待望の水着回です。★
青い空と海、そびえ立つ入道雲。燃えるように熱い白い砂浜。
強烈な日差しすら今日の俺の心を萎えさせることはできない。
俺達は海に来ていた。
海帝鉄道、東翠ケ浜駅から約45分、古野浦海水浴場に到着したのは、午前10時過ぎのこと。
初めての海に戸惑い、波打ち際で泣いてしまう子供。その子を抱きかかえてあやしているお父さん。
ナンパ目当てなのだろうか、派手でダサい服装で海岸をうろつく地元民らしい若者達。
水着姿を披露しあって、ダイエットの重要性を痛感するOL風のお姉さんグループ。
海岸では、すでに多くの海水浴客が海を満喫していた。
俺は当然水着姿の女の子に目がいくわけで、浮かれる気持ちを抑える事ができない。
俺達はかねてからの計画であった、華ちゃんの伯父さんが経営する海の家を、アルバイトとして手伝うためにやって来たのだ。
メンバーは俺の他に奏お嬢様、弓月、華ちゃん、諏訪部さん、あとは何故か柳原。
そして、予定メンバーには入っていなかった宮子も同行していた。
本来なら、宮子はお盆前に家に帰る予定だったのだが、華ちゃんの熱心な誘いもあり、予定を変更して今回のバイト旅行に参加したのだ。
宮子にはずっと寂しい思いをさせていただろうから、このお誘いは有り難かった。
華ちゃんも、そういった事情を考慮して誘ってくれたのかもしれない。
宮子を同行させるにあたって、柳原の存在を失念していたのは我ながらうかつだった。
東翠ケ浜駅の駅前広場で宮子と顔を合わせた柳原は、当然異様な反応を見せた。
奇声を上げ、にじり寄る柳原から宮子を遠ざける。
柳原に背を向け、目を離したのはほんの数秒だった。
振り向いた俺の目に入ったのは、地面にうずくまる柳原と、その隣でニコニコ笑う諏訪部さんだった。
「柳原くんってば、はしゃぎすぎですよね」
いつもと変わらない穏やかな諏訪部さん。
一方の柳原は声を出す事もできずに、ピクピクと痙攣している。
……ナニガアリマシタカ?
しばらくすると、柳原は何事もなかったかのようにスクッと立ち上がったが、その後はずっと大人しくしている。まるで常識を持った普通の人間みたいだった。
今も俺と一緒に女の子達がビーチに現れるのを待っているのだが、普段とは違い、とても常識的な言動をしている。
瞬きをほとんどしないのが気になるが、まあ大した問題ではないだろう。
海水浴場に来るとは行っても、今回は仕事もかねての旅行だ。
当然、遊ぶ時間は限られている。
そこで、俺達は仕事の開始日から一日早く前乗りして、最初に目一杯遊ぶことにしたのだ。
華ちゃんと諏訪部さん、そして宮子の3人が姿を見せる。
華ちゃんはビキニのトップスとショートパンツの水着。
スポーティーなイメージで活発な華ちゃんによく似合っている。
いつも通り、健康的な脚が素晴らしい。
諏訪部さんはシンプルな紺色のワンピースで、背中の部分がざっくりと開いているのがポイントだ。
慎ましやかで、奥ゆかしい彼女にピッタリの水着だった。
あまり素肌を晒す事が多くない諏訪部さんだが、肌がとても綺麗だった。
宮子はフリルのついたキャミソールワンピースで年相応の可愛らしいイメージ。
お兄ちゃん安心したよ、うん。
妹要素は満載のはずなのだが、柳原が不気味なほど反応しない。
どういう事なんだろうか?
弓月が近づいてくると、俺は頭の中が真っ白になった。
シンプルな白のビキニで、なんと言うか、その…凄かった。
サイズは合っているのだろうが、小さな水着に無理矢理体を押し込んでるように見える。
何でしょう、この熟れ具合といいますか、はみ出し具合といいますか。
「お姉様…素敵です」
宮子がぽおっとしてつぶやいた。
ビーチにいる他の海水浴客もチラチラとこちらに注目している気配を感じる。
「弓月ぃ…」
「なっ、何よ?」
「ありがとう」
「……」
「本当にありがとうな、ありがとう…」
「どうして私、お礼を言われているのよっ!?」
しかし、弓月のこんな大胆な水着姿が拝めるとは思っていなかった。
いつの間にか俺の横に移動していた華ちゃんが、腕を組みながら胸を張る
「どうだね、柴田華子プロデュースの水着は?なかなかのもんでしょうが?」
「華ちゃんが仕掛人かよ。しかし、あんな水着、よく弓月を納得させたなあ」
「ふっふっふ…最初はそりゃ渋ったよ。でも、男の子はこれくらい大胆な水着が大好きだという助言で決断したのだよ」
「は、華子っ!」
突然弓月が焦ったように華ちゃんに飛びかかり、もつれ合うようにして一緒に浅瀬に倒れ込んだ。
二人はそのまま、相手を海中に引き込んだりしながら、じゃれ合っている。
弓月も男の視線とか気にするのかな?何だか複雑だな、少しモヤモヤする。
でも、弓月も年頃の女の子だし無理もないのか。
ここで登場したのは、真打ちとも言える奏お嬢様だ。
フリルのついたピンク色のビキニをまとい、無自覚な色気を振りまいている。
何だ、てっきり奏お嬢様かと思ったのに、ただのビーチの妖精か。
柔らかそう、とにかく柔らかそう。いや、実際に柔らかいんだけどね。
生まれからくるお嬢様オーラのせいなのだろうか?
