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もう一つの想いです。

 さて、状況を整理してみよう。

 俺の目の前の大きなベッドの上に、二人の女の子が横になっている。


 一人は光に透かすと亜麻色にも見える色素の薄い茶色のロングヘアー、クリッとした大きな瞳が特徴的な可愛い系の女の子だ。

 一人は水に濡れたように艶光りする青みがかった黒髪のショートヘアー、長い睫毛と切れ長の目が印象的な綺麗系の女の子である。

 共にハッと人目を引く文句なしの美少女であった。


 二人の間にはちょうど人ひとりが収まるようなスペースが空けられいるのだが、それでも大きなベッドにはまだ余裕がある。

 その小さなスペースが俺の職場だった。


 初めて話を聞く人は何を言っているのか分からないだろうと思う。俺にだって何が起きているのかよく分からないのだから。

 俺は信頼できる人物に仕事上の相談をしに行っただけなのだ。改めて自分に確認してみる、どうしてこうなってしまったんだろう?


「この部屋では呼び方が変わるんです。私は会沢のことアキちゃんって呼んでるので、奈緒も私のことお姉ちゃんって呼んでいいですよ?」


「勝手にルールを押しつけないでください。ちょっと先輩風吹かせすぎなんじゃないですか?」


「えー?自分が勝手に押しかけてきたくせに……じゃあじゃあ、せめて堅苦しい言葉遣いはやめて、アキちゃんと話してる時みたいな感じにしてもらえませんか?」


「……そのくらいなら、まあ」


「それより、その格好はお姉ちゃんどうかと思うなあ」


「どの格好?私、いつも寝るときはこんな感じだけど」


「そのタンクトップは攻撃的すぎるんじゃないかなあ?」


「それもルールなのかしら?」


「いやー、ルールというか規制というか警告というか」


「明確な規定はないわけね」


「ある程度の自重は求めますっ」


 なにやら細かなルール設定が進められていた。

 その様子は微笑ましいものだった。表面上は仲の良い姉妹が一緒に寝る前に親密に話をしている幸せそうな情景そのものなのだから。

 俺は自分の頬が緩むのを抑えきれなかった。


「あーっ、アキちゃん今、いやらしい顔でニヤニヤしていました」


彰人あきと、分かっているとは思うけど、奏お嬢様に不埒な真似をしないように。手を出すなら私にしておきなさい、ある程度までなら許します」


「……」


 言いながら顔面を紅潮させていく奈緒。

 こいつ、こんな時に自爆するとはどういうつもりだ?


