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揺れる二つの心です。

 自由行動日の朝食後、各班ごとのミーティングが行われた。見学に行く場所と大まかなスケジュールを担任教師に提出し、チェックを受ける。あまりにも無茶なスケジュールや不適切な場所が記載されていた場合、予定の変更を命じられるのだ。

 チェックが通った班から自由行動の開始だった。もたもたしていたら後の班の連中に白い目で見られてしまう。

 俺達の班のチェックはあっけなく終了した。

 班長がクラス委員の諏訪部さんということで担任教師の信頼も厚かったし、何より予定表がしっかりとしていた。さすがと言わざるを得ない。


 旅館のロビーにはすでに俺達と行動を共にする他の班が集まっていた。

 小宮山達の班、二組の田代達の班、さらに五組の華ちゃんの班が緊急参戦している。見知った顔が多い方がいいと思って誘ってみたのだ。


 田代の周りにはすでに女子の輪ができあがっており、今日の激戦を予感させる状況だった。考えることは皆同じで、旅先で気になる異性と思い出を作って、あわよくば友達以上の関係に、というところなのだろう。

 田代の隣をちゃっかりとキープしている小宮山の姿も見えた。

 そんな女子の様子を見ながら、奈緒が不思議そうな顔で誰ともなしにつぶやいた。


「田代ってそんなに人気があるのかしら?」


「そうですね、格好いいですからね。部活でも大活躍だそうですし」


 諏訪部さんの答えがピンとこなかったのか、奈緒が何かを考え込んでいる様子だ。

 気に入らないことでもあるのだろうか?


「どうしたんだよ、何かあるのか?」


「いいえ、別に。ただ、彰人あきとの方がずっと格好いいのにって思っただけよ」


「……」


 完全な真顔である。また無茶しやがって、どうせ真っ赤になって逃げ出すのが落ちなのに。

 そう思って様子を見ているのだが、奈緒は涼しい表情のままだった。


「何?」


 顔をじっと見られていることに気づいて、奈緒が怪訝そうに問いかけてくる。

 小首を傾げる奈緒の顔を見た瞬間、俺の顔が信じられないくらいに熱くなった。


「ちょっと、大丈夫?顔が真っ赤だけど……」


 心配そうに俺の顔を覗き込んでくる奈緒に背中を向けて、押しとどめるように手を差し出した。

 大丈夫だというサインのつもりだったが、奈緒は俺の体調を心配しているらしく、前に回り込んで様子を確認しようとする。


「大丈夫ですよ、弓月さん。会沢君、褒められて少し照れているだけですから」


 明らかに笑いをこらえながら諏訪部さんが言ってくれた。

 だが、勘違いしないでほしい。照れているわけではない、少し驚いただけだ。


 ロビーで合流した俺達は簡単な挨拶を済ませると、誰が音頭をとるでもなくズルズルと移動を始めた。旅館を出て駅に向かって歩いていると、自然にグループ分けがされていく。

 駅に向かって歩くグループとそれに着いてくるグループ、大きく二つに分けられていた。

 前者は先頭に立つ諏訪部さんを含む数人の女子とほとんどの男子、後者は田代を中心に多数の女子がそれを取り囲んで一団を形成している。

 分かりやすく言うと、田代が移動する所に女の子が集まっているという状態だ。

 その田代は奏お嬢様と奈緒の側でいろいろと話しかけているので、二人は女子グループの中心で居心地が悪そうにしていた。


 もともと女子の比率が多い班ばかりだったので、後方は随分と賑やかなことになっているようだった。

 華ちゃんが俺の側を歩きながら後ろの様子を確認している。


「あれだけ女子がいて、アッキー狙いの女の子はいないのかね?」


「……華ちゃん、言わないでおくれよ。ちょっと悲しくなってくるから」


「全員が田代狙いって訳じゃないでしょ。実際、小宮山の友達は協力しているだけみたいだしね」


 何気にクラスの人間関係をよく分析している柳原が俺達の会話に加わってくる。

 まあ、田代が居れば場が盛り上がるからな、楽しそうな集団に加わりたいと思うのは当然だ。


「それよりも、アッキーはどう思ってるの?今の状況」


「どうって、何に対して?」


「田代に若宮ちゃんを取られたら嫌じゃないの?」


「もともと俺のものじゃないしなあ」


「余裕ってやつなのかな?」


「……」


 今日の華ちゃんは少し意地が悪い。

 正直なところ、先のことはともかく、田代と奏お嬢様や奈緒がこの旅行でどうにかなるとは思っていなかった。二人を一番近くで見ているのは俺だという自負があった。田代のことを意識しているのであれば、それに気づかないことはないだろう。

