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初めましてお嬢様。★

 まさか齢十七にして労働者となるとは予想すらしなかった。人生何が起きるか分からない。世の中がゴールデンウィークで浮かれる中、俺は家族と離れ、独り見知らぬ街にやってきた。


 閑静な住宅街に延々と続く白壁と黒塗りの大きな門。俺は小さな荷物とともに新生活を送るための新たな住居、そして職場となる若宮家に到着した。二階建ての洋館は年期が入った古い建物だったが、手入れがよく行き届いており、堂々たる威容をもってその土地に君臨しているように見えた。


 俺を出迎えてくれたのはどう見ても八十歳前後の白髪の婆さんだった。婆さんは腰が曲がっていることもあり、俺の半分ほどの身長にしか見えないが、動きも喋り方もしっかりしている。


「若宮家の使用人をまとめる、メイド長のキャサリンじゃ」


 そう名乗った婆さんに俺は突っ込まざるを得ない。


「いやいや、どう見ても日本人じゃないですか。欧米要素ゼロですよ。お梅さんとかお菊さんとかじゃないと混乱しますって」


「調子に乗るなよ小憎。お前の上司じゃぞ」


 ギロリと俺を射すくめる眼光はなかなかの迫力で、俺は自分の立場を即座に思い出した。


「キャサリンさん、よろしくお願いします」


「ふん、まぁそれだけ図太いなら、ここでの仕事もうまくやれるじゃろう」


 キャサリンさんは身振りだけで俺に着いてくるよう促し、先にすたすたと屋敷の玄関をくぐって行く。玄関ホールは吹き抜けで、天井の多くのスペースがガラス張りになっている。朝の太陽の光が広いホール内に降り注いでおり、俺は眩しさに目を細めた。


 いつの間にか前を歩くキャサリンさんの足が止まっており、俺は危うくその背中にぶつかりそうになった。キャサリンさんの先には陽射しを背負うような人の影。ほっそりとした女性のものだ。まぶしさに目を凝らし、ようやくその姿を確認できるようになった。

 印象的だったのが、陽の光を受けて亜麻色に輝く長い髪。俺と同じくらいの年頃の美しい少女だった。

 キャサリンさんが恭しく頭を下げながら挨拶をする。


「おはようございます、かなでお嬢様」


「……おはようございます」


 この人が俺の雇い主の若宮奏わかみやかなで様か。奏お嬢様は俺と同じ十七歳という若さでありながら不動産業を中心とする複合企業、若宮グループの会長だ。実際に合ってみると、どちらかと言えば可愛らしいとも言えるこの少女がそのような大任を帯びているとは信じられなかった。

 とにかく挨拶はしっかりしておくべきだろう。


「あのっ、初めまして。俺……いや私、今日から使用人としてお世話になる会沢彰人あいざわあきとです。至らぬところもあるとは思いますが、一生懸命働かせていただきますので、よろしくお願いします!」


 俺は一気にまくしたて、深々と頭を下げた。奏お嬢様からの反応はない。不審に思いつつ、そろりと顔を上げると、怒ったように俺を睨む少女と目が合った。険しい顔を作ってはいるが、十代の可愛らしい少女が見せる表情だ。迫力が圧倒的に不足している。

 何か怒らせるような事を言ってしまったのだろうか? 俺は戸惑いながら、確認するようにキャサリンさんを見るが、すまし顔で黙っているだけだった。


 居心地の悪い沈黙は少女が無言で俺達に背中を向け、ホール奥の階段を上って姿を消すまで続いた。キャサリンさんと二人になると、大きなため息が洩れてしまう。気まずい思いを抱きつつ、キャサリンさんに確認してみる。


「何か失礼がありましたかね?」


「気にせんでええ、今日は特にご機嫌斜めのようじゃ。それに奏お嬢様は人付き合いがあまり得意ではないからのう」


 今後の事を考えると雇い主を不愉快にさせるようなことはなるべく避けたいところだったが、過ぎたことをウジウジと後悔していても仕方がない。俺はキャサリンさんの言葉を額面通り受け取ることにした。失点は今後の働きぶりで挽回するつもりだった。


 奏お嬢様が上っていった階段の手前には、ホールを貫くように長い廊下が左右に延びていた。キャサリンさんの後について左手の廊下の一番奥の部屋に入る。その部屋は使用人の控え室になっているらしく、六人がけのテーブルセットと中型のテレビ、テレビの前にはソファーが置いてあった。キャサリンさんとテーブルを挟んで向かい合って座るとドアがノックされた。


「失礼します」


 涼しげな声とともに入ってきたのはティーセットが乗ったトレーを持ったショートカットの少女だった。切れ長の目と長い睫毛が印象的な凛々しい美人で、ダークブラウンを基調とした飾り気のないメイド服がよく似合っていた。

 実際に働いているメイドさんを見るのは初めてのことだった。よく見ると、キャサリンさんも同じデザインのメイド服を着ているのだが、俺の脳が勝手に認識を阻んでいたようだ。……そうだな、俺が初めて見たメイドさんはこの綺麗な女の子ということにしておこう。うん、そうしよう。


 紅茶の良い香りが部屋の中に広がる。少女は手慣れた様子で俺たちの前にティーセットを置くと壁際に控えた。それを見届けるとキャサリンさんが今後の俺の待遇について説明してくれた。