「あのなあ、今の状況理解してるのか?冗談にならないんだよ、そういうの」


「アキちゃん、早く早くっ、もう準備オーケーですよっ」


 奏お嬢様が無邪気に俺を呼び込む。この人はこの人で、俺に告白したことなんてほとんど忘れて、妹と一緒に寝られるということを楽しみにしているようだ。

 いや、そのこと自体は実に微笑ましいんだけどなあ。


 完全にお膳立てが整ってしまっている。俺は覚悟を決めて、美少女姉妹が待つベッドに入る決意をした。

 その前に頭の中をお仕事モードに切り替えておくことを忘れない。

 いったんベッドに背を向け、目を閉じてそっと深呼吸をする。


 そろりとベッドに上がると、片方からは楽しそうに脚をパタパタと動かす反応が、もう片方からは緊張感に満ちたビクリと体を硬くする反応がそれぞれ返ってくる。

 俺は息を深く吐き出しながら、二人の間に横になった。

 寝室の天井を見上げている俺の横顔を、二人はそれぞれの方向からじっと見ているようだった。俺はまともに二人の顔を見ることができない。


「……それで、これからどうするのかしら?」


「お前、馬鹿なんだろ?寝るしかないだろ、寝るしか」


「あなた、今日何回も私のこと馬鹿だ、馬鹿だって言ってるわよね?」


「馬鹿なんだから、そう言われても仕方ないだろう。いくら相談されたからって、こんなことに付き合って」


「相談されたから付き合ってる?馬鹿はあなたでしょう」


 こいつは、何を言っているんだ?意思を通じ合えず、言い合いのような感じになってしまっている。

 そんな奇妙な雰囲気の中、奏お嬢様だけが沈黙を守り、会話にも入ってこない。

 不審に思い、奏お嬢様の様子を確認すると規則正しい寝息が聞こえてきた。


「早っ!?」


 俺と奈緒は異口同音につぶやいた。この人どれだけ適応能力があるんだよ。

 『にへら』と緩んだ幸せそうな寝顔を確認して、俺達は顔を見合わせてクスクスと笑った。

 意図せずして顔が近づき、お互いの息が吹きかかることに気付いた俺達は、慌ててあらぬ方を向く。

 何なんだこのむず痒さは。

 気まずさを取り繕うように咳払いをした次の瞬間、俺の体を衝撃が襲った。

 恒例のお嬢様ホールドだ。しかし、今回は俺の隣に寝ている奈緒を巻き込んでの大技だった。


「ちょっ、近いっ!?」


 奈緒が話した内容が空気ではなく頭蓋骨を通して直接伝わってきた。

 俺と奈緒の頭は奏お嬢様の腕に抱え込まれていて、お互いの顔面がくっつき合っていた。

 ひんやりと滑らかな感触であった奈緒の肌がみるみる熱くなっていくのを感じる。

 どちらのものか分からない汗がぬめって、お互いの肌の感触をより生々しいものにしていた。


「あっ、彰人っ……」


 奈緒の声が弱々しく響く。相手が喋るために動かした顔の筋肉の動きがダイレクトに伝わってくる感覚は、今までに経験したことがないものだった。

 俺は焦って奏お嬢様の拘束を解こうと身じろぎする。その動きに呼吸を合わせるように奈緒が動いたが、結果的にそれが良くなかった。


 拘束が解かれるまでの間に俺と奈緒の唇が何度か触れあってしまったのだ。

 それは一瞬の出来事だった。しかし、鮮烈な印象を俺に植え付けるには十分すぎる時間だった。

 俺達はベッドの上で身を起こし、肩で息をしながら唇を押さえた。


「……何て寝相の悪さ」


 奈緒が呆然としてつぶやいた。しかし、本人は知らないだろうが寝相の悪さじゃ奈緒自身も相当なものだった。その事実を教えてやろうかとも思ったが、それによって変に意識でもされてしまうと場の収拾がつかなくなる。

 それに今はそれどころではなかった。

 奈緒の唇の柔らかさ、ぷるんとした心地よい感触、そのまま貪るように吸い付いてしまわなかった自分を褒めてあげたい。

 いや、奏お嬢様の存在がなければ確実にそうしていただろう。


「な、なあ、今の一件は完全に事故だった。お互い無かったことにしておかないか?」


「忘れられるわけないでしょう、ファーストキスだったのよ」


「うっ、ごっ、ごめんなさい……」


「忘れられないし、忘れたくないわ」


「え?」


「だって、好きな人とのファーストキスだったんだもの。宝物としていつまでも大切にしておきたい」


「……」


 突然の告白だった。今夜はいろんな事が起こりすぎて、俺の脳と感情には限界以上の負荷がかかっている。

 奈緒は俺に背中を向けており、その表情を窺うことはできない。だが、その肩が小刻みにふるえており、その真剣さだけは伝わってきた。

 本来なら、俺はその真剣さに向き合って何らかの答えを伝えるべきなのだろう。

 しかし――


「彰人、分かっているとは思うけど、今はその時じゃないから」


「……ああ」


「私ね、自分がこんなに臆病だなんて知らなかった。こんなハプニングに乗じてじゃないと、自分の想いを伝えられないなんてね」


「何言ってんだ、お前は最初から臆病な奴だったよ。臆病だからこそ自分を守る鎧が必要だった、そうだろ?」


「……そうかもしれないわね」


 奈緒は俺の言葉をいつになく素直に受け入れた。

 その後は言葉を交わすこともなく、俺は夜が白み始めるまで黙ってベッドに横になっていた。様々な想いが脳裏を巡り、眠気を寄せ付けなかったのだ。奈緒は俺に背を向けて静かに横になっていたが、眠っているのかどうかは判断できなかった。お嬢様ホールド零式、例の技が繰り出されないところをみると寝付けなかったのだろう。

 長い夜の間、奏お嬢様が一度だけ寝言をつぶやいた。


「お姉ちゃんに任せてくださいっ」



 十月も半ばを過ぎ、そろそろ文化祭の出し物の話も始まろうとする中、俺は柳原に呼び出されて『喫茶店いるか』に向かっていた。

 日曜日の夕方の商店街は人でごった返しており、あちこちの商店から威勢のいいかけ声が飛んでいた。

 相変わらず活気のある商店街だった。


 柳原は俺に一人で来るようにと奇妙な指定をしてきた。

 いったい何の用なんだか、くだらないことじゃないのを祈ろう。

 『喫茶店いるか』では柳原と華ちゃんが同じテーブル席に座り、ノートパソコンを開いて画面を見ている。

 俺の姿を認めると、柳原が大きく手を振って俺を呼び込んだ。


「少し気になるものを見つけてね。知らせておいた方がいいと思ったから」


 柳原はいつになく深刻な顔つきだった。ついに例の法案が成立することになったのだろうか?

