第三話 ファーストコンタクト
「ファーストコンタクト、だね」「ああ」僕とシュウジは呟く。
僕たちは麦畑から道沿いに少し歩き、小さな村落を見つけた。
もっとも、僕らが小さいと思っているだけで、向こうは立派な都市のつもりなのかもしれないけれど。家々はレンガによって造られているようで、完璧とまではいわないまでも、漆喰で白く化粧を施されていた。
そこは堅固な城塞都市ではなかった。だから幸いなことに、辺縁部に城門は存在しなかった。もっとも、夜になってしまえば、戸を叩いても開けてくれる者などいないだろうが。とにかく僕たちは容易に村落の中に入り込んだ。入り込んで、戸を叩いた。
ファーストコンタクトである。
「こんにちは。どなたですか?」
少女から日本語が返ってくるとは思わなかったので、僕たちは少々拍子抜けした。いや、その時は呆気に取られて気付かなかったが、少女は確かにラテン語を話していたのだ。
僕は返事をしようとして、そのことに気付いた。どうやって返事をしようか迷った末に、僕は彼女の言葉を真似して言った。
「こんにちは。私たちは旅人なんです。もしよければ、どこかに泊まりたいのですが」
完璧なラテン語だった。大学の講義でちょっと齧っただけとは思えない、流暢なラテン語だった。ことここに至って、ようやく僕は自分たちの身に起きた異変に気付きはじめていた。分かりやすく形容するなら「ラテン語がインストールされている」のだった。
「ヨシノブ。お前がラテン語を話せるなんて聞いてないぞ」シュウジが言う。
「僕もびっくりだ。改造でもされたかな?」
その少女とおどおどとしたやりとりをしていると、モエが出てきて言った。
「なんか、ここの言葉、最初から知ってるみたい!」
「脳を? 改造されたの? 一体どういう仕組みで……」レイコは冷静に状況を訝っている。
「その服は遠くの国で作られたものなのですか?」少女は質問してきた。
「うん。ずっとずっと遠くで作られたんだ」
「ずいぶん上等な生地ですね……いったい何デナリしたんです?」
「残念だけどこれは売り物じゃないんだ」
しかし少女のその言葉で、僕の中で多くの疑問が一瞬にして氷解した。デナリ! デナリウス! それは古代ローマの銀貨の名前だ。そうすると、少なくともここは異世界じゃない。過去だ。なんということだろう。僕たちは過去にタイムスリップしてきたんだ。
ここは中世ヨーロッパだ。確信して、僕は次の質問を繰り出した。
「一つ質問がある。イエス様が天に召されてから何年経っている?」
「イエス様? それは誰?」
そこで、全員が凍りついた。シュウジも、モエも、レイコも、固まった。
この世界には、キリスト教が存在していない。あるいは超が付くほどマイナーな存在らしい。
僕の頭はフル回転した。どうすればいい? 僕たちは並行世界に迷い込んでしまったのか? 古代ローマ後の世界で、西暦が存在しない世界で、どうしたらいい?
「あなたたち、西の善き魔女、ペルペ様が死んだことは御存知?」
「ああもちろん」僕は咄嗟に嘘をついた。でも少女はその嘘を見透かしたようだった。
「いいこと? 私たちを悪魔から守ってくれていた、魔女ペルペ様が死んだのよ。予言では、そのうち魔王が現れることになってるわ。でもあなたたちは違うわよね。こんなへんてこりんな格好をした魔王なんていやしないもの」
「そうだね。僕たちは魔王じゃない。ただの旅人だ」
「じゃあうちに泊めてあげる。でも司教様には内緒よ? ペルペ様が死んだことで、最近ぴりぴりしているから。私はテララ。変な名前でしょう?」
「いいや。いい名前だと思うよ」
そう言うと、少女はくるりと回って言った。
「お世辞が上手なのね」
僕たちはそうして、少女から初めての宿を借りた。
少女の名はテララという。ラテン語で土という意味だ。僕たちは、彼女が父を失ったばかりであるということを、このとき知る由もなかった。