出し物とか」
「ああ、ウチのクラスは演劇をやるんだよ。準備は終わってるから、開演前にセットを組み立てるのが山場だな」
芳弘の気遣いは俺達のクラスには無用のものだった。
諏訪部さんの優秀な管理能力のおかげで、開演直前まで作業をするといったスケジュールの破綻とは無縁だった。むしろ作業が早く終わりすぎて、他の部活の手伝いに駆り出されていたくらいだ。
「彰人が役に立たないから、仕事を任せてもらえないんじゃないの?」
「それはないな、俺はブレインだから。翠ケ浜の謀将の名は伊達じゃないってな」
「……」
雛子の憎まれ口に軽口で返したのだが、テンポが悪い。いつもなら、ここでもう一言、二言、何か応酬があるのが自然なのだが。
「お前、その称号好きだよな。前は『高天津の謀将』だったよな、自称」
「失礼な野郎だな、自称じゃなかったろうが」
「お前の案に乗ると、ろくなことにならなかっただろ。皆『ポンコツ痴将』と呼んでたよ」
「……そうなの?」
竜平とのやり取りは以前と変わらず、不自然さを感じなかった。
その後も俺達は喋りながら移動していたが、時々、雛子の反応に違和感があった。
だが、怒っているとか、不機嫌な様子ではなかったので、あまり深く考えないことにした。久しぶりだから、調子が出ないだけなのかもしれない。
俺は三人と共に学食へと向かった。文化祭期間中の学食は休憩室になっており、出し物や展示物もなかったので閑散としている。俺は奏お嬢様と奈緒がいるテーブルに三人を案内した。
書き込みの一件以来、外では俺か奈緒が必ず奏お嬢様の側にいることが、俺達使用人のルールになっていた。今日のような部外者が校内に入って来られるような日は、特に注意する必要がある。
今までに何か不穏なことが起きたことはないのだが、しばらくは警戒が必要だろう。
俺がメールを受け取った時、奏お嬢様と奈緒も一緒にいたので、大まかな説明はしてあった。
一緒にいるのが、俺の元クラスメイトだということは察しているはずだ。
二人は俺達を興味深く見ていたが、特に雛子に対する関心が高いようだった。
俺は改めて芳弘達を紹介しようと二人に話しかける。
「えーっと、前の学校の友達……」
「と、捨てられた元カノでえす」
雛子が付け加えた一言で二人の動きが完全に止まってしまった。
ちょっとちょっと、息っ、息をしてっ!
「あはははは……冗談だよ、冗談」
俺の引きつった笑いに反応して、ようやく呼吸を再開する二人。
気を取り直した奏お嬢様が立ち上がり、優雅に一礼する。普段はあんなでも、さすがにハイソサエティに馴染んでいるだけあって、社交マナーは堂に入ったものだった。
「若宮奏です。お見知りおきを」
竜平が感心したようにため息をついた。
「噂のお嬢様かあ。さすがに俺達と違う世界の住人って感じだなあ、上品すぎる」
うん、違う世界の住人なのは間違いないよな。奇人すぎてついて行けない時があるし。
お互いに自己紹介が終わると、俺達は同じテーブルに着いて話をした。
若宮邸での俺の生活について、芳弘が出馬した生徒会長選挙戦の話、そして、俺が転校する直前の話に及んだ。
「正直、今のお前を見て安心したよ。あの頃の彰人、思い詰めていたからな」
「彰人が思い詰めるなんて、想像できないわね」
芳弘の話に奈緒が意見を述べた。まあ、確かに今の俺だったら、そこまで深刻にはならなかったかもしれない。若宮邸に来てからの俺は、良い意味で鈍く、強かになったように思える。
「今の様子を見てると、彰人はここに来て良かったんだろうって思うよな。なあ、雛子」
「……」
竜平が話を振ったことにも気づかずに、雛子は奏お嬢様を睨んでいた。
自己紹介が済んでから、どうも機嫌が悪い。竜平はため息をつきながら雛子に注意する。
「おい、雛子……」
「何?」
場を重苦しい空気が満たした。芳弘は困ったように首を振り、竜平は気遣わしげに雛子を見ている。
奏お嬢様は戸惑ったように自分を睨む雛子の視線を受け止めていた。
「奏お嬢様、そろそろ……」
時計を確認した奈緒が立ち上がり、奏お嬢様に声をかける。