 しかし、それを余裕と表現されてしまうことには抵抗がある。

 俺の独りよがりな考え方なのだろうか?


 最初の目的地の二条城へは地下鉄で向かった。

 二条城は敷地が結構広く、見学時間は一時間三十分の予定になっている。

 俺達は壮麗な庭園や、身長の何倍も高さがある威風堂々とした石垣を見物した。

 ただ、田代の周りにいる女の子達は史跡にはあまり興味がないらしく、賑やかに談笑している方が楽しいようだった。

 少し場違いなほどはしゃいでいるのが気になった。

 俺はせっかくスケジュールを組んでくれた諏訪部さんに申し訳ない気持ちになった。


「いいんです、私が来たかっただけなんですから。会沢君もそんなに気を遣わないでください。せっかくの修学旅行なんですよ」


 諏訪部さんは全く気にした様子もなくそう言ってくれたが、やはり少し心苦しい。


 二条城を見物し終えると、昼食にちょうど良い時間になっていた。各々近くで昼食を済ませようということになり、俺達は目についた蕎麦屋に入ることにした。

 諏訪部さんは奏お嬢様と奈緒のことを気にかけているようだ。


「若宮さんと弓月さん、あのままで良かったんでしょうか?」


「何だか居心地悪そうだったよねえ」


 華ちゃんが大盛りのカツ丼を美味そうに食べながら答えた。二人は田代に誘われて他の飲食店へ入っているはずだ。奏お嬢様と奈緒は、それほど親しいわけでもない集団の中で行動している形だった。

 俺は田代に気を遣って邪魔をしないようにしているし、二人は俺達の邪魔しないように気を遣っているという状況のようだ。全員が合流すると、どうしても騒がしい状況になってしまうことが予想できるからだ。