 俺はお気楽にもそんな馬鹿げた事を考えていたが、テーブル上のノートパソコンの画面を見て心が凍る思いがした。

 画面は匿名掲示板を表示していたのだが、書き込み内容が問題だった。


『天誅!若宮グループ幹部に正義の鉄槌を!』


「な、何だ……これ?」


 若宮グループ幹部といえば、奏お嬢様や宗次郎さんのことだ。

 とにかく内容が穏やかじゃない。具体的にどうするとは書かれていないが、明らかに害意に基づいた書き込みだ。

 解釈によっては、実際に危害を加えられることも想定されるような物騒な内容だった。


 書き込まれているスレッドは『失業者の集い』という名前がつけられていた。

 俺は若宮グループ企業内の事業再編成の話を思い出していた。奏お嬢様が不眠症になってしまった一要因だ。

 若宮グループのような巨大企業でも失業者とは無縁ではいられない。その中の誰かが書き込んだということだろうか?


「これって、何とかできないの?警察に連絡するとかさあ」


 さすがの華ちゃんも顔色が悪い。


「一応、通報はしておいたけど、あまり具体性がない内容だからね。実際に警察が動いてくれるかどうかはわからない」


「……」


 警察は基本的に事件が起きてから犯人を捕まえる組織であって、民間人を守るという役割には適していない。

 今できる事で最も効果があることは、俺が直接奏お嬢様の身辺を警戒することだろう。しばらくは奏お嬢様から目を離さないよう注意する必要がある。

 もちろんタチの悪い悪戯の可能性はあったが、楽観視して後で後悔するのだけは御免だ。

 問題はこのことを奏お嬢様本人に伝えるかどうかだ。柳原はその判断を俺に委ねるために一人で来させたのだろう。


「若宮ちゃん、こんな事を知ったらショック受けるだろうねえ」


 華ちゃんが沈痛な面持ちでつぶやいた。


「しばらく奏お嬢様には内緒にしておいてくれ。奈緒やキャサリンさんには俺が伝えておくから」


 俺は二人にそう言い残すと急いで店を飛び出した。店を訪れておきながら何も注文していない非礼に気づいたが、今はそれどころではない。売り上げへの貢献は次回出向いた際に十分にさせてもらおう。

 若宮邸に戻ると、俺はキャサリンさんと奈緒に声をかけて、客室に集まってもらった。

 二人に事情を知らせると、奈緒がさっそくケータイ端末で問題の掲示板を確認した。


「ただの悪戯ならいいんだけど、ちょっと不気味ね」


 キャサリンさんが奈緒の手元の画面を覗き込んでいる。


「通報はしてあるというなら、わしらはできる範囲内で注意することじゃな。屋敷はセキュリティがしっかりしているから良いが、外ではお前たちに頼るしかないじゃろうな」


「はい、なるべく奏お嬢様を一人にしないように気をつけます」


 俺と奈緒は目配せしてお互いの意思を確認してうなずき合った。


「うむ、頼んだぞ。宗次郎様にはわしから伝えておこう、何か対策を立ててくださるかもしれん」


「こんなところに集まって、何をしてるんですか?」


 奏お嬢様が客室を覗き込んで声をかけてきた。

 奈緒がさりげなくケータイをジーンズのポケットにしまいながら答える。


「ええ、彰人あきとが私の着替えを覗いたので、ちょっとお仕置きを」


 ……こいつ、ごまかすためとはいえ何て言い訳をしやがる。

 しかも自分で言っておきながら赤面しているのはどういうつもりなんだ?


「ああ、奈緒も鍵をかけ忘れたんですか?どういうわけか狙ったように入ってくるんですよね……本当に偶然なんですかね?」


「……彰人、後で少し話があるから」


 くっ、過去に遡って悪行を暴かれてしまった。おかしな書き込みをした奴のせいでとんだ災難だ。

 俺は書き込みの主に対する敵意をさらに深めた。


 翌日、俺は体育終わりの諏訪部さんをつかまえて、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下で話をした。

 柳原か華ちゃんが伝えたのだろう、諏訪部さんはすでに掲示板の書き込みの件を知っていた。

 実際に危害を加えられるような可能性も指摘し、奏お嬢様と一緒に居た場合、諏訪部さん自身にも危険が及ぶかもしれないという話もしておいた。

 その話を始めると、俺達の周りの空気がすっと温度を下げたように感じられた。


「大丈夫ですよ、会沢君。私も気をつけておきますから。もしも私が側に居るときに何かあるようなら、それなりの対処をさせてもらいます」


 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。諏訪部さんはそういう危険な現場では、これ以上ない頼もしい守護神となってくれるだろう。

 諏訪部さんが去ったあと、彼女が立っていた場所には見覚えのない傷跡がついていた。

 コンクリートにはちょうど人の足形くらいの大きさの穴が穿たれている。

 加えられた力の凄まじさを物語るように、大きなヒビが渡り廊下を分断していた。

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