無防備で危うい感じが庇護欲をくすぐって止まない。
「若宮ちゃんもやるねー、腰の辺りの肉付きがたまんないよね」
華ちゃんが顎に手を当てて、感心したようにつぶやいている。
絶対に中身オヤジだよ、この子。
明日からはバイトでこき使われるだろうからな。
今日はいいものを見て、労働の活力とさせてもらおう。
俺は隣にいる柳原にも寛大な心を見せた。
「柳原、今日だけは奏お嬢様を見て、英気を養う事を許す。さあ、じっくりと拝ませていただくがいい」
「どうしてあなたが許可を出すのよ?」
柳原は俺と弓月の会話にも入ってこない。
いつもなら、何も言わなくても大げさな反応を見せるはずなのだが。
俺達はおそるおそる、柳原の顔を覗き込んだ。
「会沢君、僕はそんなことをしなくても、労働意欲にあふれているんだよ。今回は働くために来たわけだし、本当なら遊んでる暇なんてないはずなんだ。僕は毎日20時間以上は働くつもりだからね」
……目が異様に澄んでいる。そこには綺麗な柳原がいた。
さすがの弓月も恐れをなしたのか、俺の背後に隠れてしまった。
柳原君の魂はどこに行ってしまったのか。
荷物をまとめて砂浜に置くと、華ちゃんがビーチボールを持って砂浜に駆け出した。
奏お嬢様が歓声を上げ、諏訪部さんと宮子が和やかに話をしながらその後に続く。
新☆柳原は遊ぶ事には全く興味を示さず、荷物の番をすると言って聞かなかったので、任せる事にした。
「弓月、沖まで競争しようぜ?」
俺は弓月と並んで波打ち際に向かいながら、勝負を切り出した。
海水浴場の沖には遊泳区域を定めるブイが浮いている。
ちょうどいい目標になりそうだ。
「……あなた、本当に子供っぽいわね。まだ来たばかりでしょう?」
弓月は乗り気ではない。あれこれと理由をつけて勝負を受けようとしなかった。
俺は元々、海に近い家に住んでいたこともあって、水泳には自信がある。
ここで弓月に勝てる機会を逃す手はない。
なかなか乗ってこない弓月をあの手この手で煽り、何とかその気にさせようとする。
「ふうん、弓月さんともあろうお方が、勝てそうにない勝負からは逃げちゃうのかなあ?」
弓月はカチンと来たのか、結局は勝負に乗ってきた。
ふふん、単純な奴め。俺って北条早雲とか毛利元就クラスの謀将だな。
お互いが目配せをして同時に泳ぎだす。
海で泳ぐ時は波が厄介なのだ。下手に息継ぎをすると水を飲んでしまう。
俺はうまく波を乗り越えて順調に沖へと進んでいった。
ペースを確認するために隣を泳いでいるはずの弓月の姿を探す。
しかし―――
「……あれ?」
俺の近くに人の気配がない。
泳ぐのを止めて辺りを見回すと、俺の後方で水しぶきが上がっている。
いつもの格好いい姿は見る影もなく、弓月は無様に溺れていた。
「わあっ!!?馬鹿、ばかっ!!」
俺は慌てて引き返し、沈みかけている弓月を抱えて浅瀬に戻った。
すぐに足が届く場所まで戻ることができたが、大事故にもなりかねない状況だ。
水の事故は怖い。
「お、お前なあ、泳げないなら先に言えよ。負けず嫌いにも程があるだろ」
「だって…だってだって!」
弓月は悔しそうに喚いていたが、急にしょんぼりとして静かになった。
「彰人に弱みは見せたくなかったのに…」
「何言ってんだよ。そういうの、どんどん見せてくれよ。色んな弓月が見られて、俺は嬉しいぞ」
「彰人……」
何となく2人とも黙り込んでしまう。
弓月が突然全身に力を入れてビクリと硬直した。
足でもつったのかと思い、慌てて弓月の様子を確認すると、顔を真っ赤にして口をパクパクとさせている。
弓月の視線を追って、俺もようやく事態を把握できた。
背後から弓月を抱えて密着しているだけじゃなく、俺の右手が弓月の小さな水着の中に潜り込んでいたのだ。
じっ、直パイッ…!!!