 昼食後は八木邸に移動した。二条城からはそれほど遠くないので、バスを使って十五分ほどで移動できた。

 八木家は結成する前の新撰組の隊士達が下宿していた古民家だ。現在は一般客が見物できるように有料で開放されている。

 有名な暗殺事件の際に鴨居についた刀傷を見るときの諏訪部さんの目が異様にぎらついていたのが印象的だった。


 八木邸から出た俺達は目の前にあった茶屋で休憩することになった。

 俺は一旦席を外して奏お嬢様と奈緒の側に行き、奈緒をグループの外に連れ出した。奈緒はかなり不機嫌なようで、俺が声をかけてもムスッと黙ったままだった。


「何よ?」


「どうだ、そっちの様子は?」


「騒がしい、ただそれだけ」


「……だよな」


「言っておくけど、私も奏お嬢様もあなたの顔を立てて無難に空気を読んでいるだけだから。本当ならすぐにでも追い払ってやりたいけど」


「すまん」


「……いえ、八つ当たりしちゃったわね、ごめんなさい。大丈夫、奏お嬢様には私がついているから」


「助かる」


 奈緒は俺を安心させるように微笑むと、奏お嬢様の側に戻った。

 諏訪部さん達の所に引き返すと華ちゃんが俺をからかうように話しかけてきた。


「幹事さんは大変だねえ」


「そんな役引き受けたつもりはないんだけどな」


 俺は苦笑交じりに応じる。

 こちらの集団のメンバーは楽しめているんだろうか?気になって周りを見ると、柳原が他の男子連中と何やら熱く語り合っていた。


「だからさ、血の繋がってる妹じゃ意味ないんだよ。リアリティの壁が邪魔をして妄想ができなくなるだろ?」


「何を言ってるんだよ、背徳感と永遠を思わせる関係性がいいじゃないか。二次元では倫理観なんてストーリーのスパイスでしかないんだから」


 ……どうやら同好の士でディープな議論を繰り広げているらしい。他の連中もくつろいで談笑しているようだ。こちらの心配はいらないだろう。

 俺の様子を見ていた諏訪部さんが嘆息混じりに話しかけてくる。


「会沢君、さっきも言いましたけど、周りに気を遣ってばかりじゃ良くないです」


「うーん、そんなつもりはないんだけどな」


「そういうあなたを見て、気にする人だっているんですよ」


 二人の様子を見てきたばかりの俺には、その意見は刺さるものがあった。

 やはり俺にはこのような場を仕切るような器はないのだ。せいぜい周りの状況を見て自分自身ができる範囲内で動くだけ。その手は短く、多くの人間はとても支えきれないのだ。

 スケジュールでは史跡めぐりはこの八木邸までで、次は京都の市街地で買い物をすることになっている。史跡に興味のない人のことを考えてスケジュールが組まれているのだろう。諏訪部さんらしい気配りだった。

 目的地は祇園、地下鉄を使い移動する。


 地下鉄の駅へ向かおうと歩き出した時に騒動が起きた。

 小宮山達の班がグループを離れて別行動をすると諏訪部さんに伝えに来たのだ。小宮山の姿は見えなかかった。

 疲れたような足取りで奏お嬢様と奈緒がこちらに近づいてくる。


「何があったんですか?」


 諏訪部さんの問いかけに、奏お嬢様が言いにくそうに答える。


「その……小宮山さんが……」


「田代に告白して振られたみたい」


 奈緒が奏お嬢様の後を受けて簡潔に答えた。

 俺は意外に思った。小宮山は田代との関係を大切にするあまり、臆病なほど慎重な印象があった。こんなにあっさりと告白なんて思い切った行動に出るとは思わなかったのだ。

 田代が暗い表情で俺に近づいてくる。


「会沢、すまない、俺の班もここから別行動にさせてくれないか?」


「それは構わないけど」


 行動を共にしているのは強制ではない。スケジュールの都合さえつくのであれば、少々の予定変更は織り込み済みだった。

 田代は俺達に何度も謝りながら自分の班の連中と去って行った。

 急展開だった。

 残った俺達の班と、華ちゃんの班はとりあえず祇園に向かうために地下鉄に乗り込んだ。

 車内で少し状況を確認することにした。

 奏お嬢様と奈緒が目にしたことを教えてくれた。


「さっきは話さなかったけど、私たちの周り、あまりいい雰囲気じゃなかったのよ」


「すっごくギスギスしてました……」


 田代の班にも田代狙いの女の子がいたらしく、小宮山を応援する小宮山の友達と対立していたらしい。小宮山自身は穏便にいきたかったようだが、応援団が彼女に肩入れするあまり張り合ってしまったのだ。


「まあ、縄張り意識みたいなものでしょうね」


 奈緒の解釈は容赦がなかったが、実際その通りなのだろう。

 思っていたより面倒な状況になっていたようだ。


「小宮山としては引っ込みがつかなくなったみたいね。友達が自分のために他の子と揉めたりしてるのに、何も行動しないわけにはいかないってね」


「それだけじゃないと思います。小宮山さん、私たちが迷惑がっているのとか、会沢がこちらの様子を心配してたのを見ていたから……」


 早々に行動を起こして場を収めようとした、ということだろうか?