 俺はこの屋敷に住み込みで使用人として働きながら学校へ通うことになっていた。住居としてこの屋敷の一室を与えられ、仕事時間以外は自由時間で外出も可能。学生であることも考慮して、無断外泊は禁止。そして門限は二十二時とのことだった。

 労働環境に対しては何の要望もなかった。どんなに過酷な条件であっても、俺は喜んでこのお屋敷で働いただろう。なぜなら、奏お嬢様は俺の家族にとって神様のような大恩人だからだ。

 奏お嬢様は俺の家の借金を肩代わりしてくれた上に、今後の経済事情を考慮して、このお屋敷で働かないかと持ちかけてくれたのだ。彼女のお爺さまと俺の祖父が親友同士であったという縁だけでは説明できないような温情だった。実際に奏お嬢様に会うのは今日が初めてだったが、彼女の意向は若宮家の顧問弁護士から伝えられていた。

 学校に通う事すら諦めていた俺にとって、願ってもないありがたい話だった。もちろん、借りたお金は少しずつでも返すつもりだ。ここでの仕事に精一杯励んで、ご恩に報いたいと思っている。


「さて、小憎。お前の仕事について説明しよう」


 これは重要。俺は用意していたメモ帳とペンを取り出して要点を書き取る準備をする。奏お嬢様のお役に立つことは、俺にとって労働とは思えないほどの意欲をかき立てていた。


「お前の仕事は奏お嬢様と一緒に寝ることじゃ。抱き枕代わりだと思えばええ」


「……あの、もう一度説明してもらっても?」


「今夜から奏お嬢様と同じベッドで寝てもらう。それがお前の仕事じゃ」


 誤解のしようもない説明だった。『夜伽』? 考える前に思わずメモ帳にそう書いてしまっていた。難しい漢字知ってたんだな、俺。キャサリンさんが俺の手元を覗き込んでニヤリと笑う。


「ただ一緒に寝るだけじゃ。それ以上何かをする必要はない」


 先ほど初めて会った美少女とベッドを共にする? 奏お嬢様のたおやかな姿を思い出した。俺だって思春期の男の子、人並みに性欲くらいはある。


「あのう、仮に――あくまでも仮の話なんですけど……俺が何かしたくなった場合はどうしたら?」


「最低……」


 壁際に立っているメイド服姿の少女が冷え切った表情でぼそりとつぶやいた。



 キャサリンさんはショートカットの女の子に、俺を連れて屋敷の案内をしてやれと言い残して控え室から出て行ってしまった。狭い使用人控え室に二人きり。何となく重苦しい沈黙が室内を支配している。先ほどの彼女の冷たい声の余韻が残っていた。


 メイド服姿の女の子は値踏みするように俺を見つめている。濡れているように艶めく黒髪、長い睫毛の下に揺れるアメジストのような瞳。奏お嬢様とはタイプが違う美少女だった。そういえば自己紹介も済ませていないことに思い至る。


「初めまして、会沢彰人あいざわあきとです。今日からこの屋敷で働かせてもらうことになりました。どうぞよろしく」


 挨拶はハキハキと簡潔に。なるべく爽やかな笑顔を作ったつもりだったが相手の表情は変わらない。無言。


「……あの」


「あなた、抱き枕なんでしょう? こちらが名乗る必要あるかしら?」


 軽く顎を反らせた傲然とも見える仕草。彼女の俺に対する第一印象は相当悪いようだ。多感なお年頃の女の子だ。今の話を聞いて俺に好印象を持てないのは分かる。

 しかし、どんな仕事内容であろうと、大恩人から求められている仕事だ。奏お嬢様の真意はよく分からなかったが、なるべくなら要望に応じたいと思う。同僚となるこの女の子と上手くコミュニケーションを取ることは、今後円滑に仕事を進めることに有益であるはずだ。


「まあ、便宜上、教えてくれるとありがたい。名前が分からないと『メイドちゃん』って呼ぶことになるからな……」


「……弓月奈緒ゆづきなお


「奈緒ちゃんか」


 とっても怖い顔で睨まれた。美人なだけに、そういう表情に凄みがある。

 だからといって、怖じ気づいてばかりはいられない。こちらとしてはすでに失うものは少ないのだ。年齢も近いようだし、ここは馴れ馴れしいくらいにフレンドリーに接する方針をとることにした。


「弓月は年いくつ? 俺は十七歳、高校二年生なんだけど」


「屋敷の中を案内するわ。ついてきて」


 弓月は俺に背を向けると、着いてくることを確認もせずに部屋を出た。言われた仕事だけを確実にこなす。うんうん、プロフェッショナルですね。

 それでも案内されている間になんとか弓月が同い年である事を聞き出し、俺は彼女に見えないように小さくガッツポーズをした。打たれ強くてしつこいのは俺の持ち味なのだ。


 とても友好的な態度とは言えなかったが、弓月は丁寧に若宮邸の中を案内してくれた。屋敷内の設備とともに、その場に応じた自分が身につけた仕事のコツや注意点を教えてくれたりと、彼女の面倒見の良さがうかがえた。


「私は仕事には私情を挟まないから」


 俺が礼を言うと、弓月は言い訳するようにそう言った。クールな言い回しだったが、必死に照れているのを隠す態度が微笑ましかった。



挿絵(By みてみん)

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