いったん意識すると、その柔らかさや、指の間に挟んでいる小さな突起物の感触が生々しく、俺は軽いパニック状態になる。
足が届くはずのその場所で、俺はたっぷりと海水を飲み、弓月に介抱されることになった。
夕方になり、あれほど盛況だった海水浴場も人がまばらになってきた。
潮風が少し涼しくなってきたような気がする。その風が、日に焼けてヒリヒリと痛む肌に心地よかった。
一日中遊び倒した俺達はクタクタになって、足取りも重く今夜の宿泊先へ向かった。
俺達が宿泊することになっている場所は、華ちゃんの伯父さんの知り合いが経営してる民宿だった。
華ちゃんの交渉により、宿泊費は伯父さん持ちだった。
お世辞にも立派とは言えない民宿だったが、こじんまりとした建物は掃除が丁寧に行き届いていた。
宿主夫妻はとても親切そうな人たちで、何の不安もない1週間の滞在になりそうだった。
俺達の他には女子大生のグループが宿泊しているらしい。
部屋割りは、男子と女子でひと部屋ずつが割り振られている。女子はそれなりの広さの客間だったが、俺達男子の部屋は布団部屋のような小さな部屋だった。
まあ、寝泊まりするだけなら何の問題もなさそうだ。
夕飯を済ませ、さっさと風呂に入ると、新☆柳原は寝不足は労働の妨げになるからと言って布団に入って寝てしまった。
午後9時のことだった。こいつの真人間っぷりは一体何なんだろうか。
その後、部屋でくつろいでいると、奏お嬢様が思い詰めたように訪ねて来た。
俺としても奏お嬢様の不眠症のことが気になっていたので、好都合だった。
奏お嬢様は浴衣姿で、湯上がりなのか体がほんのりと桜色に染まっていて、とても色っぽい。
「奏お嬢様、しばらくは…その、一緒に寝るのは無理ですけど、大丈夫ですか?」
「はい、最近はお薬を全然使っていなかったので、どうしても眠れなければ少しだけ使うことにします。それより、お願いがあるんですけど…」
奏お嬢様が声を潜めて、言いにくそうに口の中でつぶやく。
「寝るときに、あなたのシャツを使いたいんです。貸してもらえないかしら?」
「はあ、かまいませんけど?」
俺は奏お嬢様を入り口に残したまま部屋の中に戻り、自分の荷物が入ったバッグの前に座った。
「シャツって言われても…」
バッグの中から新品のTシャツと、今日一日着ていたTシャツを取り出し、目の前に広げてみた。
汗を吸った使用済みのTシャツを指先でつまんで持ち上げる。
これ…じゃ駄目だよな。ちょっと臭うし。
俺は新品のTシャツを持って入り口に引き返し、奏お嬢様にそれを手渡した。
「じゃあ、これ、どうぞ」
「……ああ、はい。ありがとうございます…」
奏お嬢様は戸惑ったように俺の顔とTシャツを交互に見ていたが、結局はそれを持って自分の部屋に戻って行った。
何か言いたそうに見えたのは俺の気のせいだろうか。
部屋の小さなテレビでは馴染みのないローカルの深夜番組が流れていた。
俺はテーブルに置いてあったせんべいの袋を開けて、パリパリと齧る。
突然、背後でふすまが開け放たれた。
あまりの勢いと音の大きさに驚いて、俺は首をすくめる。
何事かと振り返ると、奏お嬢様が怒ったように顔を真っ赤にして入り口に立っていた。
「……わざとですよね?」
「はい?」
「絶対、分かっていてやってるんですよねっ!?そんなに私の口から言わせたいんですか!?意地悪、いじわるっ!!」
「え、と…落ち着いてください」
「新品じゃ、意味ないじゃないですかあっ!私は匂いをクンクンしながら寝たいんですっ!!」
その声は暗い廊下にエコーのように反響した。
今、俺の顔は能面のようになっているに違いない。
言う人が違ったら、完全にアウトだった。いや、女子高生の発言だったとしても、ぎりぎりアウトかもしれない。
奏お嬢様は俺の反応にハッと我に返り、今度はふてくされたようにアヒル口でつぶやく。
「そっ、それで落ち着くんです。ちゃんと寝られるんです…」
奏お嬢様は俺が差し出した使用済みTシャツをひったくるようにして奪うと、バタバタと床を鳴らして戻って行った。
このことは早めに忘れてあげよう、それが武士の情けというものだろう。
俺は無表情で奏お嬢様の背中を見送った。
明日からバイトが始まる。ゆっくりと休んで仕事に備えよう。