 小宮山を誘った俺にも責任があるような気がして、気分が重くなった。


「気にしても仕方ないんじゃないかな。実際の所は小宮山にしかわからないし、それを問い質すのも無粋だしね」


 柳原のくせに珍しくまともなことを言う。

 とにかく、軽々しく話題にするにはデリケートすぎる問題だった。近くには他のクラスの班もいるのだ。

 この話は早々に切り上げ、俺達はこれから向かう予定になっているお店の情報を交換し、お土産の買い物の相談をした。



 旅館へ帰ると、俺は部屋には戻らずしばらくロビーのソファーに座っていた。

 少し独りになりたかったのだ。やはり田代や小宮山の恋愛話に首を突っ込むべきではなかったかもしれない。

 どうも気分が落ちている。肩も落ちていることだろう。

 俺はロビーを行き交う人々をただぼんやりと眺めていた。


 どのくらいの時間そうしていたのだろうか、俺の隣に無言で座った人物がその無為な時間を終了させた。声を掛けられることもなかったので、誰かが近づいてくることにも気づかなかった。

 浴衣姿の小宮山だった。『ゆるふわ』と称する髪を束ね、右側の肩から胸の前に下ろしている。いつもよりも化粧が濃いように見えた。


「よう……」


「……ん」


 短い声を掛け合うと、俺達はそのまま黙り込んでしまった。

 周りから見ると、別れ話をしているカップルに見えるかもしれない。


「聞いた?」


「ああ、聞いた」


「そういうわけだから。あんたには世話になったから報告しておこうと思って」


「どうするんだ、これから?」


「どうするって?」


「諦めるのか?」


「そうだねぇ、今は結果を受け入れようと思う。どうするかは落ち着いてから考えようかな。自分の心に何が残っているのか、今はよく分からない」


「そうか」


「やっぱりね」


「え?」


「あんた気にしてるんじゃないかと思ってさぁ」


「いや、俺は……」


「あんたさぁ、何でも背負い込み過ぎてるよ。あたしが勝手に告って、勝手に振られたんじゃん?」


 苦笑いを浮かべながら語りかけてくる。

 情けない、失恋した女の子に心配されるとは。小宮山の目は真っ赤だったが、涙は見せなかった。

 俺も弱いところを見せるべきではないだろう。それを気に病む誰かもいるのだから。

 俺達は一緒にソファーから立ち上がり、それぞれの部屋へと戻った。


 自室に戻ってしばらくすると、田代が俺を訪ねて来て大浴場へと誘い出した。

 入浴時間になったばかりだからか、大浴場には俺達以外の生徒はいなかった。

 十人くらいが入れる湯船に二人で並んで浸かると、少し熱めのお湯が今日一日歩いて疲れた体をほぐしてくれるようだった。

 田代はお湯につかりながら伸びをすると、疲労を吐き出すように大きく息をつく。

 俺達はしばらく並んで浴室の天井を眺めていた。

 体が十分に温まってきたところで、田代が重い口を開く。


「想いを伝えるのって勇気がいるよな」


「お前はそういうの慣れてると思ってたけど」


「慣れるなんてことあるかよ、皆真剣なんだから」


 経験があることは否定しない。俺には真似のできないことだった。しかもニュアンスを考えると一回や二回じゃなさそうだ。学生生活にも大きな格差社会が存在しているようだ。


「俺にはできなかったよ。思い切りいいよな、女の子ってさ」


 田代は少し傷ついているように見えた。こういうことは断る方もダメージを受けるものなのだろう。仲の良い相手ならなおさらのことだ。

 俺は田代に少し突っ込んだ質問をした。


「脈、なかったのか?」


「お前、どっちのこと言ってる?」


「どっち?何のことだ?」


「……小宮山の方は、そうだな、俺には恋愛の相手とは考えられなかった。それとなくそういう雰囲気にならないように気をつけてたんだけどな」


「そうか」


「あとは俺の方……あの二人な、ずっとお前のことを見てたよ」


「え?」


「お前が彼女達を気にかけてるのと同じように……いや、それ以上にお前だけを見てた。脈なんてあるもんかよ」


「……」


 脱衣所から誰かの笑い声が聞こえてくる。

 他の生徒が入浴にやって来たようだ。


「まあ、ただの報告。だからどうしろって訳でもないんだけどな」


 田代が何かを吹っ切るように明るく話を締める。

 他人のことなんて心配している場合かよ、と思ったが言う必要はないことだろう。

 こんな時までこの男は爽やかだった。



 修学旅行最終日、俺達は午後二時過ぎの新幹線で京都を発つ。

 それまでは京都駅前で昼食をとったり、お土産を買う時間が与えられていた。

 俺と奏お嬢様と奈緒は京都駅周辺のランドマークとも言える京都タワーの展望台に上ることにした。柳原や諏訪部さんも誘ってみたのだが、申し合わせたように用事があると断られてしまった。