まだ開演まで時間があったが、二人にはその前に特別な仕事があったのだ。
俺もそろそろ一旦クラスに戻って段取りを確認しなくてはならない。
「行ってこいよ、彰人。俺達は適当にブラブラしてるから」
芳弘はそう言って俺達を送り出してくれた。
雛子の様子は気がかりだったが、話は後で本人から直接聞いてみたらいい。俺はそう思って、二人と共に学食を後にした。
放送室へ向かう二人と別れると、俺は自分の教室へと向かった。
教室は演劇の舞台セットの倉庫になっており、開演前に講堂に運び込む必要があった。
講堂は他の出し物にも使われているため、セットを置くような場所はないのだ。予定表によると、今の時間は吹奏楽部の演奏になっていた。裏方の俺は演者よりも先に動かなくてはいけない。
俺は教室に詰めていた諏訪部さんに状況を確認した。
「諏訪部さん、予定はどうなってる?」
「少し予定が押しているので、開演時間が十分ほどずれるみたいですね。まあ、大した変更ではありません」
「そっか、じゃあ、ほぼ予定通りってことだね」
「はい、時間になったらお願いしますね」
俺は確認を終えると一旦教室を離れたが、今すぐに芳弘達と合流するかどうかを迷っていた。
勝手なことだとは承知しているが、三人の変わらない関係を見ていると、少し寂しくなってしまったのだ。俺がいなくなったことなんて、三人にとっては些細なことなのだろうという、僻んだ考えに囚われていた。
俺は迷った末、階段前のホールでケータイを手にしたところで、田代に声をかけられた。田代はウエイターの姿をしている。二組は模擬店をやっていたはずなので、そのままの姿で休憩に入ったのだろう。
俺達はそれぞれのクラスの出し物について、少し立ち話をした。その途中でスピーカーから流れる校内放送。田代がそれを聞き取って、俺に注意を促した。
「おっ、お前らのクラスの放送、始まったみたいだぞ」
奏お嬢様と奈緒が向かった仕事とは、放送部が主催している、この特別放送だった。
注目の出し物をピックアップして、クラスや部の関係者に、見所や裏話などをフリートーク形式で話してもらい、校内放送するという企画だった。
二年三組からは、劇の出演者である奏お嬢様と奈緒、そして小宮山が選抜された。
三人のトークが校内のスピーカーから流れてくる。俺達は会話を止めて放送に意識を向けた。
放送は、小宮山の仕切りが意外に上手く、奏お嬢様のボケと奈緒のツッコミというバランスも良いため、なかなか面白いものになっていた。
俺達の周りからも時々笑い声が起きている。
「あっ、次のテーマ出てるよ、『出し物で気になることはありますか?』だってさ」
「気になることと言えば、ちょっと衣装の露出が高い気がするわね」
「私の衣装も随分胸元が大きく開いているデザインに変更になりました」
「ああ、それ、会沢がごねたんだよ。観客へのサービスが足りないって」
「彰人は女性の胸が本当に好きよね」
「えっ、お尻じゃないんですか?」
「いや、胸でしょ。あいつ、とにかくおっぱいへの情熱が異常だよねぇ。小さいおっぱいが好きなんでしょ?」
「いいえ、大きめのを直に触るのが好きみたい」
「じっ、直に?」
……どうして俺の公開処刑が始まってるの?
声高に無実を主張したいが、ちょっと身に覚えがあるだけにためらわれる。証拠を出せって騒いだら、この子たちの証言で具体的なエピソードがどんどん飛び出してくるので、それは却下。
どうするの、これ?タチの悪いことに、俺がどう頑張ってもこの放送を止める術がないのだ。
「あとさぁ、パンツも大好きだよねぇ。たまに、幼稚園児を相手にしてる気分になる時がある」
「ああっ、わかります、わかりますっ!」
……あいつら放送だってことを完全に忘れてやがるな。
この放送を、芳弘達がどこかで聞いているかと思うと、死にたくなってくる。
隣にいる田代がしきりに感心している。
「お前、ちょっと振り切れてるよなあ」
完全に人ごとのように言うのが気にくわない。小宮山関連のエピソードはお前も無縁じゃないんだぞ!?