 エレベーター前で、奈緒が先に行ってくれと言い残して別行動をとったので、俺と奏お嬢様は二人で先に展望室に上がることになった。

 展望室は俺達と同じように修学旅行中だと思われる他校の生徒が多く、思ったよりも混雑していた。京都タワーの展望室は二階建ての構造になっており、比較的人の少ない下層部の窓際でようやく落ち着くことができた。


 俺達は肩が触れ合うほど近づいて、碁盤目状の京都の街並を見下ろしていた。

 ふわりと奏お嬢様から良い匂いが漂ってきた。俺の鼓動が少し早くなる。

 昨日の田代の言葉を思い出して、少し意識してしまった。


「昨日ね、小宮山さん、諏訪部さんに謝りに来ました。せっかく計画を立ててくれたのに途中で帰って悪かったって」


「……そうですか」


「田代君と小宮山さん、大丈夫でしょうか?」


「あの二人、仲が良かったから心配はいりませんよ」


「小宮山さんの気持ち、分かるような気がするんです」


「……」


「確かなものを手に入れたいと思う心と居心地のいい関係を維持したいという心。どちらも自分の心なのに、それに振り回されそうになる」


 奏お嬢様は自分の足下に広がる景色を見ながら、ぽつりぽつりと独り言のようにつぶやいた。


「どちらかの心が大きくなると、もう一つの心が邪魔をする。あの時の小宮山さんはいろんなことが重なって、心が一つになったんだと思います」


 俺達はしばらく黙ったまま、それぞれの思いに暮れていた。

 奈緒は俺達の居場所を探しているのだろうか、あまりに遅くなるようなら連絡を入れてみよう。


「京都もこれで見納めですね」


 奏お嬢様が少し寂しそうに言った。


「修学旅行、楽しめましたか?」


「はい、アキちゃんがウチに来てからは楽しい事ばかりですから」


「それならいいんですけど」


「でも、この楽しいことは、いつまで続くんでしょうね?」


「え?」


「私、ずっと、ずうっとアキちゃんと一緒にいたいな」


 ……これって、もう告白そのものなんじゃないだろうか?

 どうして、そんなことを思いついてしまったのかよく分からない。奏お嬢様の目があまりに熱っぽかったから、その熱に当てられたのかもしれない。

 自意識過剰だとは思ったが、俺は確認してしまった。


「奏お嬢様は、その……俺の事が、好き、なんですか?」


 奏お嬢様が呆れたような表情で俺を見る。


「……何を言ってるんですか?」


「でっ、ですよね。変なことを聞いてすみません」


「そんなの、好きに決まってるじゃないですかっ!」


 問いかけたのは俺だ、想定内の答えだったはず。にも関わらず俺は衝撃を受けていた。

 様々な想いが頭の中を駆け巡り、思考をぐしゃぐしゃにかき乱す。

 分厚い雲が陽射しを遮り、急激に外が暗くなった。

 展望室のガラスに映った人影に俺は息を呑んだ。


 床に何かが落ちる鈍い音。

 奈緒が持っていた三本のペットボトル、そのうちの一本が床に転がっている。

 奈緒は怯えたような表情で俺達を見つめていた。


 俺は何かを言わなければという衝動で口を開きかけたが、誰に何を言いたいのか自分でもよく分からなかった。

 奏お嬢様が床に落ちたお茶のペットボトルを拾い上げる。


「安心してください、アキちゃんの気持ちをこの場で聞くつもりはないんです。今はまだ、その時じゃないと思うから。でも、私がそういう気持ちだってことは憶えておいてください」


 奏お嬢様は顔を真っ赤にして、声を震わせながら、それでも最後まで言い切った。 

 俺ではなく奈緒の顔を見ながら。

 その眼差しはとても穏やかで優しいものに感じられた。

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