「え?なんだって?俺と凄く仲がいい田代君!!」
「はあ?何だよ急に」
「え?どうしたんだよ、会沢彰人の親友の田代君っ!!」
「やめろよ、何だよ、その不自然なアピールはっ?」
「やかましい!俺と関わって、いつまでも爽やかクンでいられると思うなよっ!?」
もう、こうなったら全部巻き込んでやるわ。田代なんてちょっと評判を落とした方が、親しみやすくなるだろうよ。女子生徒が俺達を見ながらヒソヒソと話を始めている。好奇の視線が集まってくるのを田代を楯にしてやり過ごすことにした。
俺と田代がギャアギャア騒いでいると、華ちゃんがお腹を抑えながらフラフラと近づいて来た。
「もう最っ高だったね。ああ、お腹痛い……アッキーってば一躍有名人だよー」
諏訪部さんと柳原が加わり、放送を終えた奏お嬢様と奈緒、小宮山が合流する。さらに馬鹿話の輪が大きくなって賑やかになった。
俺は放送出演組に文句を言ったが、逆に徒党を組んでの反撃に遭った。案の定、彼女達の口から俺の生々しい罪状が語られ始めたので、涙を呑んで頭を下げた。くっ、いつの世もマイノリティーは虐げられる運命なのだ。
ふと視線を移すと、壁際に芳弘達の姿を見つけた。所在なさげな様子で俺達を眺めている。
俺は「ちょっとごめん」と周りに断りを入れて、彼らに近づいて行った。
「どうしたんだよ、声かけてくれたらいいのに」
「いや、ちょっと入りにくくてな」
苦笑まじりのその反応は、社交的な芳弘の言葉とは思えなかった。
雛子は俯いたままこちらを見ようともしない。やはり、少し様子がおかしいのが気になった。
まあ、知らない顔ばかりじゃ気後れするのも無理はないか。
「そうか、そうだよな。ちょっと内輪ノリが強いもんな。お前達のことを皆に紹介するよ」
「内輪って何?どこが彰人の内輪なの?」
弾かれたように顔を上げた雛子の表情が徐々に崩れて、目から大粒の涙が溢れ出した。その変化に驚いたのは俺だけじゃなかった。騒がしかった周囲から声が消え、心配そうに雛子を見守っている。
「……あっ、彰人っ、いつ帰ってきてくれるの?」
雛子は嗚咽をこらえながら言葉を絞り出している。まるで幼い女の子が泣きじゃくっているような、胸が痛くなる泣き方だった。
「どうして、あんたは私達が、いっ、いないところでっ、そんなに楽しそうにしてるのよっ?」
「雛子……」
「私っ、寂しかったよ。あんたが側にいないことが寂しかったし、いっ、いないことに慣れていく自分にきっ、気づいたとき、もっと寂しくなった」
竜平がうっすらと涙を浮かべながら、雛子の肩に手を置いた。
「すまないな、こいつ、長い間いろいろと我慢してたみたいだからさ」
俺は今日の雛子とのやり取りを思い返していた。そういえば、雛子の反応が不自然になるのは、俺が翠ケ浜のことを話しているときだったような気がする。
誕生パーティーの時、怒ってカラオケボックスを飛び出してしまった雛子。俺が旅立つ日も、不機嫌ではあったものの涙のひとつも見せなかったのに。
寂しいと感じていたのは俺だけじゃなかったようだ。俺は自分の声が震えてしまわないように腹に力を込めた。
「なあ、雛子、俺さ……今日嬉しかったんだ。半年ぶりにお前らと話してるのに、昨日まで同じように会ってたんじゃないかって勘違いするくらい自然だった」
雛子は自分の袖で涙をぬぐいながら、肩を震わせている。
「何もかもが変わっちまうわけじゃないんだよ。時間も距離も関係ないことだってあるんだって、気づいたよ。それが確かなものなら……俺達が本物だと思えるものなら、いつまでも変わらないんだよ、きっと」
「……そうだぞ、雛子。彰人が相変わらず本物の変態だってことがわかっただろ?お前、一番の被害者だったもんな。何なら、今度からは俺が変態役になってやろうか?」
芳弘が普段なら絶対に言わないような冗談を言いながら、掲げた手を複雑に動かして雛子ににじり寄る。
根が真面目な芳弘には全く似合っていない動きだった。まだまだだな、構えに変態性がにじみ出ていない。
竜平が慌てて芳弘の肩を抑えた。
「絶対に止めておけよ、芳弘。あれは彰人だから、どういうわけかギリギリセーフの判定だったんだ。お前が真似したら確実に会長の任を解かれるぞ」
「アキちゃん……後で話がありますから」
奏お嬢様と奈緒が異様に光る目で俺を見ていた。
あのさあ、本当に止めてくれる?どこまで過去にさかのぼって断罪されるのよ?過去なんて変えられないんだから、皆もっと未来を見ようよ。
「ふふっ……あははははっ」
涙は乾いていなかったが、雛子は笑顔を見せてくれた。
「あの放送、間違ってるよね、彰人が本当に好きなのは……」
雛子はそこまで言うと、顔を真っ赤に染めて口ごもった。
「……彰人、後で話があるから」
俺は恐ろしさのあまり、声のする方を確認できなかった。
こうして文化祭初日は俺の公開処刑の一日となった。




